フリーマンの随想

その76. 6回目のイタリア


*最南部プーリア州10日間の個人旅行*

( June 15, 2007, June 21に一部追加 )



このページに載せた6枚の写真は、すべて第4項に書いたマッセリーアで撮った写真です。他項の文章とは無関係です
(まさか犬の糞の写真を載せるわけにもゆきませんし・・・)
他の場所で撮った写真は別にまとめて載せてありますので、ご覧頂ければ幸いです。

それから、このページだけ読むと、私がイタリアの欠点を幾つも書いているので、誤解を招きそうですが、
他のページを読んでいただければ分かるように、私は 「 イタリア大好き人間 」 ですので、そこの所はお間違いなく。
そうでなければ6回計約90日も訪れたりしません。

 犬の糞

 イタリアの市街地では、犬たちがなぜか舗道のあちこちに死んだように寝そべっている。 彼らは野良犬か放し飼いで、従って、街路には犬の糞がいっぱい散在していることは、一度でもイタリアに旅行したことのある方ならご存知のはずだ。

 というわけで、イタリアの街路を歩く場合には眼が三つ必要となる。 二つの眼で建物や景色を眺め、写真を撮りながら、もう一つの眼で地上の犬の糞を常に注意深く見つけては避けて歩く。 二つしか眼のない人は、お気の毒だが昼間ですら1時間に1回程度の確率で犬の糞を踏む破目となる。 何かに気を取られている時とか、車から降りるときとか・・・ 夜ならこの不幸な確率は何倍にも上昇する。 固い糞ならまだしも、新しいやつを踏んだら悲惨だ。 個人旅行だと、同行者が親切に注意してくれたりすることがないから、眼は三つどころか、出来たら四つは欲しい。  

 汚い話が続いて恐縮だが、ホテルの部屋で、日本にいる時のように床の絨毯の上を素足で歩いたり、ましてや、べったり座り込んで荷物を整理したりしてはいけない。 前の日に泊った客や掃除のメイドは、犬の糞だらけの街路を歩いた靴をはいたまま、その部屋を歩き回ったのだ。 お座なりの電気掃除機くらいで床が完全にきれいになっていると考えるのは甘い!

 私は必ず持参した ( あるいは高級なホテルでは備え付けの ) 安物のスリッパを履き、それをときどき捨てては新しいものに替える。 床には決して座らない。 これは決して私が潔癖すぎるからではない。 他の国なら私は部屋で上に書いたようなことをする。 何度もイタリアで犬の糞を踏んで苦い思いをしたから、この国では特別の注意を払っているだけである。

 乗車券と駅の時計

 5月28日、バーリからトラーニに日帰りで往復した時のこと。 まず、バーリの駅で切符を買おうと思ったら、3つある出札口が私の目の前で一斉に閉まって 「 CHIUSO ( 閉鎖 ) 」 という札が出た。 時計を見るとまだ9時過ぎだが休憩時間らしい。日本だったら、3人が交代で休憩すると思うが、ここはイタリアだ。 そして不思議なことに、3人のうち2人はそのまま窓口に座って客の方に顔を向けボーッとしているのだ。

 そこで2台ある自動券売機の所に行くと、前の客が 「 紙幣を入れたのに券が出ない。 取りやめても紙幣が戻ってこない 」 と叫んでいる ( らしい )。 駅員が来て機械を開き、中を点検し始めた。 もう1台の方で買おうかと考えたが、同じ目に遭うと怖いので、彼のトラブルが解決してからにしようと ( 私以外の人も ) 見守っているうちに機械は治り、中年男の駅員は ( 私が若い美人女性でないにもかかわらず ) 外国人だからか、珍しく親切に行く先を尋ねてくれ、差し出した紙幣で切符を買ってくれた。 そのとき、休憩時間が終わったのか、3つの出札口は一斉に開いた。

 私はこんなこともあろうかと、30分以上早く駅に来たので ( いつもは前の晩に駅まで散歩して切符を買っておくのだが、この日はホテルが駅から遠かったので事前に買わなかった )、それでも助かったのだった。

 駅構内に入り、目当ての西2番のホームを探し当てたが、電車がいない。 周囲の人に聞くと9時40分の電車は突然の運休らしい。 ではということで、次の10時5分発は?と調べると西3番線と表示されている。 そこに行くと居あわせた若い女性が 「 西4番線に変わったそうよ。 あっちの電車に乗りなさい 」 と親切に教えてくれた。 聞き間違いや乗り間違いには散々懲りているので、駅員に何度も確認してようやく2等車の席に腰を下ろした。

 話は戻るが、イタリアでは国鉄の乗車券は30日前から買っておけるので、是非事前に切符を買っておくべきだ。 その上で乗車直前に更に自分で黄色い刻印機に差し込んで乗車日と時刻を記入する ( これをせずに乗り、検札に会うとひどい罰金を取られる事はご承知の方も多いと思う )。

 この電車はそれでも10分以内の遅れで発車した。 同席は 「 田舎者丸だし 」 の男女3人連れで、聞きもしないのに、50歳くらいの人の良さそうなおばさんが私に向かって自己紹介を始める。 「 オラたちはコンヴェルサーノから来ただよー 」 という所までは分かったが、その先の詳しいことは私のイタリア語力では全く分からない ( 方言がひどいせいにはしたくない )。 「 私もコンヴェルサーノには明日行くんですよ ( これホント )。 あそこは美しい町なんですってね 」 くらい言いたかったが、この程度の言葉もとっさには口から出てこない ( 後知恵:イタリア語では近い未来のことは現在形でよいのだったな。 それだったら言えたのに・・・ )。 情けないが仕方ないから分かったような顔をしてお喋りに相槌を打っていると約30分でトラーニに着いた ( ひと目で旅行者と分かる東洋人に自分の訛ったイタリア語がわかるものと疑いもせず喋り続ける所が凄い )。

 トラーニの街の観光、写真撮影と昼食 ( ビールの肴に生のムール貝を初めて食べたがチョッピリ気持悪かったし旨くもなかった ) を約3時間で済ませ、1時半ころ小さなトラーニ駅に戻り、帰りの切符を買おうとすると、たった一つの出札口は完全に閉まっていて、駅舎は無人らしいし、1台しかない券売機も電源が入っていないのか動かない。 さあ大変だ。こういうことがあるから、いつもは往復切符を必ず買うのだが、今日は時間と体力があればもう一つ途中のジョヴィナッツォの町を見て帰ろうと考えていたので、あの親切な駅員に 「 ソロ・アンダータ 」 と告げて片道しか買ってこなかったのだ。

 ここで 「 バスの切符はタバッキ ( 雑貨屋 ) で買うのだから、電車の切符もどこか近所で買えるのでは? 」 と、とっさに思いついたのは、やはりイタリアに6回も来ている経験の賜物だった。 駅舎の片隅にある売店のおじさんの所に行き 「 切符はどこで買えるの? 」 と聞くと 「 ここで俺が売るんだ 」 と言う ( 私でもこのくらいの会話力はある )。 小さな印字機のようなのを取り出し、30秒くらいで小さな切符を作ってくれた。 これで一安心かと思ったら、上記の刻印機に差し込んでも、普通の切符とはサイズが違うので 「 ガチャン 」 と言わない。 真中に入れて駄目なので右端、それでも駄目なので左の端に押し込んだら無事刻印できた。

 さてホームに入り ( ここは小さな駅なので、上りと下り各1つしかホームがないから助かる ) 「 次は13時55分発だから・・・ 」 とホームの大きな時計を見あげると、何と7時過ぎを指している。 日本にもよくある大きな丸い表も裏も文字盤のある吊下型の時計なので、裏に回ると2時半。 向かいの下りホームの時計の両面と、駅舎の壁の時計と、合計5つの時計が全部大幅に狂っていて、しかもテンデンバラバラだ。 日本なら公園の時計がとまったり狂ったりすることはあっても、駅の時計だけは全国どこでもプラスマイナス30秒以内程度の正確さだと思う。 イタリアとは全く凄い国だと改めて思う。 電車はそれでも5分遅れくらいでやって来て、無事バーリに帰れた。 犬の糞を踏まないよう注意しながら歩いてホテルに着いたらドッと疲れが出た。 やはり75歳の私にはイタリア僻地の個人旅行は無理なのだろうか・・・

 私のイタリア語

 この3年間に、全くの独学だが、270ページの文法中心の教科書を2回、250ページの会話中心の本を添付のCDと共に3回、演習問題も全部まじめに解答しながら通読した。 したがってレストランのウェイター、タクシーの運転手、商店の従業員などとの簡単な意思疎通には困らない。 しかし、観光ガイドの説明や航空機内のアナウンスなどは全くチンプンカンプンである。

 そのほか、電子辞書を一つと、料理用語専用の伊和対照の小さな本を携帯している。 ただ、高価な電子辞書は結局滞在中一度も使わなかった。 なぜだか良くわからない。

 イタリアも、中部や北部の大都会では、街なかで結構英語が通じるが、今回行った最南部あたりになると、中級以上のホテルのフロントと上等のレストラン以外はイタリア語以外はまずだめである。 タクシーの運転手でもごく簡単な英単語以外は分からない。 今回は、ホテルを含むすべての場所で一日中できるだけ英語なしでイタリア語だけを使うよう努力し、頑張って、幸い大過なく暮らせた。 会話能力は前回当時より相当向上したと思う。

 「 その町までは片道60ユーロだ。 観光中の待ち時間は1時間につき32ユーロ。 でも往復乗ってくれるなら2時間までなら1時間6ユーロだけにまけておくよ 」

 「 あの町には古い歴史的な観光用の部分とビジネスの新市街とがあり、両者の距離は3kmあって歩くのは大変だ。 お客さんはどちらに行くのかね。 あの町にはタクシーはないんだよ 」

 「 明日もどこかに行くのかい。 今日明日と続けて私を使ってくれたら大幅に値引きするよ 」

 この程度の会話は、私の口から喋るのは相当に困難だが、運転手の言うことを、紙に書く数字を見ながら聞き取ることなら出来る。

 実はこの会話は、ある日に起こったトラブルに関連して実際にあった内容なのだ。 6月2日の土曜日、私はレッチェからガッリーポリまで、小さな私鉄(FSE)に乗って往復しようとしていた。 この私鉄が日曜には運休となり、代わりにバスが少数運行することは知っていた。 又,電車の時刻表も日本にいるとき、インターネットで調べてあった。

 しかしこの日、駅に出かけると私鉄の駅には誰もいない。 隣接する国鉄の駅の事務所に聞くと 「 今日は私鉄は運休だ 」 という。 「 なぜ? 今日は土曜じゃないの 」 と言うと ( この程度なら話せる ) 「 今日はフェスタ ( 祭日 ) だ 」 と言うではないか。 ガーン! ( 帰国後調べたら、6月2日は2001年から 「 共和国建国記念日 」 として祭日になったのだ。 事前調査が甘かった報いだ ) というわけで駅前のタクシー乗り場に行き、運転手たちと交渉した経過の一部が上記の会話である。 結局予期せぬ出費となったが体力的には楽だった。 多少ボラレているかも知れない 「 エントツ走行 」 だったが、知らずに新市街の駅で降りて炎天下を3kmも歩く可能性もあったのだ。 我慢しよう。

 マッセリーアとオリーブの老巨木

 汚い話や悪い話が先行したので、きれいな話や写真も載せたい。 私が今回2週間を過ごしたイタリア最南部のプーリア州には、2千以上ものマッセリーアがあるという。 マッセリーアとは、ローマの圧制から逃れてきた貴族たちの自給自足的な豪華な屋敷が起源と言われ、その後14世紀頃になると、組織化された農業生産活動の拠点として建てられた農場主の館となり、そこで働く人々の住まいも兼ねるようになったという。 現在はその一部が維持費用の負担が大きいために放棄され荒れ果ててしまっている一方、他国の金持ちが買い取って別荘に改造したり、アグリツーズモやホテルのために運用されたりもしている。

 私が今回泊ったマッセリーア・トッレ・コッカーロは、ホテルに転用されたもののうちでも最高級に属し、5つ星にランクされている。 周囲にはゴルフ場が一つある以外は、ひたすらオリーブの老巨木が見渡す限り育っている樹海のほかには何もない。 数km東にはアドリア海の紺碧の海と美しい浜が迫っている。 だから、食事も、ほとんどこのマッセリーアの中でしかできず、宿泊者は付属の大小のプールほかの施設で、ただひたすらボーッとしたり、読書したりしながら心と体を休める以外にすることがない。 構内には様々な花が咲き乱れた庭や散歩道があり、また自給自足の野菜畑や家禽の飼育施設がある。

 このページに掲載した6枚の写真を見れば、とにかく、ここは、きらめくような陽光と、大自然と、そこで静かに時間を過ごすための素朴だが極めて上質な施設以外は何もない静寂の空間であることが、ご理解いただけよう。 だが、私を含めた日本人にとって、そういった時間と空間は、むしろ苦行の対象にすらなりかねず、私も実は、連日近くの観光都市めぐり( 1日3カ所くらい ) をするための拠点としてこのマッセリーアを使ったのである。 もっとも、私が何をしようと、他の宿泊者たちの視線からは隔離されて過ごせる離れ家の構造である。

 見渡す限り植えられているオリーブの老巨木は、樹齢数百年にもなり、幹の直径が優に1mを超えるものも多い。 採れるオリーブ油も、若い木の実からのものとは色も香りも違う高級品だと言う。 その厳かで堂々とした姿に惚れて北部の都市の富豪たちが根こそぎ庭木に買って行くことが有ったらしいが、最近はそれが禁止されたとも聞く。

 南部特有の風土

 イタリアにも 「 南北格差 」 があるらしい。 面白いことに、米国の南北格差と共通点が多いと個人的には思える。 人々はお人よしで人懐こい。 言葉が訛っていて北部人からバカにされる ( らしい )。 生活水準全般が低い。 インフラが貧しく、その管理がいい加減である。 午後1時から4時までは多くの施設が扉を閉めてしまう・・・  電車の遅れなどは北のほうがはるかに少ないと私には思える。 大体、日曜ごとに公共交通の電車が止まるなんて、この地方以外にはない慣行だろう。

 今回も、ある大都市の4つ星ホテルで半日お湯が出ないことがあった。 たまに故障があるのは仕方ないが、それを直すのにホテルに不在のテクニシャンを探し出すことから始めて修理完了まで10時間もかかるなんて、他の地域では考えられないことだ。 最果ての地の 「 4つ星ホテル 」 では到着早々洗面台の底が漏り、床が水浸しになったので文句を言ったら 「 明日直す 」 という返事。 そして、その明日も結局誰も来なかった。 仕方がないから、浴槽の蛇口にかがみこんで手や顔を洗い歯を磨いていた。

 このホテルでチェックアウトした時のことだが、日本だってイタリアでだって必ず聞かれる 「 冷蔵庫から何か飲みましたか? 」 という質問がない。 「 ビール1本飲んだんだけど・・・ 」 と申告すると 「 ああそう、じゃ2.5ユーロ払ってって 」 という。 10ユーロ紙幣を出すと 「 お釣り探してくるから、待っててね 」 と、どこかへ行ってしまう。 ナンだこりゃ・・・

   町の一流レストランでさえ、午後8時開店と扉に明記してあるのに、実際は8時20分くらいにならないと店が動き出さなかった ( ミラノやフィレンツェなら、こんなことはまず絶対にない )。 それ以前に来店したお客はじっと待たされるが、そのことを、誰も文句も言わず不思議にも思わない。 別の町では、ホテルのフロントに8時の夕食の予約を依頼しておいたら 「 あそこは8時開店だが予約は8時15分に入れておきましたよ 」 と計らってくれた。 この辺りの感覚が、かつて私が住んでいた米国南部の ( だいぶ以前の ) 状況とだいぶ良く似ているように思われて、興味深かった。

 電柱と電線の少ない国

 帰国後写真を整理していてハッと気がついたことは、1000枚以上も撮影した風景主体の写真の中に、ほとんど電柱や電線が写っていない事だった。 そう言えば、撮影中電柱や電線が画面に入るのを避けようと移動した記憶が一度もない ( TVアンテナの林立に失望したことは何度かあった )。 日本ではよほど場所を選ばないと、カメラのファインダーの中に必ず電柱、電線が画面に入り込んで来て、苦労が多いし腹も立つのだが・・・

 米国だって都市部を一歩離れれば、道路わきには延々と不恰好な電柱の列が走っている。 ところが、イタリアでは、田舎でも電柱や電線が極めて少ないらしいのだ。 もちろん、地下に埋設されているのだろう。 これは帰国後写真を整理していて今回初めて気づいたことなので、次回の旅行で意識的に注意して調べてみたいと思う。

 それにしても、日本は電柱と電線の多い国だ。 最近は光通信用のケーブルもどんどん加わってきて、街の風景はますます醜悪になってきている。 何も規制はないのだろうか。

 ユーロ高つまり¥安

 それにしても、今回ほどイタリアの物価の高さを感じたことはなかった。 1Euroが¥165ほどもするのだから、前回までの旅行よりもおよそ2〜3割は高い。 日本並みの値段だと思えたのは公共交通料金くらいなもので、レストランに行っても、ホテルに泊っても、街でジェラートを買っても、もちろん家族へのお土産を買っても、「ウヘー」と思わず叫びたくなる。

 日本人が怠け者になってしまったり、日本の経済が弱体化したりしてそうなったのなら仕方ないが、決してそうではなく、ただただ日本の金利が世界的に見て異常に低いから、こういう事になっているだけなののだ。 政府と日銀には、是非何とか解決してもらいたいが、彼らは頼りないから、優良輸出企業の株でも買って儲けた金で自主防衛する方が賢明なのかも知れない。

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 今回訪れた町:バーリ→トラーニ→コンヴェルサーノ→ポリニャーノ・ア・マーレ→サヴェッレートリ→マテーラ→アルベロベッロ→ロコロトンド→オストゥーニ→チステルニーノ→マルティーナ・フランカ→レッチェ→ガッリーポリ→サン・チェザレア・テルメ→オトラント→ブリンディシ→オスティア・アンティーカ→ローマ・・・観光バスに座ってウトウトしながらではなく、自分一人で移動したのですから、14日間よく体力が続いたものと自画自賛しています。 最終日は電車と地下鉄を乗り継ぎ更に数km歩いてトレビの泉に日本のコインを投げ込んできました。 来年もきっとイタリアに行けることでしょう。

 

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。