フリーマンの随想

その75. 困った大学生たちと、ある立派な中学生


* 教師がキチンと教え込むか教え込まないかが原因か? *

(Jan. 29, 2007)


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 このホームページでは初めての事ですが、文中に○だの*だのの 「 伏字 」 をたくさん使いました。 話の内容はすべて体験した 「 事実 」 ですが、特定の学校や個人を非難したり賞賛したりする意図でこれを書いたわけでは全くありませんし、こうせざるを得ませんでした。 ご了承下さい。

 もう何年も前のことになるが、○○大学の*学部の教授から依頼され、 「 米国における工場建設と経営 」 に関して、学部上級生の希望者に対し2時間の特別講義をしたことがある。 この大学では毎月のように、いろいろな人を呼んで特別講義が行われるらしく、ある期間毎回レポートを出すと単位が貰えるらしい。

 という次第で、講義のあと、短い期間に200近くのレポートを読んで採点し、結果を大学に送るという義務を背負うことになった。 考えてみれば当然の仕事だが、それまでは企業や経営大学院での講演ばかりだったから、講演をし、質問に答え、謝礼を頂くとそれでおしまい、それ以上の仕事はなく、こういうのは初めての体験だった。

 他大学の教授をしている友人に話したら 「 お前なんかの話を静かに聞いてもらえただけで幸せだと思え。 『 お客様 』 としての特別講義なんだから、黙って全員Aと採点して返せばいいんだよ 」 と言われた。 なるほどそういうものかとも思ったが、私が時間をかけて準備し、何十枚ものOHPを自分で作り、一生懸命話した内容について、今の若い学生たちがどんな風に受け止めてくれたかを知りたかったので、一つ一つのレポートを丹念に読んでは、短い感想を赤インクで記入して行った。 雑用で忙しい大学の先生と違い 、こちらは 「 時間は売りたいほどあった 」 のだ。

 私がもし学生だったら、(A) 講師の話の趣旨や要点を自分なりの表現で簡単にまとめ書きし、自分がどのように講義内容を理解したかをまず講師に伝える。 (B) 次に、講義内容に対してどこが納得でき、どこが納得できないかなどを記し、 「 自分ならこう考える 」 、「 自分だったらこう行動したろう 」 などと、自論、つまり自分の反応を述べる。 (C) 自分が啓発されたり自分の将来に役立つと思われたりした部分があればそれを書くし、なければ率直に失望感を述べる。 つまり感想だ。 問があればそれも書く。

 レポートはこの三つの要素を備えていて欲しい・・・  欲を言えば、私が紹介した文献や、それ以外の関連資料を図書館で一つでも良いから読み、その内容も含めた考察や意見を述べる人もいて欲しい。 全体の長さなんて、数千字もあれば十分だが、彼らは一体どれ程度のレポートを書いてくるんだろう?

 (A) 自分の集中力、理解力を示すことであると同時に、これは一つのマナーというか、礼儀だとも思う。 でも、いきなり自論に入る人がいても、その自論が卓抜なら、私は良い点をあげたい。
 (B) ここで学生の思考力、判断力、論理性、説得力などが明らかになる。
 (C) ワンタイムの講師としては、ここが一番知りたい所だ。

 などといろいろ期待しながら、ドサッと着いた宅急便を開けてレポートを読み始めたのだったが、読み進むうちに驚いた。 この大学は程度の低い大学ではない。 いや、それどころか、大変良いレベルだと評判のある伝統校だ。 それなのに・・・

(1) 全部 ( あるいは大部分 ) が一字一句同じ2つのレポートが、次々に現れる ( 約5% )。 3人一組なんていう大胆不敵なのもある。 講師をごまかそうというのなら、せめて用語や改行を変えたり語尾を直したりすればどうかと思うが、それすらもしていない。 怠け者でずるい上に不精なのだ! こんな不精者は一人前の詐欺師にすらなれないだろう。 恐らく、ワンタイムの特別講義の講師たちは、いちいち丁寧に読んだりしないだろうと多寡をくくっているのだ。 がどっこい、この私は注意力も記憶力も人並み以上にある。 どちらが本家だか知らないが、共犯だから 「 ○○君のレポートのコピーですね 」 と書いてD ( 落第 ) とする(*1)。

(2) インターネットで検索した二、三の専門家の文献をコピペ ( copy & paste ) して印刷しただけのものも多かった ( 約10% )。 前半が 「 である 」 調で後半が 「 です 」 調だったりするので、すぐに分かるし ( 騙したいならせめて文体、語尾を揃えるくらいの労を厭うなよ )、大体、学生がこんな高級なことを言うはずがないと ( 失礼 )、すぐにピンと来る ( 私だっていろいろ関連文献は読んでいるのだ )。 妙だと思ってググって見ると、わりと簡単にその 「 もとの論文 」 が現れて来て、ネタバレとなる。 こういう学生が社会に出ると盗作や捏造をするのだろう。 「 これは●●氏の**というページのまる写しですね 」 と赤インクで書いてこれもDにする。

(3) 関連文献を自分で調べるという労を厭わず、引用して自論の助けとするのは立派だが、ごく少数の学生以外はその引用先を明記していない。 今の大学ではこんな基本的な学問のルールをすら教えないのだろうか。 「 他人の著作の一部を引用したら、その出典を明記するようにしてください 」 と赤インクで書き込む。 でも多分ルールを 「 教えられていない 」 だけなのだろうから、減点はしない。

(4) 私の講義と全く無関係な分野の話を最初から最後まで書き綴っているレポートがある ( 約5% )。 こうなるともう、不可解としか言い様がない。 実際は授業に出ていなかったのか、私 ( の話 ) に反抗したいのか、他の講師に出すレポートと取り違えたのか、それとも頭が少しおかしいのか、さっぱり分からない。 テーマは様々だが、せめて私を唸らせるような内容ならBくらいあげるのに、面白くもおかしくもない。 これではDにするしかない。

(5) 講義の前に、話の要点を1ページのプリントにまとめたものを全員に配ったが、それを丸写しただけのレポートが散見された。 幾らなんでも怠惰で 「 自分 」 というものがまるっきり無いんじゃないの? それでも大学生かい? もちろんD。

 ということで、結局A ( 優 ) が20%、B ( 良 ) とC ( 可 ) が30%ずつ、D ( 不可 ) が20%くらいになったと思う。 Aの中には、私を感激させるような立派なものも5つほどあった。 真面目に受け止め、真面目に考えようとしているし、論理的で個性的で創意や熱意も感じられた。(*2)

 でも、こんな厳格?な採点の評判が悪かったからか、それとも私の話自体がつまらなかったからか、翌年以降はもうお呼びがかからなかった。

(*1):これは一種のカンニングだと考え、教授に相談したが 「 叱っておくから氏名の一覧表を下さい 」 などとはおっしゃらない。 この程度は日常茶飯事なのか? 私としては、やはり 「 見る人はチャンと見てるんだよ 」 という事を知らせたい。  「 悪いことは悪い 」 と諭さないこの甘やかしは、学生をスポイルするだけだと思う。 それにしても、私がいちいちコメントを書いたこれらのレポートは、学生に返されたのだろうか? それも確証がないだけに無力感に襲われる。

(*2):上記とは別の、高校時代の友人の、ある元大学教授に話したら 「 たとえ5人でもそういう学生がいるだけ、やっぱり立派な大学だと思うよ 」 と言っていた。 すごい達観だ!

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 昨年秋のある日、私が事務局長をしている 「 一票の格差を考える会 」 のアドレスに、次のようなメールが飛び込んできた。

 一票の格差を考える会の皆様へ

拝啓 秋も深まり、日がだんだん短くなってまいりました。
突然のメールにて失礼致します。 ●●中学校1年*組の○○○○と申します。
私たちの学校では、自由テーマのレポートを書いております。 私は 「 一票の格差 」 をテーマに選びました。 そして、資料集めをしていたところ、産経新聞に載っていた皆様の意見広告をみつけました。 そのため、皆様のホームページを拝見させていただき、是非お話を伺いたいと思いました。
そこで厚かましいお願いだとは思いますが、どなたか対面取材を受けて下さる方はいらっしゃらないでしょうか。
( 中略 ) 急なお願いで、本当に申し訳ありませんが、返信をお待ちしております。 敬具

 一読 「 え? これが今どきの中学1年生の書いた文章なの? 過保護の親父か誰かの代筆じゃないの? 」 と思った( 後に、そうではなく、本当にこの少年が書いた文章だったと知ることになる )。

 その後、この少年は会からの紹介で会員の一人と都内で面談し、いろいろの話を聞き、質問をし、説明をよく理解し、資料などを貰って帰っていった。 そしてその後、自分で文献を探して読んだりもしている。 1カ月後に完成し送ってきた自筆 ( 肉筆の文字は丁寧だがたしかに中1の生徒らしい筆跡だ ) のレポートのコピーを読んで、私は再度感嘆した。

 その構成、分析力、筆力などが、前半の話題の某大学生たちのレポートで言えばAの中に入ってもよいほどのレベルなのだ。 しかもそれには形式、文章、内容とも申し分のない丁寧な礼状まで同封されている。 私はこういうことについては、わりと厳しく教えられた方だが、中学1年生のとき、これほど本格的で完璧な礼状を書けただろうか? 答は多分NOだ。

 14ページから成るレポートの構成は、「 はじめに 」、「 第1節 一票の格差とは何か 」、「 第2節・・・ 」、・・・と進み、「 まとめ 」 でしっかりと全体を結びあげ、「 おわりに 」 で自分はどこを納得したか、この問題をどう考えるかと、自分の考えを述べている。 そして謝辞を添えたあと、最後に13もの 「 引用文献 」 を本文中につけた番号の順に明記してある。 もう、ひとかどの学術論文同様の立派な構成を備えていると言って良い。 この時点では面談した会員からの連絡 (*3) により、これが彼一人の資質と努力による力作であることを私は素直に信じることが出来たが、それだけにこれはまた、大変な驚きだった。

 こんな立派な内容と構成のレポートを、幾ら有名な私立中学 ( の多分優等 ) 生だとは言え、1年生 ( 13歳? ) の少年が独力で作れるのだ! この中学では、多分、手紙やレポートの作法、構成とはこういうものだという基本的なルールやマナーを、先生方がしっかりと生徒に教え込み実行させているのだろう。

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 教師 ( や親 ) がキチンとルールやマナーを指導し教え込むかどうかで、生徒の挙動はここまで違ってしまうということを痛感させる二つの体験であった。

(*3):「 ○○君は聡明そうで礼儀正しい子供でした。 ( 中略 ) もっといたずら小僧で幼稚かと思っていましたが彼を見てこんな大人びた1年生もいるかと感心しました。 ( 中略 ) 彼のような子供を見て ( 日本の ) 将来に明るい希望をもちました 」 という報告を受けています。 なお、申すまでもない事ですが、私が感嘆したのは、自分が関係している活動に彼が関心を持ってくれた事とは全く無関係です。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。