フリーマンの随想

その10. 2年ぶりに米国を訪れて考えた事

*文化の違いは「違い」であり「優劣」ではない*

(10.20. 1998)

これは7月末に書いた近況報告(7−8月度)を基本に、 去る10月4日に東京都中野区鷺宮小学校の同期会で行った講演内容の一部を加え、 更に全体に多少手を加えたものです。すでにこの近況報告を読まれた方は真ん中辺の から先をお読みください。

*7月中旬グリンウッドにお邪魔しました。 富士フイルムの米国工場の法的な創立日は1988年の7月23日なので、 今月は丁度10周年になります。別にそれに合わせたわけでもないのですが、退任後初めて、 2年ぶりの訪問でした。町はあまり変っていませんでしたが、この2年間の富士の工場の増設、 発展の速度はまさに驚くべきものでした。米国に進出した日系企業が次々に撤退、 縮小を繰り返し、なかには日本の本社が倒産してしまった企業さえあったりする中、 これは例外的な出来事と言えます。

*渡辺社長以下、富士の日本人、米人社員たちが暖かく歓迎して下さったのは勿論ですが、 町の米国の友人たちが急遽おおぜい集まり、歓迎の夕食会を設けてくれたのにも感激しました (後列中央が私)。 彼らが、ふた言目に聞く質問は日本の経済のことで「米国のメディアが激しく書き立てるほどには 悪いとは思わない」と言うと、日本株にも多少投資しているらしい彼らは「そうか」 と言ってくれますが、私はそう答えながらも日本の政治の対応のまずさ、遅さに改めて腹の立つ思いでした。 生まれて初めての不在者投票をして出てきた日本から伝わってきた参議院選挙の結果には 「当然だ、良かった」とは思うものの、この期に及んでも日本は「この程度しか変れないのか」 という悔しさも感じました。

*目下市場で大好評の富士フイルムのデジタルカメラ FinePix700 を持参し米人に見せては講釈してきました。上の写真もこれで撮ったものです。 パソコン王国の米国でも日本と同様で、パソコンをマスターして仕事で家庭でよく使っている人たちと、 「自分はパソコン無しでチャンと生きていられるのだからそれで良いじゃないか」という人たちとに、 はっきり二極分化して来ているようでした。市の各界の指導的地位にある彼ら男女中高年の中でも、 パソコンを操って仕事をし、私のホームページも時々見てくれている人と、 「ホームページって何?」と聞くような人とが半々くらいでしたでしょうか。

*3年前に見通し良く過当競争のパソコン機器の販売店を人に売り、 インターネットのプロバイダーの会社を設立した私の親友 Perry Smith氏が、 あっと言う間に財をなし、いかにも米人らしく「この店は大繁盛だから年末には人に高く売って俺はリタイアする。 そしたら来年は日本に遊びに行くから案内を頼むぞ」と言っていたのが印象に残りました。 日本人なら自分の会社が大繁盛なら、ますます忙しく夢中で働くでしょうが、 彼らにとっては事業も所詮は株の売買と同じで、安く買った店を手腕で繁盛させ、 高く「売り逃げる」のが自分の才能の見せ所。事業は「目的」ではなく、 自分と家族の生活向上の一「手段」に過ぎないのです。

*日本人なら、Smith氏とは違い、健康な限り一生元気に働き続けたいと願う人が殆どでしょう (だから「はた迷惑」になる場合があるということを(その1)に書きました)。 生活が苦しければもちろん、たとえ働かなくても暮らせるほど豊かになっても、 一生働き続けたいと考えます。一方米国人なら(というより日本人以外のほとんどは) 働かなくてもそこそこ暮らせる程度に豊かになれば仕事をやめて、 家族と楽しくのんびり暮らそうと考える人の方が多数派でしょう。 これは後で述べるようにどちらの態度が良いかの問題ではなく、文化の差だと私は思います。 別の例をあげますと、Smith氏は「成功した」と言われますが、米国人の言う「サクセス」とは、 多くの場合金持になると言う事と殆ど同義語です。一方、日本で「成功」と言えば、 仕事や事業が発展し社会からその質が一流と認知されることで、 同じ言葉でも意味する中身が随分違うように思います。

*その後ニューヨークに行きました。かつて2度訪問してまだ全部見尽くしていなかったメトロポリタン美術館に足を運び、 夜はミュージカルを見ると言う優雅な滞在でした。一番驚いたのは街に溢れる黄色いキャブ(タクシー)が、 かつてのオンボロばかりの状態からすべて新車同然のピカピカになっていたことです。 これは新しい市長が街のイメージ向上を狙い、厳しく命令した結果だそうで、その強引さに反発もあったようですが、 何事も迅速にはやろうとしない日本の政治家に聞かせたいような話ではありました。

*それと、昨今の日本の若い女性のファッション、すなわちあの「揚げ底」の脚を長く見せる靴や、 下着で闊歩しているようなキャミソール・ルックなどが、実はアムロの発明でも何でもなく、 ニューヨークのファッションを真似ただけらしいということに気付きました。 前者は日本人の脚の短さをカバーする苦肉の、しかし面白い発明だと思っていたので、 日本のファッションにもようやく独創性が出てきたかと考えていたのですが、 なんと街を歩く多くの脚の十分長い米人女性があの種の靴を履いているのです! 何だ、この真似だったのか!

*その時5番街にたたずみながら考えたのですが、 米国では一人も目にしなかったから、やはりルーズソックスだけは日本人の発明らしい。 一番最初にこれを考えだし、はきだした女の子の独創性と実行力を私は高く評価したいと思います。 でも、2人目以降はただの人真似、日本人特有の「横並び」志向ですから、私は個人的には評価しません。

それはともかくとして「このたぐいのことに限らず、その内容が好きかどうか、有用かどうか、 或いはくだらないかどうか、などという議論はひとまず止めて、それが独創的かどうか、 人まねでないかどうかで先ず判断し、評価してあげるように、 われわれの考え方を少し変えたらどうか」というのが、私の今日の提言です ((その8)の最後の部分でも、似たような事を申しました)。

*米国の学校では、他人と違った独自の発想、考え、意見を、先生や周囲が積極的に奨励し評価するようで、 子供の頃からそういう独自性を追求するように生徒たちは動機づけられています。
やや次元の低い例ですが、日本では工場などで安全靴を支給する場合、全員に同じ材質と色で、 サイズだけ違うものを用意すれば十分ですが、米国の工場ではそうは行きません。 数十種類のさまざまなデザイン、色、材質の安全靴を業者がトラックで運んできて陳列し、 その中から各人に選ばせるのです。 「私にはこういう色しか似合わないのだ」「私はこういうデザインが好きなのだ」と言って、 高価なものには個人が差額を払ってでも選びます(末尾の注#参照)。 日本の工場でこんなことをしたら、多分不安定な雰囲気が職場に充満し 「皆を同じに揃えて下さい。その方が公平で気楽です」と皆が言うでしょう。

* Make a difference と彼らはよく口にします。つまり自分は他人と比べてどこに違い、 特徴があるのか? といつも自問し、自分に「違い」「特徴」をつける努力しているのです。 一方日本では、世の親たちや先生方は「あんまり他人と変った事はするな、考えるな」 と幼い時から子供たちに教え、彼らが他の皆と揃った格好、行動、考えだと安心し「よい子」 だと評価するのではないでしょうか。 子供たちも皆と同じ格好、行動、考えをしない人を仲間はずれにし、排斥し、いじめたがります。 日本は Make no difference つまり横並びの国、均一志向の国と言えます。

*こういう環境では独創性は育ちにくいので、こういう風に育った人が社会に出てから、 急に「人のやらない研究をしろ」とか「独創的な商品を開発しろ」 とか言われたって、そう簡単に出来るはずがありません。

*と申しても、私は「だから米国流に転換しろ」と主張するつもりは全く有りません。 大体、何百年も何千年もかかって出来た日本の文化の体質が、直ぐに変えられる筈はないし、 日本の「横並び体質」だって、日本的生産システムの或る側面のように、時と場合によっては、 すばらしい力を発揮する事も有ったので、一概に悪いとは言えないと思うのです。 まずは「こういう風に両国の文化は違うのだ」と冷静に認めることが大事でしょう。
ただ、個人的な事を言わせて頂くと、私は中学生の頃から横並びの嫌いな人間で、 昭和26年に大学に入った時のクラス全員の記念写真を見ても、当時は私以外の全員が学生服、 角帽姿なのに、私一人が紺の背広にネクタイで無帽でした。 角帽、校章、金ボタンなどという「権威の象徴」で身を包みたくなかったからでした。

*さて、話を戻して、上述の「成功」の意味や学校教育や安全靴の違いは、 二つの国の文化の違いの良い例ではありますが、 一般にふたつの国の文化の違いとは単なる「違い」と考えた方がよく、 「良い/悪い」「優れている/劣っている」「正しい/間違っている」ではないと思うのです。 「違い」を違いであると素直に認め合う事こそが二つの国の文化の相互理解と交流の基本であるのに、 一般の人々の間でも、政治の世界でも、自分の方こそが優れていると自慢し、相手を馬鹿にしたり、 相手に自分の文化や方法論を押し付けようとする人たちが、日本にも米国にも少なからず居ます。 こういう人は、たまたま相手の国に住むような羽目になると、 大きなカルチャーショックに見舞われることになるでしょう。そればかりか、 その国の人々や文化を感情的に軽侮し、罵るようにさえなるのを私は何度も見ました。
私たち日本人の心の奥底に、今もなお、東南アジアやアフリカの諸国の文化に対し、 日本のそれと比べて「優劣」を考える意識がないと言い切れるか、考えてみたいと思います。

*再び話題を転じて、NYで宿泊したヒルトン&タワーで驚いた話をしましょう。 朝食の席につくと、ウエイターが近寄って来て、"Coffee ?"と尋ねるのはいつもの通りですが、 私を日本人と認めると、彼らの発音がまるっきり、日本語の「コーー?」になるんですね。 私が一生懸命上の歯で下唇を噛んで苦労して「フィ」なんて[f]を発音しているのが阿呆らしくなりました。 極めつけは、"Do you take viking ?"と聞かれた事でした。自分で好きな料理を取り食べ放題なのを、 米語ではbuffet(バフェィ又はブフェィ)と言うのですが、 多くの日本人が世界で通じる英語の単語の一つだと勘違いして日常使っている「バイキング」 という単語が、ついにニューヨークの高級ホテルで強引に市民権を得てしまったのです! これには腰を抜かしました。それほど日本人の客が沢山連日宿泊し、「コーヒー !」 「バイキング !」と連発していると言う事です。

*妻への土産を買うべく5番街に点在するブランド店にいくつか入ったら、 店内に居る客の半分は若い日本の女性でした。 日本の景気は本当に悪いのかな??? それとも日本は何かがおかしくなってしまったのでしょうか?

#:日本と違い、安全靴を通勤時にも使用してよいとする会社があること、 代金は会社の全額負担でなく一部を自己負担する場合も多いことなども、影響していると思われます。

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