フリーマンの随想

その70. 「自分探し」

*豊かになり過ぎたこの国にはびこる「贅沢な努力」?*

( Feb. 3, 2006 )

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前の半分は、 私の孫の1人 ( 中学2年の男子 ) に送り、読んでもらうために
書いた長い手紙を、不特定多数向けの文体に書き直したものです
彼は、良く理解してくれたみたいです。
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 「 将来の夢が見つからない 」、「 自分に合った仕事に巡り合えない 」、「 自分のやりたいことがわからない 」 などと、 よく若い人たちが言います。 「 だから、まず 『 自分探し 』 (*1) をしたい 」、「 その結果自分に合った仕事が分かったら就職する 」、 「 興味がもてる業務に出会うまで探し続ける 」 などとも・・・。

 でも、ちょっと考えて見たいと思うのです。  大昔から、「 自分に合った仕事は何か?と事前によく考え、それを見定め、 『 これならやれそう 』 と自信を持ててから職業を決める 」 なんてことを、人間はやって来たでしょうか?

 人類は有史以来、つい100年ほど前までは、日本だけでなく世界中どこの国でも、好きであろうがなかろうが、 適性が有りそうだろうが無さそうだろうが、大工の子は大工、百姓のせがれは百姓を継ぐものと決まっていたのです。

 私はそういう社会、制度が良いとか悪いとか言っているのではありません ( 現代だって、親の職業を代々受け継ぐことは、 当人が望むのであれば、むしろ良い面が多いと思います )。 私は、人類が社会制度というものを持ち始めて以来、 人間と仕事との関係においては、ついこの間までず〜っと 「 世襲以外にほとんど選択肢が無かった 」 という事実を述べているのです。

 そういう風に諦めて親の職業を世襲しなくてもよく、自分の好きな違う仕事を探し当て、 選べるというチャンスが存在する世界でたった一つの国・・・ それが米国でしたが、そのことに憧れて世界中から移民たちが押し寄せたのだって、近々数百年のことに過ぎません。

 大工の子は大工、百姓のせがれは百姓を継ぐと申しましたが、それすら、この日本では、 つい60年前までは、原則として 「 長男だけに与えられた特権 」 だったようです。  次男以下は親か誰かが見つけてきた商家や職人のところに 「 奉公人 」、「 弟子 」 として住み込み、見習いからスタートするか、 あるいは兵士にでもなるか、さもなかれば、どこかに婿入りするかくらいが選択肢でした。

 明治に入ると、学業成績が良く、しかも家が貧乏でないか、たとえ貧乏でも学資を出してくれる人に運良く巡り会えた男の子は、 例外的に高等教育を受けて専門職に就くことが出来ました。 それ以前の時代よりは格段によい世の中です。  一方、女の子は第二次大戦以前くらいまでは、一時的に女工や女中になることはあったとしても、 最後はすべてどこかに嫁入りして主婦になる ( 商店や農家では家業も手伝う ) ものと、100%決まっていました。  運悪く貧しい家に生まれた娘は、泣く泣く 「 身売り 」 されてしまうことすら珍しくなかったのです。

 どうしてもそれ以外の選択をしようとすれば、昔は、男も女も 「 野垂れ死に 」 覚悟で家を飛び出すしかありませんでした。  そして飛び出した人の中の殆どすべては文字通り 「 野垂れ死に 」 し、ごくわずかな、才能と運とに恵まれ、 しかも人並みはずれた努力をした人だけが、新しい職を得て成功しました。 その最たる者が豊臣秀吉でしょう。  明治以降になると、それでも、野垂れ死にせずに成功する人の割合は着実に増えて来ましたが・・・。

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 時代がさらに下って約50年前、私が社会に出た戦後まもなくの頃・・・貧しい高校教師 (*2)の長男だった私には、 教授が打診してくれた 「 学者への道 」 を選んで大学院に行くことなんて、夢のまた夢でした。  一日も早く就職して会社のアパートに入り、4人の弟妹たちに自宅の勉強部屋を明け渡してあげなくてはならず、 さらに就職の翌月から安月給の中から親許に送金して、彼らの学資の援助をしなくてはなりませんでした。  だから、自分が好きになれそうな分野ということも勘案はしましたが、とにもかくにも、発展成長が望め一番給料が高そうな、 ある会社を選んで受験したのです。

 でも、私なんか、ずっと運の良いほうでした。  第二次大戦の直後 ( たった60年前 ) の群馬県のある市の小学校での私の同級生たちの中には、 今なら一流大学に入れること確実な秀才たちですらも、 家庭が貧しいために高等小学校や中学校を卒業したところで就職して行った人が少なくありませんでした。  その仕事が自分に合う合わないなんて、ほとんど考えることもなく、 とにかく家族と自分が飢えずに生き延びるために職に就いたのだと想像します。

 更に時代が下がり、今から30年くらい前からでしょうか、小学校や中学校の卒業文集に 「 自分は将来**になりたい 」 なんて書くようになりました。  「 私が夢を抱いて努力して進めば、あるいはそれが叶うかもしれない 」 と、 すべての子供たちが考えてもおかしくない程度の自由で豊かで夢を持てる国に、この頃日本がようやく達してきたからでしょう。

 私の話に戻りますが、高校時代の私は、「 言語学 」 が自分の能力に一番適している分野らしいと考えていて ( それが正しかったかどうか、いまだに不明ですが )、それを一生の仕事にしたいと切望していたのです ( 父は 「 何になれ 」 とは一言も言いませんでした )。  しかし、そんな分野に進んだら、親や弟妹を経済的に助けることなんて出来っこない ( どころか、 さらに5年も10年も親の脛をかじり続けかねない ) とわかっていたので、それは諦め、 次に好きだった化学を選び、それも化学者ではなく化学技術者になって企業に勤め、高い収入を得ようと、 工学部に進んだのでした。

 自分で言うのもナンですが、夢中で勉学に励んでいた結果、もくろみ通り、 その、高給をくれ将来性もありそうな会社の技術者になれました。  最初は、会社中で一番厳しいと評判の上役から連日のように受けるストレスのため、 建物の玄関に入った瞬間、毎朝吐き気を催すほどでした。 同じ頃、2年前に入社した同室の先輩が胃潰瘍で倒れたのを見て、 さらに恐ろしくなりました。 でも、辞めて逃げ出すなんていう選択肢は当時、夢想だにできませんでした。  現在と違い、どの大企業も新卒以外、絶対にと言ってよいほど採用していませんでしたから、 辞めることは、即、親兄弟を助けられなくなることでした。

 でも、不思議なことに、与えられた新しい仕事に無我夢中で取り組み、そのための勉強を がむしゃらに やりながら2年、 3年と経つうちに、その仕事が次第に面白くなり、自信も付き、業績も上がってきて、周囲からも認められるようにもなりました。  今考えると、新しい環境と課題に合うように、なかば無意識的、なかば意識的に、自分が自分を変え、 適合させて行ったのですね。

 私は、どんな人でも、能力的にとても無理な 「 身の程知らずの愚かな選択 」 をしたりさえしなければ ( たとえば、運動能力のきわめて低い私がプロスポーツマンを目指したりとかしなければ )、 まじめにコツコツ努力さえして行けば、一流はとても無理でも、 大抵の人は、何とか使い物になる程度のレベル ( か、時にはそれ以上 ) の職業人にはなれるのでは・・・と思うのです。

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 「 自分探し 」 なんて耳障りの良い言葉・・・最近誰が考えだした概念か知りませんが、 一歩間違えば、若者を迷わす 「 無駄で贅沢なな努力 」 への誘惑になるのではないかと私は思うのです (*1)。

 若いうちに 「 自分とは? 」 と真剣に自問追求する真摯な態度は良いのですが、 それが過度になって 「 自信喪失 」 や 「 へたり込み 」 になっては困ります。  それなら自分を探そうなんて思わず、「 自分なんてどこにも無い 」 んだと思っていた方が 「 まだまし 」 だと思うのです。  若い人間の内部には、将来どうにでも変貌し成長して行ける 「 不定形だが柔軟な塊みたいな自分 」 があるだけで、 試行錯誤を繰り返し、手探りで懸命に生き、人まねをせず自分の頭で必死に考え、格闘し、問題を解決してゆくうちに、 それが年齢とともに次第にその人の中で固まって形を成して行き、 だんだんとはっきり目に見えるような 『 本当に個性的な自分 』 が出来あがって行く・・・ということではないでしょうか。

 『 自分 』 というものが若い私の中のどこかに既に存在している→ その自分と、社会や仕事との間に 「 相性 ( あいしょう ) 」 が有るかないかを考える→ 相性が良いと分かったらそこで働き、生活する・・・などという風に考えるのは傲慢すぎると私は考えます。  「 先ず社会の中に入り、そこで仕事をして行く 」 中で、自分の相性が見えてくる、あるいは、 もっとはっきり言えば 「 自分の中に相性が生まれてくる 」 のだ というのが、私の実感です。

 自分が本当に一番向いている仕事を選んで一生を過ごせたのかどうかなんて、誰にも死ぬまで、いや、 死んだ後ですら判断できないものです。  「 自分にもっと適した仕事 」 が、他にもこの世に有ったかも知れないけれど、それが何かは誰にも分かるはずがありません。  あるいは、幸い一番適した仕事を選んだのかような気がしても、本当にそうだったかどうかは、誰にも分かりません。  一人のひとが、5通りの職業を選択体験して5通りの生活を同時並行に生き、 老後にそれらを比較検討する・・・なんてことは不可能な話ですから。

 たいていの仕事は、そう面白いものである筈はなく、有史以来、例外的に幸せな人以外は、 誰でも自分の仕事は 「 つまらない、苦しい、うまく行かない、周囲が冷たい、辞めたい 」 と一生呻吟し、時には泣き、怒りながら、 そして 「 隣の芝生は青く見えるというから・・・ 」 と自分を慰めたりもしながら、何とか生き続け、働き続け ( 私もそうでした )、 そして死んで行ったのではないでしょうか。

 そういう無数の人たちの呻吟苦行のおかげで、今私たちはどうにか暮らしていけるこの発展した世界を得たのだと思います。  音楽だって囲碁将棋だってゴルフだって、蕎麦打ちや陶芸だって、趣味としてやれば、こんな楽しいことはないでしょうけれども、 いったん職業に選び、それで金を稼ぎ、出来ることなら家族も養おうなんて志したら、普通は非常に苦しいものとなるでしょう?

 とりあえず実社会から離れて自分だけで生きて行きたい ( あるいは行ける ) なんていう考えも、錯覚に過ぎません。  着ている着物も、食べている食物も、手にしている楽器も、その部品や素材の一つ一つも、 社会とそれに参加している人たちが何百年、何千年の間、苦しみながら作り上げてきた実社会の 「 仕事 」 の産物です。  だから、自分も、能力に応じて何かの仕事をすることで実社会に参加し、そのお返しをするというのが、 昔から教えられてきた普通の当然で素直な考え方ですが、最近は親も学校も、そういうことを余り言いませんね。

 そいうわけですから、先ずとにかく職を持ち、社会の中に自分の居場所を作って、多くの人に混って仕事を覚え、 汗を流して働いてみる。 そうやって辛抱し努力しているうちに、大抵何とかなるものです。  大体、就職前に 「 この仕事は自分の希望に合っているように思える 」 なんて言ってみたって、 幼い狭い知識と理解で表面的にそう感じただけです。  実際に入ってみてやってみたら 「 えーッ。まさか! 」 ということになる場合が多いのです。  それでも、我慢していや応なく勉強しながら取り組んで行くと、 良い点や好きなところも見つかったりして、気がついてみたら一人前になって得意顔で後輩に教えたりしていて・・・ 仕事ってそんなものだと、私は思います。

 いくら辛抱し頑張っても、八方塞がりでどうしてもうまく行かず、自分には絶対に向いてないと思うなら、 そのときに転職を検討すればよいのです。 現在の日本なら、幸い野垂れ死にを覚悟しなくてもそれは可能です。

 要するに、実社会に入って見もせず、外から 「 自分探し 」 を続け、「 適性探し 」 を繰り返していたって、 絶対に何も理解できないし解決もしないと、私は思います。



(*1):「 自分探し 」 ということ自体が悪いとは、私は考えてもいませんし、申してもいません。 言うまでもなく、 「 自分探し 」 と称して甘え、いわゆるモラトリアム状態になり、現実から逃避する態度や行動を問題視しているのです。

 「 自分探し 」 には他にも二種あり、一つは 「 自分探し 」 を餌に海外旅行やエステ、 果ては新興宗教まがいの団体等に勧誘するもので、これらは論外です。  最後の一つは、人生を考えるためのキッカケを若者に与え、 より積極的に人生を生きて行こうという希望を持たせようというカウンセリング的なもので、これは有意義な 「 自分探し 」 と言えます。  対象は一般の悩める若者と、神経症的な病人との2種に別れるようです。  最後のカテゴリーに属する部分を更に詳しく知るために、次のようなものを挙げてみました ( 単にご参考までです )。

導入的解説とガイダンス

自己診断のための50問

神経症の人のための解説

「自分探し」についての社会的考察

(*2):教授の勧める高価な原書を買おうとしたとき、父が月給日の夜に、その月の自分の小遣いを母に対して全額返上して、 「 これで買ってやりなさい 」 と言っていたのを目にしてしまいました。 これではしっかり勉強するしかないです。



 さて、本論に戻りまして:

 現代の日本の社会の大きな問題点は三つあると思います。

1.豊か過ぎる社会を作ってしまった報い

 一つは、現代が、日本人の数千年の歴史の中で、成人した子供を、 25過ぎても30歳になっても、親が衣食住すべて面倒を見て甘やかすことが出来る、 本当に未曾有の 「 豊かだが堕落した 」 時代になってしまったという点です。

 日本が豊かになりすぎたため、成人した子供たちが働かずに家でゴロゴロしていても、一家がどうにか暮らせるし、 飢えもしないのです。この点が、50年前の私の ( そして周囲の殆どの ) 家庭・・・家族全員が夢中で働かなくては、 とたんに飢えるしかなかったあの時代 ( 世界の大多数の家庭は現在でもそうなのですが ) との決定的な差です。  豊かさが親の心、子の魂を腐らせてしまったのです。  イタリアでも最近同じ社会現象が起きているという話をTVで見ましたが、原因は同じこの 「 有史以来初の異常な豊かさ 」 でしょう。

 35年ほど前、英国に出張の折に聞いた話ですが、金持ちも貧乏人も、( 約 ) 20歳を過ぎたら、息子や娘を、 親許から離して別居させ、自分で衣食住すべてをまかなう 「 自立 」 をさせる。  だから若者は非常に質素なレベルからスタートするのだそうで、例外はバッキンガム宮殿の王女様だけだそうです。  今でも若者たちは、おそらく海外旅行だのブランド物だのという贅沢とは縁がない、 質素だがしかし 「 自主自立の誇り高い生活 」 をしているのでしょう ( 当時と違い、移民の子弟たちは高い失業率のおかげでそれ所ではなさそうですが )。

 日本の親たちも、全員が心を鬼にして ( というほどの事でもありませんが )、自分の若いときや、 自分もウッスラ覚えているの自分の親たちの若い頃を思い出し、 その気構えを子供たちに要求し 「 さあ、外に出て自分の手足を使って働いて食え! 」 と、鷲のひなが巣立つ時のように、 背中を蹴飛ばして家から追い出すくらいの勇気と行動力を持てるとよいのですが・・・。

2.若者の職の機会を減らし続ける企業の論理

 二番目の問題点は、「 モノ造り 」 が自動化、機械化、オートメ化、省力化して、手作業の労働の機会が激減してしまったことです。  競争だ、合理化だ、利益向上だ、コストダウンだ、外注だと叫んで、 各企業は更にいっそう、人々の安定した就職の機会を減らしてしまっています。  極め付けというか、とどめの一撃が、安価な労働を求めての生産拠点、サービス拠点の海外移転です。

 官公庁ですら最近は新規採用を控えるようになったので、日本国内でまだたっぷり就職の機会が残っているのは、 悪名高いあの特殊法人くらいなものでしょう。

 「 自分に適した・・・ 」 なんて事は言わず、「 とにかくまずモノ造りの現場で働いてみよう! 」 と考える、 意欲のあるまじめで立派な若者に対しても、 まともな就職口をどんどん閉ざしてしまうという、本当にひどい時代です。  厳しい競争が求める必然の流れとは言いながら、とんでもない国に日本はなってしまいました。

 「 このままでは日本全体が崩れてしまう 」 と気づき、反省が生まれ、 賢明な対策が編み出されることを私は切望しています。

3.「 我慢 」 を教えずに子供を育てた事のしっぺ返し

 三番目は、若い人の社会性が次第に未熟になってきているという点です。 幼い頃から兄弟姉妹も少なく、 親も子供の言うことを何でも聞いてやり厳しくしつけをしないから、 「 じっと我慢 」 の心を鍛えられずに体だけオトナになってしまっています。 忍耐、我慢が出来ないから直ぐにキレます。 学校でも放課後でも、先輩後輩関係に揉まれる機会が少ないから、二言目には 「 職場の最大の悩みは人間関係 」 だなんて、 すぐにベソをかく・・・。 職場は友達作りをするための場所ではないし、 好きな人たちだけを選んで付き合える仲良しクラブでもありません

 これら三つの難しい問題点を解決しない限り 「 ニート 」 問題は解決しないと思いますよ。 ねえ、杉村大蔵さん

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 ここまで書き上げて今朝のニュースを見ていたら、日本、米国、韓国、中国の4カ国の高校生の意識調査の結果が出ていました。  ( 2006年3月2日1時33分 YOMIURI ONLINE の引用 )

   日米中韓の4か国の中で、日本の高校生は学校の成績や進学への関心度が最も低いという実態が1日、 文部科学省所管の教育研究機関による意識調査で明らかになった。  米中韓では 「 勉強ができる生徒 」 を志向する傾向が強いのに対し、日本の高校生が最もなりたいと思うのは 「 クラスの人気者 」。  もっぱら漫画や携帯電話に関心が向けられているという傾向も表れており、“勉強離れ”が際だつ結果となっている。

 調査は青少年の意識研究などを行う財団法人 「 日本青少年研究所 」 と 「 一ツ橋文芸教育振興会 」 が昨年秋、 日米中韓の高校1〜3年生計約7200人を対象に実施した。

 それによると、「 現在、大事にしていること 」 ( 複数回答 ) として、「 成績が良くなること 」 を挙げたのは、米国74・3%、 中国75・8%、韓国73・8%に対し、日本は最下位の33・2%。 「 希望の大学に入ること 」 も、米国53・8%、中国76・4%、 韓国78・0%に対し、日本はわずか29・3%だった。

 「 いい大学に入れるよう頑張りたいか 」 という問いに、「 全くそう思う 」 と回答した生徒は、中国64・1%、韓国61・2%、 米国30・2%で、日本は最下位の25・8%。また、「どんなタイプの生徒になりたいか」を尋ねたところ、 米中韓は 「 勉強がよくできる生徒 」 が67・4〜83・3%を占めたが、 日本は「クラスのみんなに好かれる生徒」が48・4%でトップだった。

 逆に日本の高校生が他の3か国に比べ、「 非常に関心がある 」 と回答した割合が高かった項目は、 漫画やドラマなどの 「 大衆文化 」 ( 62・1% )、「 携帯電話や携帯メール 」 ( 50・3% )、 ファッションやショッピングなどの 「 流行 」 ( 40・2% ) など。米中韓でいずれも50%前後だった 「 家族 」 は、 日本では32・4%にとどまった。

 調査を担当した日本青少年研究所の千石保所長は 「 未来志向の米中韓に対し、 日本の高校生は現在志向が顕著で、『 勉強しても、 良い将来が待っているとは限らない 』 と冷めた意識を持っている 」 と指摘している。

補足A:( 2006年3月2日 毎日新聞朝刊 )

 日本の高校生は 「 希望するもの 」 として挙げた割合が最も高い 「 友人関係がうまくいく 」 でも4割を切った。  大学院を目指す割合も4カ国で最低の7.2%だった。 親友がいない割合は7.0%と最も高い一方、親からほめられたり、 期待を感じる割合も他国に比べて低かった。

補足B:( 2006年3月2日朝のTBS−TV番組 )

 「 どうにか暮らせるなら働きたくない 」 と答えた高校生が4分の1に近く、4カ国中最高だった。

補足C: 7年ほど前の同種の調査の結果: この当時の結果には、今回の結果同様、 他国の生徒たちよりも 「 親友作り 」 「 友達に好かれること 」 を特に重視するなどの特徴も出ていますが、 社会人になるため、勉強の必要性を高く認めているなど、今回よりも積極的、意欲的な態度も認められました。

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ここから下は、上の調査結果を読んで、 私が妻と話し合った内容です

 こういう情けない結果を見て、上記の千石氏のように、「『 勉強しても、良い将来が待っているとは限らない 』 と冷めた意識を持っている 」 と 評論するのは易しいことです。  でも 『 勉強しても、努力しても、良い将来が待っているとは限らない 』 のは、 昔からその通りであって、今に始まったことではありません

 ですが、『 勉強した方が、働いたほうが、それをしないよりは、良い将来が待っている確率がだいぶ高い 』 事もまた事実で、 これも、今も昔もそう変わらないと思います。 いや、つい100年ほど前までは、いくら勉強したくても勉強の機会を与えられない子供、 いくら熱心に勉強しても、生まれた階級次第で絶対にと言ってよいほど上には行けない子供ばかりの時代だったのです。  「 最近格差社会になりつつある 」 なんて言いますが、その当時に比べたらまだまだ雲泥の差です。  そのことを子供たちが実感できるように、親や教師たちはしっかりと話しかけ、 意欲と希望を持たせるようにして行かないといけないのでしょうね。

 ところで、「 良い将来 」 って、いったいどういうものを考えているんですかね。  まず千石氏にお尋ねしたいですね。 もちろん、それを高校生たちとも真剣に議論したいですね。

 それと、その「 良い将来 」 なるものが約束されなければ、 誰も勉強したり働いたりはしないんですか?  勉強とか仕事とかって、その為のものなのですか? そんな考えの子供たちばかりではないと思うのですが・・・。

 それにしても、「 どうにか暮らせるなら働きたくない 」 と、50過ぎの働き疲れたオジサンみたいなことを高校生が言うとは・・・。  私たちは 「 日本が豊かな国になったことがこれらの 『 諸悪 』 の根源 」 だと思わずにはいられません。  戦後、日本人たちが一生懸命働き続けてここまで豊かな国を作ったことの意味は、一体なんだったのでしょうか?  いったん手にした豊かさを捨て去ることはもう不可能なのでしょうか? それともこのままずるずると落ちて行けば、 黙っていても日本はまた 「 真摯で活力に溢れた貧乏国 」 になれるのでしょうか???


ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました