フリーマンの随想

その57. 年末雑感


* 書きとめておきたかったこと7つ *

(DEC. 19. 2003)


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 年末だからまとめて・・・という訳でもありませんが、最近の体験や見聞をもとにした 「 雑感 」 とでもいうようなものです。  わざわざ一つのページを起こして述べるほどの内容でもないけれど、一度は書きとめておきたいと考えていたことばかりです。  短いものを7つほど載せます。

 60年前の級友たち
 --------------------12月8日とは ?
 --------------------------------------ビタミンE+ビタミンC
 ------------------------------------------------------------飼い犬に手を噛まれた弟
 なぜ逃げるのだろうか
 ------------------------裁判員制度のこと
 ---------------------------------------------座談会で言いたかったこと

 

1.60年前の級友たち


 茅ヶ崎に住むT君から電話があった。 群馬県高崎市のC小学校を一緒に卒業した仲間たちが20人ほど集まり、 2泊で県内の三の倉と伊香保の両温泉をハシゴするから、お前も参加しないかというお誘いだ。  昭和19年の夏、当時12歳になったばかりで小学校6年生の私は、両親や兄弟、級友たちと別れ、 たった一人で、伯父の家に預けられ、東京から高崎に移り住むことになった。 いわゆる 「 縁故疎開 」 というやつだ。

 伯父夫婦と従姉妹以外は誰一人知る人のいない、異境への 「 単身赴任 」。 ただで世話になるのは肩身が狭いので、毎朝早く起きて、 広い庭の掃除をし、放課後は県内屈指の大きな呉服屋だった伯父の店の手伝いをした。 番頭以下、 女店員を主体に20人ほどいた店員たちは、社長の甥だというので、皆、私を可愛がってくれた。  でも、親とは半年に1度くらいしか会えなかった。 電話などもちろんなく、手紙だけが親子の間の交流だった。

 小学校では次第に友人が出来てきたが、翌年3月に卒業するまでの間だから、たった7カ月ほどの付き合いの後、 彼らとも別れ別れになった。 東京から突然紛れ込んできた私から見ると、彼らは皆、純真で逞しい、運動能力の優れた少年ばかりだった。  「 陰口 」 や 「 からかい 」 は多少受けたが、いじめられた記憶はない。  むしろ、孤独な私をかばってくれる 「 おとこ気 」 のある者もいた。 

 教室では休み時間に毎日のように喧嘩があった。 そのたびにクラスの中の何人かの 「 顔役 」 の一人が仲裁に割って入り、 放課後に野原で1対1の 「 決闘 」 で勝負をつける段取りを決めた ( 2人以上が1人を相手に闘うような卑怯なことは決してなかった )。  野原での決闘では、顔役が審判となり、重大な怪我になる寸前に判定を宣告し、 決着がついて両者は納得し 「 手打ち 」 となった。 そう、あれはもう、まさに 郷土の英雄? 国定忠治 の世界だった。  ぞろぞろついていった他の級友たちは立会人兼観客だった。  私も恐る恐るついていって見物した。 そういう 「 ショウ 」 を毎日のように観に行っているうちに、 東京から紛れ込んできた軟弱な男の子は、次第に精神的に鍛えられていったように思う ( 戦後東京の中学に転校したときは、 しばらくの間、周りの者が皆、ひどく弱虫に見えた )。

 その旧友たちのうち、首都圏に住んでいる者が10人ほど、毎年暮れに新橋の某所に集まり忘年会をするようになっていて、 7年前、米国から戻って無職になったばかりの私を、そのうちの一人S君が誘ってくれた。 50年以上前、 たった7カ月しか一緒にいなかった私を思い出して、呼んで仲間に入れてくれたのだ! これも忠治的な義理と人情だろうか。  それはとても楽しい集まりだった。 そして今年はついに、高崎に住んでいる人たちも含めて、 おおぜいで正月早々2泊の豪遊?をしようと言うのだ。

 「 どう? 熊井君も来ない? 」( 高崎弁ではコナイでなく キナイなのだ )  「 もちろん行くよ! 」


2.12月8日とは ?


 TVで 「 今日12月8日はどういう日でしょう? 」 と、何人かの人にインタービューしていた。  私は、当然 「 太平洋戦争の開戦の日だ 」 と、誰かが答えると思っていたが、誰も答えられない。  そのうち、正解が披露された。 正解は、何と 「 今日は、あの ジョン・レノン が亡くなった日ですよ 」 というものだった。  唖然とした。 そう言えば、朝の毎日新聞にも、太平洋戦争開戦の日のことは何も出ていなかった。  いや、出ていたかもしれないが、私の目にとまらなかったほど小さかったのだ。

 私が米国に住んでいたのは1988年から96年までだったから、まだ僅か10年ほど前の話だ。 それでも、 町の小さな地方新聞ですら、12月7日 ( 時差の関係で開戦は1日早い ) の新聞には、毎年必ず、写真とカラーの挿絵入りで、 見開き両全面で日本の真珠湾攻撃の状況が事細かに解説されていた。 この日だけは、会社に行ってもなんとなく肩身が狭かった。  今でもこの掲載は続いていると思う。

 そして、この12月7日だけは 「 夜、街をなるべく歩かず、家にこもっていなさい 」 と、日本人駐在者の先輩から注意され、 日本人同士で、そう伝えあっていた。  ふだんは、本当に温かく親しみ深く付き合ってくれている米人たちだが、そのごく一部の者たちであろうとも、 この日だけは酔ったりすると冷たい復讐者に変わる可能性があるのだった。 すでに終戦後50年もたっていたのに・・・。

  日本人は、本当に淡白で忘れっぽい人種だと、あらためて思う。


3.ビタミンE+ビタミンC


 私達夫婦は、この15年間、毎朝、ビタミンEとビタミンCを服用している。  米人たちから 「 老化防止とともに回春効果もあるよ 」 と言われて、騙されたつもりで飲み始め、いつしか習慣になってしまった。 当時、ビタミンEは日本ではまだあまり手に入らなかったのに、米国では極めて安く手に入ったので、 日本への出張の際の家族、親戚、同僚、友人たちへの土産は、小さな瓶入りのビタミンEカプセルが主役だった。

 ビタミンEとビタミンCは、ともに、最近話題の 「 活性酸素 」 を食い、消滅させる効果がある。  もう半世紀以上前から、各種の有機物の老化防止剤として、カテキンなどのフェノール類などと共に、 化学の世界では良く知られている化合物である。 しかも、この両者は併用するとシナジー ( 相乗 ) 効果があり、 1+1が3にも4にもなるのである。 このことは、私も若い頃、実験して効果を確認したことがある。

 だから、あの時、素直に米人の言うことを信じたのだと思う。  さて、15年間飲み続けて、老化防止効果は果たしてあったのだろうか?  残念ながら、服用した自分と服用しない自分とを並べて観察することは不可能だから、何とも断言できない。 しかし、 私ども夫婦は、現在、なんとなくではあるが、このビタミンE+ビタミンCの長期服用効果を確信するようになっている。  もしこれを続けていなかったら、皮膚のシミもシワも、今よりずっと多くなっていたのではないか、 自分たちはもっと体全体が老けこんでいるのではないか・・・と考えている。


4.飼い犬に手を噛まれた弟


 親は、子供に、3歳くらいまでに、食欲、物欲などの欲望を我慢することと、 親の指示には 「 ハイ 」 と素直に従うことを教え、 それを身に付けさせなくてはなりません ( そうしつけたって、時期が来れば反抗するようになるし、大切な独立心は自然に湧いてきます )。  よく言われることですが、犬のしつけと全く同じで、犬に 「 お預け 」 を教え、 「 ヨシ 」 と言われるまで食べるのを我慢することを覚えさせることや、散歩のとき犬が人間を引っ張るのではなく、 人間が犬を引っ張るようにすることなどが大事だそうです。 こうしておけば、犬は飼い主をバカにすることは有りません。

 逆に、こういうしつけを幼犬の頃にしないで可愛がり甘やかすばかりだと 「 自分はどの人間よりも偉い 」 と考えるようになり、 成犬になったとき、ちっとも人間の制止を聞かず、それでも聞かせようと強制すると、飼い主にまで噛み付いたりします。  私の弟の飼い犬が、まさにそうです。 私の見ている前で、わがままを止をした弟の手に噛み付き、相当の出血でした。

 人間も全く同じで、幼児のとき我慢と規律、序列を教え込まないで甘やかしてばかりいると、成長してから、 ひとの注意を聞かなくなり、注意を与える親や教師に殴りかかったりするような人間になります。 こうなってからでは、もう手遅れで、 とにかく、幼児の頃は、抱きしめ強い愛情を伝え続けると同時に、社会の良き一員になれるよう、欲望を我慢するこや、 目上の人の注意には素直に従うことなどを、厳しくしっかりと教え込まねばならないと思うのです。

 先生の制止を聞かず教室内で騒ぎ、歩き回る小学生、母親が注意すると 「 お前は黙ってろ! 」 などと怒鳴る少女、 欲しいものは万引してでも売春してでも所有したがる女性、素行を注意した親や家族に殴りかかる若者、逆に、 上役にちょっと叱られたくらいで自信をなくし、くじけてしまう社員、友人に少々批判される事にすら耐えられない弱い人・・・  こういう人たちは、皆、親の幼児教育が間違っていたため、忍耐、我慢、 抑制、思いやりなどが出来ない人間に育ってしまったのでしょう。  親が 「 三つ子の魂 」 を立派に育てることは、難しいけれど、この上なく大切な仕事だと思います。  それが出来ないと、昔から 「 親の顔が見たい 」 と言われてしまうのです。


5.なぜ逃げるのだろうか


 運転中、違反をし、あるいは違反の疑いをかけられて、警官に停止を命じられた時に、急にスピードを上げて逃走を図り、 追いかけられ、挙句の果てに無関係な人を轢き殺してしまったり、塀にぶつかって自分が死んでしまったり・・・という事件が、 最近頻繁に起こっています。

 米国のカーチェイス映画の見すぎなのかどうか知りませんが、米国のハイウェイや荒野ではあるまいし、 この狭い混雑した日本の道路で警官を 「 まこう 」 などとは、所詮無謀だし危険極まりないことです。  それなのに、わりと気軽に逃走を企てる人が多いのはナゼなのでしょう。

 驚いたことに、逃走中赤信号を無視して起こした重大事故について、先日もNTVの某キャスターが、無謀な犯人を責めるのではなく いきなりまず 「 警官の追跡は適正だったのでしょうか 」 などと言い出だしました。  これについてNTVに質問のメールを送りましたが、返事はもらえませんでした。

 ミュンヘンオリピックでテロがあった時の事ですから、もう何十年も前のことですが、私がドイツに出張したとき、先方の事務所の人が、 私が着くなりまず最初に注意をしたのは 「 街で警官に呼び止められたとき、言葉が分からないために、そのまま歩きすぎようとしたら、 その場で射殺されるかもしれませんよ。 警官に声を掛けられたら、何も悪い事をしていなくても、 とにかく立ち止まり指示に従いなさい 」 と言われたことを今でもはっきり覚えています。

 米国の警官も、軽いスピード違反程度のときは、日本の警官より遥かに丁重に取り調べますが、私の友人が夜間、 なんとなくフラフラ運転していたら、麻薬に陶酔して運転している ( Driving Uunder Influence ) のかと疑われ、 パトカーに緊急停車を命じられました。 そのときは、2人の警官に有無を言わさず車外に引きずり出され、 ボンネットに両手をつかされ、拳銃を突きつけられて身体検査をされたと聞きました。「 少しでも反抗したら射殺されそうな剣幕だった 」 と言っていました。

 最近、日本人の中には、違反が見つかり警官の命令を受けても、それを真剣に受け止めず、理由もないのに反抗したり、 逃げたりするという風潮が出ているように思います。 また、逃走させまいと警官が発砲したりすると、すぐにマスコミが文句を言います。  そこで、警官が萎縮してしまい、犯人に逃げられたりする・・・すると、ますます皆から甘く見られる・・・ こういう悪循環が起きているように思います。

 悪いこともしていないのに警官に呼び止められたとしても、逃げずにキチンと説明するようにすればよいのです。  警官の判断が間違っていたり態度が悪かったりするならば、落ち着いて説明し、抗議をすればよいのです。  とっさに逃走を図る人たちは、もしかすると、不幸にも生まれてから一度も注意され叱られた体験がない人なので、 つい、こういう行動に出てしまうのではないかと思ったりするのですが・・・。


6.裁判員制度のこと


 司法制度改革の一環として、日本でも、裁判における判決を、 裁判官の一存ではなく一般国民の代表の参加と討議を経て行おうという 「 裁判員制度 」 が検討されている。

 これは、米国の陪審員制度と似たものとか思う ( 詳しく言うと、米国の制度では陪審員が協議して有罪か無罪かを決める。  今回日本で提案されている裁判員制度では、裁判官と裁判員とが協議して有罪か無罪かを決めるらしい )。  私は、まだよく勉強していないので、ここでは裁判員制度についての賛否は述べないが、 米国での私の変った体験をお話してご参考に供したいと思う。 年金問題などは、現在、マスコミも熱心に報道し、 国民こぞって議論に明け暮れ、問題点を多くの人が知っているらしいが、この裁判員制度については、ごく一部の人たち以外は、 わりと無関心のように見える。 だが、いつの間にか制度が変わってしまい、ある日びっくりして後悔してももう遅い。

 私が米国に住むようになった翌年だから、1989年のある日のこと、郵便受けに見なれぬ書状が入っていた。  開いて読むと 「 あなたは厳正な無作為の選出により、これこれの裁判の陪審員に選ばれましたので、何日にどこそこに出頭し・・・ 」 というようなことが書いてある。

 慌てて、翌日、会社の弁護士に、どうしたものかと聞いたら 「 これはあなたが外国人だということを知らずに選んでしまったのだから、 断われます。 外国人は陪審員になれません 」 という。 ホッと一安心したが、 もし私に米国籍があったらどうなのかと聞いたら 「 原告や被告と利害関係があるとか、精神病に罹っているとか、 よほどの理由がない限り、断ることは出来ません。 10日でも1カ月でも仕事を休んで参加するのが国民の義務です 」 と言われた。

 その後もいろいろな人に聞いてみたが 「 裁判によっては、外界からの雑音に左右されないよう、 判決が出るまで、陪審員は非常な長期間、全員1箇所に缶詰めになり、家に帰ることも出来ない。  家族と電話することすら出来ない 」 とか 「 何かと忙しいまともな社会人は、何とか理屈をつけて断ってしまい、陪審員になるのは、 結局、手当て目当ての失業者とか、暇な主婦とかばかりになる 」 とか、100%本当かどうか知らないが、ネガティブな話ばかりだった。

 米国人のような 「 裁判大好き国民 」 ですらそうであるなら、 日本人の多くは 仕事優先、裁判嫌い、自分の意見を主張するのが不得意 だから、 まともな職業人はみんな逃げてしまい、嫌がらずに残って裁判員を引き受けるのは、国民全体から見れば、 非常に偏った人たちばかりになりそうである。  それとも、無作為な選出で決まったら、嫌だと言っても強制的に参加させられるのだろうか。  そんなことになったら、不貞腐れてしまい、まじめに議論や評決に参加しない人も出てくるのではないだろうか。

 現在は、裁判官3+裁判員4がよいか、それとも2+7にすべきか、というような議論ばかりで、 ここに述べたような話は今、あまり議論されていないように思われる。


7.座談会で言いたかったこと


 私と家族の近況の部分 に、12月30日に書きこむ予定ですが、 10月30日に丸の内の経済同友会で行われた 一票の格差是正をめざしての座談会 「 投票価値の平等は民主主義の原点 」 に、私は3人のメンバーの1人として出て、いろいろ発言してきました。 その内容は、印刷されて、 会誌 「 経済同友 」 の11月号 ( No.652 ) の5〜10ページに掲載されましたし、要旨は、 同友会のお許しを得て、 ここに掲載 してあります。

 その座談会で私が発言したのですが、紙面の都合その他の理由でで載らなかった部分を、ここに書いておきます。

 それは、若い人を中心に投票率が低いという点に関連した意見です。 私の考えでは、その主因は、若い人たちにとって、 現在の政治状況が、まったく期待がもてないからだと思うのです。 政治に期待が持てないから彼らは投票所に行く気が起きないのです。  一方、政党や政治家の側も、若い人たちへの顔の向け方が少ないのではないかと、私は思っています。  高齢者が増えているし、また、高齢者は投票率も高いからでしょうか、各党のマニフェストなどのハイライトは、 年金、介護、医療、その他、突き詰めると 高齢者向けの政策ばかり とさえ言える状況です*。

 これに対し若者の未来にとっての最大の問題は、若者の安定した雇用、就職の機会が極端に減ってきている事と、 幸い正社員として定職を得た人たちが、連日深夜まで働き詰めだということだ* と私は思うのですが、 そういう日本の将来に直結する重大な問題を、政党や政治家は真摯に考え、政策のトップに挙げることをしません。

 企業は合理化、コストダウンにばかり熱中し、切り詰めた少数の社員を連日深夜まで働かせて疲労困憊させ、その結果家庭を空洞化させ、 結婚をためらわせ、少子化に拍車を掛けている一方で、正社員の新規雇用を減らしてパートやフリーターの増加を助長しています*。  この、 日本をダメにしてしまう、世界の先進国には稀な社会現象 に対し、 正面から何とか手を打とうとマジメに考え、具体的に提言してくれる政党や政治家は皆無に近いと思います。  彼らが、20〜40代の若者を、本当に大事だと考えているとは思えません。

 つまり、政治の側が若者の現状と将来に対し、全く親身になっていないのです。 一方、若者も政治に失望しきっていて、 投票所に行きません ( だから、政治家たちは彼らの票を当てにしていません )。  この二つは、前者が後者を生み、また、後者が前者の原因となっています。つまり、良く言われる 「 鶏と卵 」 の関係です。  このことを私は声を大にして叫びたかったのですが、肝心の座談会の主題は 「 一票の格差 」 であり、 それとは少々外れる話なので、発言はしたけれど、表に出てきませんでした。

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*: 税制面での優遇、医療費の補助に始まり、地域によっては公共輸送機関や公共施設まで老人は無料になっています。  この国が老人を大事にし優遇するのを悪いとは言いませんが、 それ以上に次世代を担う若者を ( 甘やかすのではなく、機会を与えて ) 真に大事に育てる国でなくてはいけません。

 なお、教育問題は、実は若い有権者たちの切実な問題ではありません。 高校や大学の教育は、彼らにとって、終ったばかりの過去の話です。  一方、子供の教育問題は、20代の人たちにはまだ 「 自分の切実な問題 」 とはなっていません。  ですから、日本における教育問題の論議は、実は、中高年による中高年向けの論議なのです。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。