フリーマンの随想
1.ドクダンバ??? 3月18日朝、TVで経済番組を見ていたら、女性アナと対談していた若い男性解説者が、何度も 「 ドクダンバ 」 と言っていました。 「 やれやれ 」 と嘆きながらも、もしかして、独壇場をドクダンバとも読むのか?と思い、念のため、 大きな国語辞典を2冊開いてみました。 もちろん、そんな読み方はないと確認できたのですが、驚いたことに、独壇場という言葉も、元はといえば、 間違いが定着して出来た言葉!なんだそうです。 恥かしながら、私は今日までそのことを知りませんでした。 本来は、独擅場と 「 手扁 」 で書き、ドクセンジョウと読むのが正しいのだそうです。 手扁の擅などという文字は、めったにお目にかからないので、しょっちゅうお目にかかる土扁の壇と誤記され、 それがドクダンジョウと読まれて定着してしまったのだそうです。 「 独壇場 」 が現れた頃、きっと、多くの人が慨嘆したことでしょう。 なお、独擅場の擅は、同じ発音の占と同じ 「 占有する 」 という意味だそうです。 なるほど、場を独占することかと納得。 試しにパソコンに 「 ドクセンジョウ 」 と入れて変換してみたら、ちゃんと出てくるのですね。 お恥ずかしい。 と言う次第で、こんなことも知らなかった私に、日本語について語る資格などないのですが、 最近の日本語の変化などについて知りえた情報なども交え、いくつか、私見を書いてみたいと思います。 2.ファミレス敬語 ( 資料:2003.5.21 毎日新聞の長野智子 「 メディアの手習い 」 ) 「 こちら、ケチャップになります 」、「 カレーでよろしかったでしょうか 」、 「 1000円からお預かりいたします 」 などの言葉遣いについては、多くの人のさまざまな意見がありますが、 TBSラジオの調査では70%近くの人が、まことに聞き苦しいと怒っているそうです。 これらの珍表現の起源について、いろいろの人から寄せられたいろいろな説 ( 北海道の方言だとか、いや、名古屋の言葉だとか ) を面白く説明した後、長野氏が最後に紹介している衝撃的な実話は、次のようなものです。 何と、20年ほど前、ファミレスが増え始めた頃、某大手のR社が制作して社員教育に用いた接客ビデオに、 上記3つを含め、現在使用されている 「 変な敬語 」 は、すべてマニュアルとして録画、録音されているのだそうです。 しかも、それを作ったご当人が、長野氏にそのことを電話で知らせてきたのだそうです。 そのビデオで 「 敬語 」 を 「 教育 」 され 「 勉強 」 した人たちを通じて、 その後10年ほどの間に、これらが日本中に広まってしまったというのが、 真相だとのことです。 なお、同じ毎日新聞( 2003.6.5 夕刊 ) でも、国立国語研究所の吉岡泰夫氏が、 従業員のおかしな接客用語について述べています。 ここでは、ロイヤルホスト ( まさか、R社とはこれではないでしょうね ) で、 「 1000円からお預かりいたします 」 や、「 おたばこの方 ( ほう )、お吸いになられますか* 」 などを止めるように、 社員に徹底し始めたと、紹介されています。 でも、もう手遅れの感があります。 先日も、ある有料道路の料金所で、 どう見ても60歳以上の男性係員が私に 「 千円から・・・」 と言った時には 「 何であんた、 いい年して若い者の珍表現を真似たりするの! 」 と驚いてしまいました。 ( *:この部分も 「 ・・・なりますか 」 で充分と思います ) 問題は、店長も店員も、客が快くなるよう、自分で考えた自分の言葉で喋っているのではなく、また、おかしいかどうかも考えることなく、 マニュアル通りに喋って ( 喋らされて ) いることでしょう。 おそろしいのは、変な言葉が次の世代に伝わることです。 幼児の言語習得と同じことで、親や周囲の大人が、 キチンとした言葉を話し合っているのを聞いていれば、子供は自然に苦労なく、正しい言い回しを覚え、適切に選択できるようになるのです。 逆に、母親が鼻声で 「 それでェ、あたしとかがァ・・・ 」 なんて喋っていたら、子供は素直にそれを学び取り、使うようになるわけです。 そういう若者を雇うとなれば、レストランもマニュアルを作って押し付けたくもなるのでしょうが・・・。 3.ら抜き言葉 これが良いのか悪いのか、正しいのか間違いなのかという議論も、同様にもうさんざん語り尽くされていますので止め、 他の関連の有りそうなことを書きます。 私の住んでいる関東西部の田舎では 「 行く 」 の敬語を 「 いらっしゃる 」 と言わずに 「 行かれる 」 と言います。 この土地だけではないようで、三重県出身の友人も、そう言います。 「 ( ら) れる 」 には受身や可能のほかに尊敬の意味もあることは言うまでもありませんが、 当地では何にでも「(ら)れる」をつけると敬語になると考えているようで、ここに引っ越してきた頃は、 「 これ、食べられます? 」 などと聞かれると、実は 「 お食べになりますか 」 ( 尊敬 ) と勧められているのに、 「 食用になり得るか? 」( 可能 ) と聞かれているように思えて、強い違和感がありました。 最近問題になっている 「 ら抜き言葉 」 は、もしかすると 「 この鹿 ( 肉 ) は食べれる 」 と 「 ら 」 を抜くことにより 「 可能 」 を明示し、 「 ら 」 を抜かない 「 あの鹿は ( ライオンに ) 食べられる 」 で 「 受身 」 をあらわすことにより、 両者の混同を避けようとしているのかと考えたりもしています。 もしそうなら、前後関係、文脈から正しく区別して行くという能力が減退しているのでしょうか。 4.あいまい言葉 最近良く話題になるのは 「 ・・・とか 」 の乱用です。 NHKの若いアナウンサーまでが、原稿なしのくだけた対話のときには、 不適切に使ってしまっているのを耳にします。 「 ・・・とか 」 のほかにも「 ・・・みたい 」、「 ・・・じゃありませんか 」 などが、 話し手の側の断定を避ける気持、ひいては自信のなさに起因した用法だと、しばしば解説されています。 私は上記の 「 ・・・になります 」 もその一種かと考えています。 「 ございます 」 なんて生れてこのかた、言ったことがないからかも知れませんが、「 カレーライスで ( ございま ) す 」 と断定的に言わず、「 カレーライスになります 」 と言っておけば、それは、 自分にかかわりのないところで独りでにカレーライスになって現れてきた物であり、自分はただ運んできただけ。 「 それがカレーライスであること 」 に関して、自分は 「 アンカー 」 としての最終責任を持たなくてよいのですね。 TVで聞いた話ですが、調査結果によると、若者たちの間では、あいまい言葉を多用する人ほど友人の数が多く、 あまり使わない人は友人が少ないのだそうです。 自分も他人も傷つきたくないからあいまい言葉を使っておくのが、 友人関係を浅く広く保つ結果になるのだそうです。 自分の考えや意見を自信を持って強く主張しない ( できない ) のが、日本独特の心情であり、 特質 ( あえて言えば欠点 ) だと、私は思っています。 ですが、日本以外のどこの国でも、とくに若者は、自我や信念の主張が、 強過ぎるくらい強いのが普通だと思うのですが・・・。 日本の学生も、30年くらい前までは、そうでしたよね。 5.アクセントがあてにならないアナウンサーも NHKのアナウンサーと言えば、正しいアクセントを使えるものと信じていましたが、最近はそうでもないようで、 先日も同窓会で一人の友人から批判が出て、ひとしきり、その話題に花が咲きました。 特に私が最近気になっているのが 「 熱い 」 ( および 「 暑い 」 ) と 「 厚い 」 の発音の混同です。 単独だと間違えないのに、その後に名詞がつくと、とたんにあやふやになります。 生放送だけでなく、 事後の訂正も利くはずのナレーションのアフレコですら間違っているのですから、困ったものです。 先日も 「 NHKスペシャル 文明@ 」という番組のナレーションで、「 帝国 」 のアクセントを、何度か、 「 定刻 」 のアクセントで発音していたので、思わず妻と顔を見合わせてしまいました。 帝国は、単独での使用や、前に形容詞や名詞がつく場合と違って、 後ろに 「 主義 」 などの名詞がつく場合には、定刻と同じアクセントに変わるので、こんがらかってしまうのですね。 他の職業の人なら、出身地によりいろいろのアクセントで話しても構わないのですが、アナウンサーや俳優だと、 これではプロとは言えません。 6.「 さん 」 と 「 様 」 は違う 先月、地元のY銀行の支店から私に電話があり、何とかいう会の会員になる資格が私にはあるから、それにならないかという話でした。 電話の主は、声から想像すると20際前後の若い女性でしたが、私の事を 「 熊井さんは・・・ 」 と、何度も繰り返すのです。 ご当人は丁寧に呼びかけているつもりなのでしょうが、自分の孫ほどの年齢の行員に 「 ・・・さん 」 と呼びかけられ、入会を要請されて、違和感を感じない年長の顧客は少ないのではないでしょうか。 小さな旅行社や証券会社の若い社員たちだって 「 お客様は・・・ 」 とか 「 熊井様が・・・ 」 と、客に向って言いますがね。 私は、もうそのことだけで、説明を聞く気にもならず、早々にことわって電話を切りました。 マニュアルではなく 「 客が快くなるよう、自分で考えた自分の言葉で喋って・・・ 」 と、上に主張しましたが、 それが旨く出来ないとすれば、やはり彼女の周囲にいる上司が何とか教えてあげるべきなのでしょうか。 悩ましいことです。 それとも、あの銀行の中年の上司たちも、あれが聞こえていても、何とも感じなかったのでしょうか。 あるいは、あの女性はアルバイトか何かで、独りで別室で電話を掛けていたのでしょうか。 7.券売機 (Apr. 8 追加) いまや、ちょっとした駅なら日本中どこにでもある券売機。 この券売機という言葉に違和感はありませんか? ( 乗車 ) 券 ( を ) 売 ( る ) 機 ( 械 ) だから、いいじゃないか、当然だよと思う人も多いでしょうが、この言葉は、 例外的な構造をしています。 同じ駅の中にある出札口という言葉を考えて見ると、これは、札 ( を ) 出 ( す ) 口のことです。 出は動詞で札はその目的語です。 中国語では、英語その他の多くの言語同様、通常、動詞が先で目的語は後に来るのです。 この言葉が生れたと思われる明治時代の平均的な教養というか、漢文に培われた常識からすれば、 札出口でなく出札口が当然の語順でした。 検札や改札口などもそうです。 駅関係以外でも、立法府、顕微鏡、洗面所、消毒薬、受話器、送電線、登山靴、航空機、送水管、 進水式、拡声器、貯金箱、操舵席、植樹祭 駐車場、受験料、卒業式、着地点、映画館など、数えだすときりがありませんが、 非常に多くの ( 多くは明治維新後に作られた ) 3文字から成る名詞がそうだということが分かります。 春を売る婦人が売春婦なのだから、券を売る機械は 「 売券機 」 が、伝統的な造語法からすれば妥当だったのです。 でも、もうこれだけ普及し定着してしまったのですから、変えようもありませんが。 券売機と似た構造の言葉は、なかなか思い出せませんが、たとえば油送船などは、 昭和に入る前後の頃に作られたと思われる言葉です。 日本人から漢語、漢文の素養がなくなりだしてから、こういう語順の造語がされるようになってきたのでしょう。 TVの 「 受像機 」 などは、受信機という言葉が存在していたから、その延長上で受像機になれたので、もしそうでなければ、 像受機にされてしまっていたかもしれません。 8.キヨスク (Apr. 8 追加) 駅の券売機のことを書いたついでに、JRの大きな駅でよく見かける 「 キヨスク 」 について書いておきます。 これも、券売機同様、もう今からでは直しようもないのですが、本当はキオスクと命名すべきでした。 旧国鉄の幹部が北欧だかの鉄道施設の視察に行き、駅の売店がKIOSKと称されているのを見て、 国鉄の駅にそれまであった鉄道弘済会の売店を改名したと、1973年当時、新聞で読んだ記憶があります。 KIOSKという言葉は、元はイランでペルシャ語で庭園に建てられたパヴィリオン、それがトルコに入りトルコ語では夏の別荘、 更にフランスに入って公共の場に作られた物売りのスタンドを呼ぶようになり、これが欧州に広まったと、 私の持っているウェブスターの英語学百科辞典では述べられています。 その辺のことはともかく、KIOSKが、なぜキオスクでなく、 キヨスクにされてしまったのでしょうか。 多分、この方は、母音のIとOを続けて発音することが出来にくい地方のご出身だったのでしょうと、私は想像します。 私の推測では、四国あたりのご出身ではないでしょうか。 この方はイオと発音できず、あるいは、発音することに抵抗感があり、 Yを挿入してイヨと言い、書くしかなかったのでしょう。 偉い方のご提唱でしたから、誰も異論を唱えられなかったのではないでしょうか。 同じようなことは 「 場合 」 の発音でも見られます。BAAIと、Aという母音が二つ重なる事を嫌う人 ( 地方 ) があり、 その人たちは、Yを挿入してバヤイ、あるいはWを入れて バワイ と発音していることは、ご承知の通りです。 日本語にする時、素直に 「 キオスク 」 としておけば、 KIOSUKUという音声を耳で聞いた時、ちょっと勘の良い外国人なら、ああKIOSKのことだなと想像できるのではないでしょうか。 でも、KIYOSUKUと発音されたら、もう絶望的です。 余談ですが、DOCUMENTATIONの日本語表現を ドキュメンテーションではなく、ドクメンテーションにすることを提唱されたのは畏友平山健三博士でした。 こうしておけば、外人に学会名をローマ字で紹介するときDOKUMENTESHONと表記され、これなら、たいていの外人には DOCUMENTATIONのことを日本語ではこう書くのかと、意味を推測してもらえるからだというのです。 |