フリーマンの随想

その48. 拉致家族の帰国問題


* 何が事態を復元させにくくしたのか *

(10. 19. 2002)


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半年あまりも、事情があって随想を書くのを中断していましたが、どうしても書きたいという気になりました。

{1番目の話}

もう14年も前、私たち夫婦が米国に住み始めた当初、不思議に思ったことが幾つもありました。 黒人たちの意識に関わるいくつかの違和感?もその一つでした。

米国の黒人たちは、数十年前までの呼称 Negro を忌み嫌って拒絶し、更には近年の呼称 Black も避けるようになって、 最近は自分たちのことを African American と呼ぶようになり、また白人たちも公式には黒人をそう呼ぶようになったのですが、 では黒人たちが自分たちを 「 アフリカ人 」 であると意識しているのかというと、決してそうではないらしいのです。  以下は私の個人的、主観的な印象と判断だということを、最初にお断りしておきます。

彼らの多くはごく単純に 「 自分たちはアメリカ合衆国の国民だ 」 とだけ考え、それを大なり小なり誇りにして生活していると思うのです。  勿論、それは自然のことだと思えますし、彼らがそう考える権利もあります。  だけど・・・と私たちは思いました。 だけど、非道に拉致されて連れて来られた奴隷の子孫として、 ごく最近まであれほど苛酷に差別され続けていたのに、その国を自分の祖国と考え、愛し、誇るとは、なんとも不思議だと・・・。

彼らは 「 諸君の先祖の地アフリカに帰りたいか 」 と聞かれたら、たとえ莫大な金をやるからと言われても、 たぶん、100% 「 NO! 」 と言うと思います。 それは今、アフリカ諸国が極めて貧しく不穏だからではありません。  仮にそれらの国々が豊かで平和であっても、きっとNO!と言うに違いないと想像します。*1

私たちは当初、彼らは 「 自分たちは無理やり拉致されてきたアフリカ人の末裔だ 」 と思い、 そのことを今でも恨み、鬱屈した人生を米国で送っているに違いないと思っていました。  もちろん、当初の黒人奴隷たちは、白人を恨み、故国に帰りたがり、絶望の中に死んでいったのでしょうが、 何十世代も経た今の黒人たちは、大分違うらしいのです。 日系人だって3世、4世となると 「 自分たちは米国人だ。日本人ではない 」 と考える人たちがほとんどだそうですから、黒人奴隷たちも、 ニ、三世代たつと、次第にアフリカに戻りたいとは思わなくなったのではないでしょうか。

彼らは現在、同じ米国人なのに黒人であるがために差別されていることには、 大きな不満を抱き頻繁に抗議し訴訟を起こします ( どこでも日常茶飯事で珍しくもないから、 よほどの事でないとニュースにもなりません ) が、 先祖が奴隷として苦役を強要されたことに対しては、ときどき思い出したように怒る程度で、 それはむしろ珍しいことだからニュースになります。 しかもよく読むと、当時の無償の苦役の強要に対して補償しろと憤っているのであり、 非道に拉致されたこと自体に対する慰謝を訴えているのではありません。 また、アフリカ諸国に過去の暴虐行為を謝罪せよと言っているのでも有りません。*2

今でも覚えていますが、アフリカの幾つかの国が飢餓に喘いだとき、真っ先に支援の運動を始めたのは白人たちであり、 黒人たちは、全く無関心と言ってもよかったのでした。 少なくとも私たちの住む地域では、黒人たちはほとんど何も寄付しませんでした。  私たちは 「 仮にもし、日本が危機的な飢餓に陥ったら、海外在住の入植者、移住者 たちの子孫、つまり日系人たちは、きっと率先して何らかの支援をするだろう 」 と想像していた ( 今でもそう思う ) だけに、 このことが実に不思議でなりませんでした。 というわけで、私は、彼ら 黒人たちは、"Roots" はともかく、自分たちは 「 アフリカ人 」 だとは考えていないらしいと思うようになりました。  我々日本人の血統尊重の感覚とは違い、米国人として米国に暮らす彼らにとっては  「 生まれ、育ち、暮らしている国こそが自分の国 」 なのでしょう。*3

{2番目の話}

私と一緒に米国で働いていた、同じ会社の日本人社員の中には、若い頃米国駐在となり、何らかの理由で、他の人々のように 5年か10年で日本勤務に戻ることなく、20年、30年と働き続けた人たちがいました。  幼児の頃米国に移り ( 一部は米国で生まれ )、そこで育ち、教育を受け、就職をした 彼らの子供たちは、当然ながら日本語もあやつれるし、国籍も顔つきも日本人ですが、日本に帰りたいなどとは決して考えません。  ある家では、子供たちは、私どもが話しかける電話の日本語の意味を理解できますが、口をついて出てくる答えは英語です。  家庭でも両親とは日常、英語で話しています。  というわけで、両親も、定年になっても、日本に帰れないと言うか、帰らずに米国に住み続けています。  中には、定年前に、日本に戻れと言う社命を拒絶して会社を辞め ( したがって生活は急に苦しくなるでしょうが、それでも )、 そのまま子供たちと共に米国に住み続けている人すら居ます。

米国に移ったときの親や子の年齢にもよるでしょうが、日本に帰って日本社会に再び融け込めるためには、 海外勤務期間はだいたい10年が限度です。 これを超すと、段々と日本に帰りたくなくなるような状況が生じてくるようです。

彼らは、親子とも、米国には友人が沢山いますが、日本に移って来たって、 親ですらもう友人は少ないし、子供たちに至ってはたぶん一人もいません。  子供たちは、米国では立派な大学を出て良い仕事に恵まれていますが、日本に移住したって、いまどき良い就職口があるとは思えません。  だから、親たちも子や孫に囲まれて暮らしたいと思えば、恐らく米国に住み続け、米国で死ぬことになるでしょうし、 子供たちは米国で日本人以外とも結婚したりしながら、子孫を増やして行くことになるでしょう。  彼らは、黒人の場合と違い、拉致されて連れてこられ奴隷労働をしているというわけではありません。 自由な社会に住み、 生活レベルもほどほどです。

{そこで・・・}

この二つの話を考え合わせながら、私は、北朝鮮から今回一時帰国した5人の方々は、この二つの話の中間のどこかに位置するように思うのです。  意思に反して非道に拉致されたという点では黒人と同じですが、奴隷労働はさせられておらず、ほどほどの暮らしをしているらしいこと、 子供たちが日本語を十分に習うことなく現地の教育を受け、成人してしまい、親との間ですら現地語を使って暮らしており、 日本に友人などいないという点では、日本人長期駐在社員のお子さんたちの例とよく似ています。

帰国問題について言えば、最終的には本人たちの自由意思が一番大切で、 周囲が 「 家族全員即刻帰国すべきだ 」 などと強要するのはよくないと思います。  このグローバル化の時代に 「 日本人だから家族全員日本に住むのが一番幸せだ 」  という、従来の日本人特有の発想だけでは理由として単純すぎると思います ( ただ、彼らが自由意志を貫きたいと考えても、 それが 「 大きな別の力 」 のためにできなくなるということも十分考えられ、そうなると、ますますお気の毒としか申せません )。

 信じられないような話ですが、この子供たちは現在、自分たちが日本人だということすら知らされていないといいます。  そういう人が、成人してから別の国 ( 日本 ) に移住し、言葉も分からず、 読み書きも出来ず、従ってたぶん良い職も得にくい中で暮らすことが、果たして幸せなのだろうかと心配になります。  もちろん、当人たちが、そういう苦労を十分理解し覚悟した上で、乗り越えようという堅い決意があるなら、帰国を歓迎し、 暖かく迎えるべきでしょう。 その場合、周囲の人たちだけでなく、政府も含め日本中が協力しなくては到底うまく行かないでしょう。  中国から帰ってきた 「 孤児 」 と同じ状況です。

拉致被害者たち ( 親たち ) についても、当人たちの冷静な判断を最優先させるべきですが、ましてや彼らの子供たちは  ( もちろん、今後、身の安全が保証される事が前提ですが )、 日本に帰らない方が幸せかも知れないと私たち夫婦は話し合ったこともあります。    私たちも8年間そうでしたが、子が成人した後なら、親子が離れて違う国に住むことになっても、 手紙や電話による自由な交信が常時でき、 1年に一度くらい、訪問し合って会えるのであれば ( これは結構難しそうですが )、互いに安心で満足できるのではないでしょうか。

考えてみると、第二次大戦終了以前に朝鮮半島から強制的に日本に連行されてきた人たちの子や孫たち ( いわゆる 「 在日 」 ) は、 今、韓国や北朝鮮に帰りたがっているでしょうか。  彼らの多くは日本語しか話せないでしょう。 父祖の生まれた国に戻ったって友人もいないし社会にも適応できないでしょう。  彼らが、時には差別で嫌な思いをすることが有っても日本に住みたいと考え、日本で働くことを選ぶのと同じように、今後、 日本人拉致家族の子供たちが北朝鮮に住んで働きたいと言ったとしても、 それは決して不思議ではないと私は思います。 大学生なら、せめて卒業してから考えたいと言ったって当然でしょう。  そうい子供たちに両親が 「 日本に帰ろうよ 」 と言ったとき、 もう幼児ではない彼らは、非常に苦しい決断を迫られます。  さらにもし、北朝鮮が彼らの自由意志も聞かずに日本に送り返すと決めたりすれば、 今度は住みたくても住めなくなって、いやいや日本に移り住むことになります。 上記の自発的意思の帰国の場合より、 もっともっと事態は深刻です。

それにしても、24年でなく、10年以内に今の状況が実現していれば、家族全員の帰国に、何の障害も無かったのに・・・と思います。  そのようなことは、残念ながら、たとえ日本政府や国民が何百倍も真剣に訴え行動していたとしても、 あの国が相手では起こり得なかっただろうとは思いますが、とにかく、 24年もの長期にわたり拉致し続けたというひどい仕打ちのために、事態が すっかり復元されにくくなってしまったのだと思うのです。

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*1: 19世紀前半、米国はアフリカ西部に11万平方キロの土地を買い取り、リベリア共和国という新しい 「 人工の 」 国家を作り、 解放された米国の黒人たちの一部をそこに送り返した。 戻ってきた人たちは果して今、幸せなのだろうか。 その土地の原住民と戻った黒人たちとの軋轢は、現在も続き、悲劇をかもし出している。 詳しくは、 http://www.aa.tufs.ac.jp/~imajima/atl_4.html などをご参照。

*2: 全米各地の黒人団体の指導者ら数千人が17日、首都ワシントンに集まり、 過去の奴隷制度に対する米政府の公式謝罪や国家賠償を求めてデモ行進した。 参加者は 「 米国は黒人に借りがある 」  などと書かれたプラカードを掲げて米議会周辺をデモ。奴隷制の下で先祖が強制された無償の苦役や、 現在も黒人社会の一部に残る貧困問題などについて国家の責任を糾弾した。 賠償方法についてまとまった見解はないが、 一部の団体は1兆ドル(約118兆円)を超える賠償金を要求し、黒人のための教育基金設立を主張している。  米国では今年3月、黒人奴隷の子孫が米企業3社を相手に、 約200年間にわたり奴隷制で利益を上げたとして損害賠償を求める代表訴訟を起こしている。 ( ワシントン発8.17.2002共同 )

*3: 国籍の決定について生地主義の国々は、カナダ、米国、ブラジル、イギリス、オーストラリアなど。 これに対し、 日本は血統主義の国であり、他にも中国、韓国、オーストリア、イタリアなどがこれである。

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