フリーマンの随想
私がTVの画面を見ながら思わず 「 ああ! 」 と嘆きの声を上げたのは、 武部幹事長が胡主席に迎えられ、彼と握手をしている姿が映されたときでした。 彼は握手をしながら少なくとも2回、丁寧にお辞儀をしたのです。 それに対し、胡主席は胸を張り、じっと相手の顔を見つめ続けていました。 握手しながらお辞儀をする・・・これが、はたから見ていると、いかに卑屈そうに見えるものか、 武部氏は全くわかっていないのです。 仮にも政治家の一人であるなら、 公式の場で周囲の眼に自分がどう映るかという点について、常に研究し、注意を払っていなければなりませんが、 彼は全くそういう気がない不思議な人なのでしょう。 彼の態度は、まるで家来が主君に呼びつけられた時のように、あるいは、 貢物を持参して大国の帝王に忠誠を誓いにやって来た属国の領主のように、私の眼に映りました。 この有様が、中国、日本はもとより、世界の多くの国で何億人もの人に 「 見られてしまった! 」 のです 意識のありようが態度に表れるのか、逆に態度が意識に反映するのか、その辺がこの場合どうだったか分かりませんが、 このような握手も一因となって、対等であるべき日本の立場や議論が哀願的、従属的に感じられてしまうことを恐れます。 本題に戻りますが、日本人にとっては日常的な挨拶であるお辞儀を、欧米的な挨拶である握手と、 決して組み合わせてはなりません。 「 外人 」 の前に出たときに限らず、日本人はついつい反射的にお辞儀をしてしまいたくなりますが、 握手をするときはこの癖を必死にこらえ、頭を下げないように努力すべきです。 握手しながら ( 自分だけが ) 頭を下げることが、どれほど周囲から、みっともなく見えてしまうか、 自分にはなかなか分かりませんが、他人がやっているのを横から見ると、それがよ〜く分かります。 数年前、島津製作所の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞したとき、海外の公式の場でやはり、 外人と握手しながら何度も最敬礼?をしている ( もちろん相手はお辞儀しません ) 映像を見て、 ( 彼の実直なお人柄からだとは思いつつも ) 「 海外生活もした人だというのに、何たること・・・ 」 と、 たまらない思いにさいなまれたことを、私は思い出します。 「 お辞儀も会釈もせず、背筋を伸ばし ( これが肝心! )、相手の目を見続ける 」・・・これが正しい握手の作法です。 にこやかな顔をするか、厳しい顔つきで握手をするか、それは相手との関係とその場の状況次第ですが・・・。 小泉首相は常にこれを正しく実行しているようです。 ついでに申上げると、男性は、相手と握手をしたいと思えば、誰に手を差し伸べてもよいというものではありません。 男性は、女性の方から先に手を差し伸べてこない限り、自分からは手を差し出さないものです。 女性が手を差し出してくれなければ、( 相手が日本人でない場合 ) お辞儀はせず、 にこやかな表情で相手の目を見つめ、丁寧に言葉を選んで挨拶するだけで十分です。 親しくなり信頼されてくれば、次回は女性の方から手を差し出してくる可能性が高まりますから、それを待ちましょう。 また、相手が男性であっても、自分より非常に地位の高い相手に対しては、 相手が握手の手を差し伸べるまでは手を出してはなりません。 また、普通の人にはそんな機会はないわけですが、 たとえば、英国女王というような例外的に高い身分の人から握手の手を差し出された場合だけは、頭を下げて握手をします。 また、女性の場合は膝を折り、頭を下げることは、ご存知と思います。 なお、一般には、ゲストに対してホスト側の方から手を差し出すものとされています。 もっとも、以上述べたことは、 いわゆる 「 欧米諸国 」 での話であり、文化や慣習がこれらと大きく異なる国では、 またこれとは違った作法が適切な場合があることでしょう。 以上、偉そうにいろいろ申しましたが、私も、 米国で生活を始めた初期は、この辺がよくわかっていなかった面もありました。 そうそう、もう一つ、ついでですが、冬柴幹事長が胡主席の発言中、盛んにメモを取っていたのは、いただけません。 ( 彼の癖なのかどうか知りませんが ) これでは通訳か書記と間違えられかねません。 主君のお言葉を聞き漏らすまいと畏まってお伺いしている家来のようです。 正確な記録は事務方が取っているはずです。 彼はじっと胡氏の顔を注視しているだけでよいのでした。 |