フリーマンの随想

その32. 声なき声


* 地方への利益誘導型の政治が終る *

(7. 28. 2000)


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一度は言いたい、書きたいと思っていたことなので 「 はたけ違い 」 で恥ずかしいという気持に鞭打って、まとめ、載せて見ました。

新聞を読んでいると、世の中の意識というか、庶民の声なき声というか、 そういうもののの迅速な変化に、ふと気づくことがあります。 庶民の関心の変化の兆しを敏感に感じとったマスコミが、 彼らを惹きつけようとして、その話題を盛んに取り上げ出すのかも知れませんし、逆に、 マスコミが繰り返し取り上げ出すと、彼らが急にそれを明確に意識し始めるのかも知れません。

最近の顕著な変化は「 都市住民が納めた税金が地方交付税の形で地方にばかり投入されている 」 「 財政投融資が採算を無視して不急の ( 時には有害な? ) 投資の形で無数の公団にジャブジャブと投入され、赤字が累積している 」 「 自民党はこれらの方式で地方から票を、 ゼネコンからは票と献金を集めることにばかり頼ってきたから、遂に都市部で敗北した 」 などという論調が、連日のように紙面を賑わわすようになったことです。 私には 「 今までちっとも問題にしないでおいて、なんで今ごろ言い出すの ? 」 という感じがしますけれど・・・。

一部の人々は、この問題を大分前から取り上げ、糾弾していました。 例えば数年前に週刊文春は3週連続の特集でこの問題を大きく取り上げています ( 97年 10/30;11/6;11/13号。 ここに出てくる驚くべき数字は全国民必読とすら思います )。 そして、何といっても、猪瀬直樹氏が自分の足で歩き自分の目で調べあげた力作 「 日本国の研究 」( 97年文藝春秋社刊、99年3月文春文庫、96年度文藝春秋読者賞 ) が、この問題を世間の目の前に曝す突破口になったのではと思います。
しかし不思議なことに、マスコミはその後も最近までこの問題にあまり触れようとせず、 上述のような論調はあまり目につきませんでした。 私が雑談の中でこの種の話題を出しても、 相手は 「 フウン 」 という感じで、あまり乗って来ない場合がほとんどでした。

所が、先だっての総選挙で、都市部で自民党が大きく退潮を示した途端、その理由づけとして、 思い付いたように、多くの新聞や週刊誌がこの種の主張を声高に連日書き立て始めた(*)ように、 私には感じられます。

一例 : [ 自民党の亀井政調会長や鈴木総務局長が 「 公共事業のどこが悪い。 東京や大阪は豊かな生活をしているのだから、地方に公共事業を持っていって豊かにする 」 という。 そんなこと言ったら都市の人は怒りますよ。 50年前の政治家を見ているようだ。 だから自民党は衆院選で都市部で負けたんだ ]( 石原都知事 : 7月17日毎日新聞3面 )

また一例 : 都市部で集めた税財源を地方に厚く配分する 「 農村型 」 政治の弊害は早くから指摘されながら、依然としてその実態に変わりはない。 「 過疎地域活性化特別措置法 」 によって、国土面積の46%、人口では6%の過疎地域に、 この10年間で総額36兆円を超す過疎対策事業費がつぎこまれてきた。 ( 7月23日 産経新聞社説の一部 )

また、この種の批判への反論も盛んです :「 公共事業批判など気にせず、 予備費5千億円を活用し、ふるさとを守らねばならない ( 青木前官房長官 ) 」。 どの紙面も誠に賑やかなことです。 ( ふるさとを票田と読み替えてみたらどうでしょうか )
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(*) これがきっかけになって、くすぶっていた庶民の声なき声が 「 公憤 」 となって燃え出し、 つい最近まで 「 多寡をくくっていた政治家たち 」 が、 急速にそれを無視できなくなって来はじめているのが今の状況でしょう。 象徴的なことに、竹下元総理の死去と関係があるかどうか分かりませんが、 20年ほども議論の種だったあの中海の干拓の中止を示唆する発言を、 上述の亀井氏すらが最近 行うに至りました (7月25日 各紙 )。


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というようなことで、いまや、猫も杓子も 「 都市の納税者よ、怒れ! 」 と叫びだしていますが、本当の所、肝心の都市の納税者の多くは 「 え? そんなことだったの ? 私たちって今までそんなに地方に捧げていたの ? 」 と驚いているという面もあるのではないでしょうか。

私は都知事の発言の中で 「 だから自民党は衆院選で都市部で負けたんだ 」 という部分にはちょっと疑問を感じます。 選挙当時、都市部の一般有権者の多くはこの 「 公共事業 」や 「 地方交付税 」 の問題をあまり明確には意識しておらず、自民党が都市部で負けたのは、 もっと他の多くの理由が集積したためだったと思うのです。 この種の話題が沸騰しだしたのは、上述のように選挙後のことです。

いずれにしても、こういうことは、感情に訴えて騒げば良いという種類の話ではなく、 冷静に事実を理解し、じっくり考えるべき話で、まあ、その為には、 上述の二つの文献でもゆっくり読んで、背景や現状についての知識を充分得てから、 落ち着いて議論するのが良いでしょう。 そうでないと、今度は振り子が逆に振れすぎて 「 地方放置 」 になり兼ねません。

「 都市 」 対 「 地方 」 という、興味ある、しかし感情的な扇動にはもってこいのこのテーマは、 遅まきながら今まさに論ずべき問題提起であると同時に、極めて危険な問題提起でもあり得ます。 私は現在、地方とも都市部とも言えない中間地帯に住んでいるので、 この問題を公平に考えられる立場なのではないかと思うのですが・・・。


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さて、都市部の住民たちは、どんなに通勤地獄や交通渋滞がひどくても、 土地や家がどんなに狭くて高価でも、深呼吸が出来ないほど街の空気が汚れていても、 そして、大震災などの災害への備えが不十分なままでも、都市に住みたがります。

彼らはもちろん 「 都市での生活は地方のそれよりはるかに便利で文化的で魅力的である 」 と考えています。 都会を離れて田舎に住みたいなんて考える人は変わり者と見なします。 そして、それらの魅力は 「 都市の住民と企業が納めた巨額の税金が、 戦後ずっと有効に使われ続けてきたお陰である 」 と、なんとなく錯覚して来たのです。

ところが、ちょっと注意深く考えれば分かることなのですが、 現代の都会が持つ 「 便利で文化的で魅力的な部分 」 は、すべてと言って良いほど、 戦後の民間資本の投入のお陰で生まれたものです。 政府が税金を使って下さったから出来たものではないのです。 百貨店、高級専門店、安売り店、ショッピングセンター、私鉄・地下鉄網、 高級なレストランやホテル、劇場、美術館、スタジアム、高層ビル群、近代的なオフィス街、 怪しげな歓楽街、あげればきりがないこれらの都会の 「 魅力 」 は、 ほとんどすべて民間資本により作られたものです。

民間投資以外で戦後東京都内に行われた巨大な投資といえば、旧国鉄のJR網の増強、 新幹線や高速道路や国道の一部、少数の国立劇場くらいではないでしょうか ( 書き落したものがあれば、ご教授・ご容赦ください )。 公園、国立の美術館、博物館などのほとんどは、戦前に出来たものです。

これに対し、地方に行けば、大規模農道・林道、水路、観光道路、文化センター、 大型の連絡橋、トンネル、空港、治水施設、美術館、体育館、球技場、自然公園、庭園、 休暇村や高級保養施設、農地や港湾の改良、干拓地など、真新しい施設が枚挙にいとまないほど見られます。 そのほとんどは民間資本によるものではなく、中央から各種のパイプを通って支出された金が、 全部あるいは一部使われて、最近出来たものばかりです。

一旦、この対比をはっきりと認識すれば、都市の住民たちは、 次回の選挙までにこの件が納得の行く決着への端緒を見せない限り、 もう黙ってはいないことでしょう。 次の選挙こそ 「 見もの 」です。

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「 一票の格差 」 を盾にし、公共投資という利益誘導を剣にして、 楽々と連続当選を重ねては年功序列で重要ポストに昇りつめてゆく地方選出議員と、 全くその逆の条件の下、毎回苦しい選挙ばかり強いられて出世できない都市部選出議員との相克も、 必ず近い将来爆発することでしょう。

とはいえ 「 都市部の稼ぎを地方に持って行って使う 」 という手法は、 本当に100%の悪なのでしょうか。 私は上述の亀井氏の居直り的な発言にも 「 3分 」 くらいの正当性はあるように思います。 地方のためにも日本全体のためにも、本当に必要で有益な公共事業が、 清廉に実行されるのであれば、誰も反対しないでしょう。

ところが現在まで長い間、住民の反対を押し切り、貴重な自然を破壊しながら強行する 地方選出の政治家と、無数の公団と、天下り官僚と、ゼネコンのための 見当違いで不急不要の ( 時には有害無益の ) 公共事業があまりに多かったので、問題なのです。 「 地方を疲弊から救う 」 という崇高な行為が、 数十年間も彼らの私欲のために汚され続けてきたのです。

しかし遂に、自民党の大物政治家ですら 「 公共事業を利益誘導の形で選挙区に運ぶことによって票を集める政治も限界に来た ( 加藤紘一元幹事長: 7月25日 各紙 ) 」 と率直に認めざるを得ない状況に至りました。
[ 「 国土の均衡ある発展 」 を名目にした地方偏重のいびつな国土政策を根本から見直し、 都市と地方の特性に応じた社会資本投資を確立することが、政治の責務である ( 産経新聞:上記 )] というように、マスコミもようやくこの問題を熱心に紹介し、 解説し、提言し始めました。

神奈川県の住民が年に1人6千円の地方交付税しか受け取っていないのに、 もと首相を出した某県の住民は23万円も貰っているのだという事実 ( 97年資料 )、 神奈川県14 区の有権者の1票の価値は、 その某県3 区のそれの40%の価値しかないのだという事実・・・・・・ こういう事実だけでなく、何故そうなのかという分析、どう直したら良いのかという提言などを、 マスコミも有権者も、今後もっともっと考え、論じて行くべきでしょう。 「 何でも、破局になるまでは何も騒がず、何もアクションを取らない 」 というこの国の伝統に忠実であってはなりません。

もう一度申しますが、都市の有権者達が一旦このカラクリの中身をはっきり知ってしまえば、 情勢は近い将来必ず変ると、私は予想します。 「 声なき声の変化を察知し対応する 」 ことができない政治は去って行くしかないでしょう。


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