フリーマンの随想

その22. カタルーニャの旅

* 感じたこと・考えたこと *

(Oct. 11. & 29. 1999)

長いので、本文が現れるまで、少々お待ち下さい


目次
前書き
1.カタルーニャ地方とは
2.先入・固定観念
3.なぜ一人旅か
4.「 食いまくり 」の旅 ( 写真 3枚 )
5.英語の普及
6.子供たちの底抜けの明るさ
7.落書き
8.日本人は結構上品だ
9.日本人は何故列車の中で眠るのだろう

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前書き ( これは11年10月度の 「 私と家族の近況 」 に最後の3節を付け加えたものです )

10月上旬に、パリを経由してスペイン南東部のバルセローナを中心にした、 いわゆるカタルーニャ地方を、一人旅してきました。 友人のU氏が紹介して下さったバルセローナに住む若い弁護士のV氏は、 以前金沢に住んだこともある、私の英語よりはうまいと思われる上手な日本語を話す方で ( 勿論英語も堪能 )、2年前に結婚したという奥さんは、日航に勤めていた日本人です。 このご夫妻が私との事前の e-mail 交信に基ずき、綿密なご手配と資料準備をして下さり、 あとは私を一人で自由に放り出してくれるという理想的な扱いをして下さったので、 私は毎日安心して、スペインの 「 ど田舎 」 の電車と徒歩の一人旅を満喫できました。 全く 「 持つべきものは良き友 」 です。

連日、ため息の出るほど印象的な景色、寺院、建築物、美術館などを見て回りました。 あのイタリアで倒れたちょうど2年前の 「 事件 」 以来 「 飛行機での海外旅行はもうマッピラ 」 という妻を連れて行けなかったのが本当に残念でしたが、 私にとっては2年のブランクのあとの、久しぶりの海外旅行でした。 腰の万歩計は連日1万4千歩 ( ゴルフ 1ラウンド程度 ) から1万8千歩を数えましたが、 毎日のウォーキングで鍛えた体が辛うじてそれに耐えました ( もっとも、帰国翌々日、 珍しくふくらはぎが ひどく つって、痛い目に逢いました )。

1.カタルーニャ地方とは

スペインは首都マドリッドを中心とするカスティージャ地方、東部のカタルーニャ地方、 南部のアンダルシーア地方、東北のバスク地方、それに西北のガリシア地方の五つから成り、 相互には、時には独立を目指す内戦の危機もはらんできたほどの大きな人種的、歴史的、文化的、 言語的な違いを持っています。 東京と京都の違いのような生易しいものでは有りません。 カタルーニャ地方でも、スペイン語ではなく、 カタランというスペイン語とフランス語の中間のようなカタルーニャ語が 学校教育も含めて一般的に使われています(*)。

前回イタリアに行く前には夢中で2カ月ほどイタリア語を勉強した私も、 この事を知った後はスペイン語を事前に学ぼうという気が失せ、無防備で戦ってみようという、 うまい 「 いい訳 」 が出来た次第です。

文化的には、ピカソ、ミロ、ダリなどの画家、カサルスのような音楽家、 それにガウディのような建築家など、 スペインの世界的に著名な芸術家の多くがこの地方の出身で、 また、中心地のバルセローナは、首都ではないが、商工業の面では、 スペインでダントツの都市ですので、人々の気位も高いようです。

(*)フランスとの国境に向って電車に乗って行くと、地名の綴りや文字が、 次第にスペイン語的なものからフランス語的なものに連続的に変って行く有り様が、 非常に興味をそそります( n の上に付く tilde がなくなり、 ny になる一方、 c に cedille が付いた字が現れてくるなど )。

2.先入・固定観念

事実、いろいろと予備知識を事前に仕入れていた私でも、着陸前の飛行機の窓から、 地中海の真っ青な海に面したこの都市の港湾に敷設されたガントリー・クレーンの数を数え、 周囲の工場群や船積みを待ち集結している無数の自動車を見るまでは 「 闘牛とフラメンコの国 」 という先入観念からどうしても脱しきれていなかったのでした。 ( これらはアンダルシーア地方の文化であり、 カタルーニャ地方にはほとんど無いのが当り前だったのですが )

スペインについての先入観念といえば、 私は列車の運行なども相当いい加減なのではと覚悟していたのですが、 どうしてどうして、毎回1分の誤差も無く時刻表通りに定時に運行していました。 普通列車の線路の幅も、車体の大きさも、内装も、新幹線こだま号並みでした。 バルセローナの地下鉄網も、立派で清潔でわかりやすく、大変便利でした。

日本の旅行用ガイドブックの撒き散らすもう一つの先入観念は 「 スリ、かっぱらい、詐欺師だらけのきわめて危険な地域 」 というものです。 うぶで危機管理音痴な日本人旅行者には、これくらい言っておかないといけないとは思うのですが、 これだって、ニューヨーク市内を歩く際の程度の知識と用心深さを持っていれば大丈夫です(文末 #参照)。

3.なぜ一人旅か

私だって一人旅は淋しいし、 まわり中を お熱いカップルに囲まれて黙々と一人食べる夕食時などは、 やるせない瞬間も有るのですが、未知の世界に自分を一人で放り出して、 次々に新しい情報の刺激に逢わせ、試練を乗り越えさせることで、 精神的な若さを保てるだろうと期待したのです。

スペインの田舎ともなると、行く先々で会う日本人は、 老いも若きもほとんどがツアーの団体バス旅行の人たちばかりで、 バルセローナから遠く離れた観光地を67歳の私が一人でリュックを背負って、 電車と徒歩で回っていると知ると、一様に驚くのです。 ですが、ちょっと気張り過ぎかもしれませんが、これが私が自分自身に課した試練でした。 地下鉄の路線図とにらめっこし、券売機の前で迷い、 田舎の町ではおばさんたちに手まねで道を尋ね、 時には間違った方向に行っては又戻りして、遂に目的地に着いたときの快感は実に爽快なものです。

4.「 食いまくり 」 の旅

ラテン民族の国なら魚料理とワインは旨いはずだと期待していましたが、 実際それは裏切られませんでした。 V氏やホテルの人やスチュワデスに教えられた中から、 手許の2冊の日本のガイドブックに載っていない店ばかりを選びました ( 以前、ある店で回り中が日本人客で、外国に来た気がせず往生した体験があるので )。 中級の店なら値段も安く、味は日本人好みで、もう 絶対に旨いのです。 朝食は8時以降、昼食は2時過ぎ、夕食は10時頃というのが慣例ですので ( 開店早々の8時頃に行けば自分一人に近いほど空いていますがそれではつまらない )、 ワイン1本を毎晩あけながら、じっくりとあれこれ食べていると、 その日のうちに床に入ることは困難でした。

今日はパリとバルセローナで毎回店を変えては4度も食べた ムール貝 (仏語で moule;カタランでは musclo ) 料理専門店の話をしましょう ( 店の場所など詳しい情報の欲しい方は こちらまでご連絡下さい )。 このムール貝料理の本場はどうもベルギーらしいのですが、小ぶりのバケツのような容器に、 一度数えてみたら、約100個の大型の殻つきのムール貝が山盛りに入っています。 味付けが良く、とにかく旨いので、食べ始めると30個くらいは一気に食べられます。 これにムール貝には欠かせないフライドポテトが、大量に付いてきますし、 もちろん無料のパンも、写真には出ていませんが 「 ドン 」 と出てきます。

この付け合わせのフライドポテトは、 米国では 「 フレンチフライズ 」 といっていたので、フランス人の発明かと思っていましたが、 実はベルギー人の考え出したものだそうです。

野菜不足も心配だとサラダの 「 小 」を頼むと、これが直径25cmの皿に山盛りで ( 写真はスモークド・サーモン サラダ )、 並みの日本女性ならこの美味しいサラダだけでも満腹になるのではと思うほどの量ですが、 更に気張って 1 リットルの大ジョッキのビールも取って、パン以外は結局全部奇麗に平らげます。 円高の現在とは言え、これで税サービスこみで ¥ 2,700(+チップ ¥140) だと言ったら、貴方は信じますか。

周りを見ると、女性でも、ビールはともかく、同じくらい食べた上に、 デザートには たまげるほど大きなアイスクリームまで食べています。 店の 紙のランチョン・マットに書かれた記述を読むと、 カタラン語なので全部は理解できませんでしたが、ビタミンやミネラルが豊富で、 クレオパトラやネロの妻ポペアも大量に食べたと有ります。 ともあれ、これを4日食べ続けたら、 私の体中に精気が漲ってきた事は事実です。 その代わり、 1kg体重が増えて 慌てました。

パエーリャや他の料理の話も、じっくりとしたいのですが、この辺で止めます。

5.英語の普及

30年近く前に欧州諸国を40日ほど業務出張で回ったときは、 北欧とオランダ、スイス以外は英語が通じなくて不便でしたが、今回はスペインやフランスでも、 ホテルや駅の従業員はもちろん、小さなレストランでさえ英語が通じました。 気付いた大きな差は、パリの街の店名、広告、看板などに、 英語の単語がはっきり増えていることでした。

欧州内を往き来する旅客機や国際列車内の放送だって、ほとんどは自国語の次に英語で、 それで終わりです。 もう、好き嫌いに関らず、英語は欧州の、いや、 世界の共通語になってしまったのだということを、痛切に感じました。 今後は英語を聞き取り、話せる能力がますます大切になることでしょう。 たとえば、 その能力の有無により、どこの国でも就職の機会が増減するであろうことは確実と思われます。

6.子供たちの底抜けの明るさ

週末の夕方にバルセローナに帰る電車に乗っていると、 田舎の駅ごとに中・高校生くらいの男女の10人から20人ほどの団体が次々に乗り込んできて、 いつの間にか社内は満員になりました。 大きなリュックと敷物を背負い、どこかでテントでも張って一泊してきた様子です。 先生かリーダーのような若い大人が数人いて、 彼等を中心に電車の中でまでキャンプソングや民謡を合唱し、 団体ゲームをして大声ではしゃいでいて、本当に楽しそうでした。

私も、若い頃はいろいろなグループで ああいう事をして青春を謳歌したものだったなと、 微笑ましくなる一方 「 最近はああいう若者の姿を日本ではあまり見ないな・・・。 今の日本の中・高校生たちは、もっと孤独で、ストレスの多い、 暗い時間しか持っていないのでは 」 と気になりました。

私の認識不足なら良いのですが・・・。 今回はこの程度で終わりにします。

以上 10. 11. 1999

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7.落書き

日本でも道路沿いの壁や塀、橋などによく見かける、スプレイで描いた文字や絵の落書き・・・。 絵の方は 「 グラフィティ 」 と言うのだと、以前聞いたことが有るが、誰が何と言おうと、 承認された場所に描いたもの以外は 醜い 「 落書き 」 だ。 一夜明けたら自宅の壁や塀にあれを描かれていた人の怒りはどれほどか、想像にあまる。

文字の方は、あの文字だか記号だか知らないが、一種独特な形の落書きは、万国共通書体 ? らしく、米国でも、 今回訪れたフランスやスペインでも、私には日本で見るものと区別がつかないほど似ていた。 とにかく、街中に氾濫と言うほどではないが、随所にたくさん見られた。

カタルーニャの古い田舎町に在る、ガイドブックにも載っている有名な歴史的建造物を尋ねあて、 写真を撮ろうとしたら、壁面や石垣にあれがあって、一瞬シャッターを押すのをひるみ、 それから猛然と腹が立った。
日本で言えば重文・国宝級のこの美しい建物の壁に、何故コソコソとこんな醜い落書きをするのか。 この犯人たちは人間の外観を持ってはいるが 「 人の心 」 を持っていない 畜生か悪魔なのではないかとさえ思った。

そのうちに 「 この建物はキリスト教 ( カトリック ) の寺院だ。すると、 犯人は或いはこれと敵対し憎悪しあっている別の宗教や宗派の狂信者たちなのか。それとも、 社会的に虐げられ恨みが煮えたぎっている、外国から出稼ぎに来た途上国の人たちなのか 」 と、 フッと考えたりもした。
日本でも、私は 「 これは中近東か中南米出身の不良外国人たちあたりの 夜陰に紛れての 鬱憤晴らしだろう 」 と想像したりしたこともある。 「 日本人なら、訴えたい主張は日本語で書くだろう。 あんな得体の知れない文字 ? を書くのは外人に決まっている 」 と単純に考えたのだ。

どんな連中がいつ ( 深夜? ) 描くのか、今まで全く分からなかったので不気味でもあったが、 今回スペインで、日中、線路際の倉庫の壁にスプレイしている2人の若い男を遂に目撃した。 ごく普通の白人 ( おそらく地元のスペイン人 ) で、楽しそうにお喋りしながら ノンビリと堂々とやっていて、上述のいろいろな想像はあらかた 見事に外れ、拍子抜けしてしまった。 まったく変な世の中だ。

8.日本人は結構上品だ

日本と同様、欧州でも、列車の中やホテルの食堂で、 日本人のおじさんやおばさんの団体旅行客と一緒になると、 その話し声の賑やかさに閉口することが時々ある。 4、5人以上が一緒になると、急に話し声が大きくなり、時には高笑いも交り、 話に夢中になって周囲の人たちの無言の嫌悪感にまったく気づかなくなるという特徴がある。 今回も何度かこれに遭遇したが、予め覚悟していたので、あまり腹は立たなかった。

それに引きかえ、中国人旅行者たち ( 本土か台湾か香港かは分からない )の無作法さには、 本当にたまげた。 何列かの入国審査の列の一つに並んでいると、どこかの列が進みが遅く、 その隣が速いなどということがよくある。 そういう時に、遅い列の途中から、 横の速い列の途中に数人で グイ と割り込んでくる。 私の前にも割り込まれたが、驚きの余り何も言えなかったのが残念だ。

ホテルのエレベーターが乗客でほとんど満員状態のときでも、先客にひとことも挨拶せずに、 ラッシュ時の通勤電車に乗り込むように数人で体当たりで押し込んでくる ( 日本人なら、きっと 1台やりすごす )。 そして狭い空間の中で大声で談笑を始める。

ビュッフェ形式の朝食では、後ろにたくさんの人が待っているのに、 二人で大声で話し合っていて動かない。 「 つばき 」 の飛沫が料理に降りかかっている感じでハラハラする。

本当に見ていて恥ずかしくなる。他国の客から見れば、 日本人と中国人の区別などつきにくいだろうし、東洋人の旅行者の大部分は日本人だから、 彼等が日本人団体客だと思われているかも知れないと考えると、なおさら恥ずかしくなる。

これに比べれば、日本人団体客は老いも若きも実に物静かでずっと礼儀正しい。 皮肉でもお世辞でもなく、結構上品で立派だと思えた。

9.日本人は何故列車の中で眠るのだろう

旅行から日本に帰ってきて、一番痛感したのは、 JRや新幹線の電車の中で居眠りする人たちがなんと多いことか、 ということだった。 旅行先の白人たちはまず眠っていなかった。 日本では老若男女を問わず、 昼間から、多いときは乗客の 2、3割が居眠りしている。 疲れ切った中年のサラリーマンだけでなく、元気なはずの若者や妙齢の美人までが眠っている。 理由として次のようなことも考えられるが、本当の所は分からない。

a.民族的体質の違い ( 日本人のスタミナの無さ )
b.食事の質と量の違い
c.安全性の差 ( スリ、置き引きの少なさ )
d.日本では車内放送があり、必要なときには起こしてくれる
e.人前で眠ることに対する恥じらいの意識の差 ( 彼等はふだん雑魚寝などもしないようだ )

そう言えば、米国在住中、日米社員が うち揃ってマイクロバスでゴルフに行ったときもそうだった。 一日のゴルフで快く疲れ、運転者以外はビールを飲むと、 帰りの車内では日本人はほとんど全員が眠ってしまう。 これに対し米人は白人も黒人もほとんど眠らない。 これが実に不思議だったことを覚えている。 上の a.と b.を挙げたのはこのためである。

昔 ( 今回の旅行先の住人の一人だった ) ナポレオンは、列車の座席の上ならぬ 馬上 で、 しょっちゅう 居眠りしていたという。 彼のスタミナや栄養状態がどんなだったかは知らないが、 彼の場合 c,d,e が部下たちに比べ有利ではあったことだろう。

以上 10. 29. 1999
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# :上記の文章の一部に対し、高校時代からの畏友S君から、早速にご意見有り。 先ず、居眠りについては、 彼がイタリアの列車のコンパートメントで、前に坐っていたイタリア人の青年二人が、 最初から最後まで寝ていて、珍しいので写真に撮ったと 「 証拠写真 」 を添付してきました。 ( コンパートメント内は安全でプライバシーも保てるから? )
又、南欧諸国では日本人だけでなく欧州人でもスリの被害に遭うという実例が紹介されました。 ご参考までに私が今回採った対応策を述べます。 括弧内は過去の実際の体験です。
1.地元の人に事前に危険な地域を聞き、そこには昼間でも行かない。
2.外出時に貴重品は一切持たない。必要な最小限の現金をいくつかに分けて身につける。
荷物は丈夫な材質のリュック一つとし、ジッパーには見えにくい南京錠を常時掛けておく。
3.カメラも小さな物とし、ポケットの奥に入れておく。景色、建物だけを撮り 他人にはレンズを向けない ( 川の景色を撮ったら手前に道路掃除の労務者が居て難癖をつけられた )。 見知らぬ人に 「 自分を撮ってくれ 」と頼まない。
4.繁華街を歩行中他人に話し掛けられても立ち止まらず、適当にしかし慇懃に 「 話せない 」 と身振りをして別れる ( 親日家らしく、申し訳無い気もしたが安全第一 )。
5.繁華街では他人にぶつかられないよう絶えず前方に注意する ( 私の前を歩いていた中国人が言いがかりをつけられた )。 立ち止まって眺めたいものがあったら、人通りを避けて眺める。 何かをひっかけられて服を汚されても取り合わず立ち去る。
6.空港内やホテルの受付はもちろん、写真撮影中でも食事中でも荷物を地面に置かない ( レンタカーに荷物を積み込むため妻がハンドバッグを地面に置いたら一瞬のうちに持ち逃げされた )。
7.服装・所持品は極力質素にする。
8.市街地のツアーだけは団体ツアーに入り、現地人ガイドの指示に従う ( 今回も公園内で目つきの悪い3人組が行く手に立っていたが、こちらは10数人なので、 そっと脇を通りぬけられた )。

以上は過去の海外旅行中に私や妻が遭遇したり目撃したりした被害から学んだ事ばかりです。 この程度の注意を払い、田舎以外では常時アンテナを周囲に向けて注意していれば、 一人歩きの若い美女でもない限り、南欧諸国でもまず大丈夫ではないかと思うのですが・・・。
以上 11. 5. 1999

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。