フリーマンの随想

その14. 「マイ・ウェイ」

*人世の終幕で人は何を考えるのだろうか*

(2.20.1999)

[1]

* ふと、自分は今、人生のどのあたりを歩いているのだろうと、思うことが有ります。 四季に例えれば、考えるまでもなく、もう冬に入っているのだけれど、 その冬は短くてもうすぐ終るのか、それとも厳しく長いのか・・・。
フランク・シナトラが歌っていた「マイ・ウェイ」の出だしは、 今まさに人生を終わろうとしている一人の人間が、 その人生のドラマを演じ終えた役者として舞台に立ち、 目の前で今閉じた幕を内側から見つめながら、 演じ終えたばかりの自分の一生を思い起こす所から始まるのだと、私なりに解釈しています [その人生はまだ終っておらず、幕切れ寸前の場面を生き(演じ) ながら考えているのだという解釈、 又は単に人生の末期を終幕にたとえただけという解釈の方があるいは正しいのかも知れませんが]。

* この歌には幾つかの訳詞が有ります。もっともポピュラーなものについて言えば、 生意気なことをいうようですが、元の歌詞の持つ 「心」が私には全く伝わってきません。 原歌詞は、後半は一部思い出せないし、 口ずさむ度に違う意味が隠されているように思えたりする、なかなか難解な文章ですが 「楽しくもあり、苦しくもあった生涯を私は生きた。 身の程知らずの挑戦もし、挫折も学んだ。 時には脇道に入ったこともあったが、分からないことにも怖じること無く、いつも正道を目指した。 敗れたこともあるが、なすべき義務からは逃げることなく、自分流に最後までやり抜いた。 人に誇れる業績もあまり無いが、涙の乾いた今思えば楽しい満足な人生だったとはっきり言える」 と一人称で気取らず愚痴らず、しかも誇り高く独白している内容だと私は理解しています。 雄々しいというか、淡々としたというか、 厳しい現実と逞しく戦い終えた老人だけが吐ける言葉かと思います。

* それなのに、訳詞はまるで、以前結婚式や成人式などで時折聞いた 「君に贈る言葉」 風の甘ったるーい内容になってしまい、原歌詞には全く、あるいは殆ど現れない「愛」、「涙」、 「微笑み」、「想い出」などというセンチメンタルな単語ばかりが繰り返し何度も羅列されます。 まあ、英文和訳の試験ではないのだから 「一種の替え歌だ」 と割り切ってあげれば良い話ですが、 元の硬派な歌詞のままでは日本人の心情には受け入れられないと、もし訳者が考えたからだとすれば、 これは非常に興味ある問題提起と言えます。ともあれ、原歌詞と訳詞とが、 これほど違う曲も珍しいでしょう。

[2]

* アメリカで、私の会社で働いていた若いクリス・サクソン君は、 クリスマス・パーティのたびにこの歌を、なかなか上手に皆の前で歌ってくれました。 彼は、彼なりに一生懸命に努力して、現場の係長の仕事をしてくれましたが、 いかんせん統率力と人望が不足していました。上司の米人に頼まれて2、3回彼を部屋に呼び、 現場のリーダーとしての心がけ、振舞いかたなどを拙い英語で説いて聞かせ、 彼はそのたびに真剣に改善向上を誓ったのでしたが、結局実を結ばず、部下全員の満足のために、 1年後、私は彼に解雇を申し渡さざるを得ませんでした。

* 彼もまた、老境に入ったら、きっとこの歌詞を心の中で何度も噛みしめる事でしょう。 解雇した後、ドスのきいた顔をした彼の叔父さんが私の家の近所に住むようになり、 カントリー・クラブのパーティで自己紹介された時はドキッとしましたが、 アメリカは解雇など日常的で、ドライに受け入れる社会であるためか、 「在職中は親切に指導してくれて有り難う。 彼は今新しい仕事で元気に働いているよ」 と穏やかに言われて、ホッとしたことを今もよく覚えています。

* 懸命に努力はしたが部下たちに受け入れられる自分へと変容することができず、 クビにされてしまったサクソン君も、 忍耐強く指導はしたものの結局クビを申し渡してしまった私や彼の上司も、 自分の人生の舞台の一幕を、それぞれまじめにがんばって演じたのだから、 それでよかったのだと、今は思います(*:このページの最後の注をご参照)。

[3]

* 私自身は考えるところ有って、職業人としての自分の人生には、 2年半前に自分の手で幕を引いてしまいましたが、一個人としての人生の最終幕には、 まだ少しだけ残りが有るような気がいたします。 それはあと数分かも、数日かもしれない。 数年かも数十年かもしれない。人生という名のこのシナリオ不明のドラマの幕は、 どの演技者に対しても、気まぐれにある日突然引かれてしまうのです。 妻も1年半前に、何とあのミラノのスカラ座の前で突然幕が閉められかけましたが、 イタリア人の医師たちが、半ば閉まりかけた幕を、懸命にまた開けてくださったのでした。

* 最後に閉じられた幕の内側の舞台に立ちながら、 役を果たし終えたた演技者は一瞬何を考えるのでしょう。 幕の向こうの観客席で盛大な拍手が起こっているのか、 何の感興も湧かずにシンと静まりかえっているのか、あるいは不満のブーイングが起きているのかと、 耳を澄ますのでしょうか。本物の演劇の場合ならともかく、そんな事は無いと私は思います。 志半ばの青年や働き盛りの壮年なら無念さもひとしおでしょうが、老いた演技者は最後のひと時、 自分の人生の出来栄えの良し悪しを気にして喜び悲しむよりは、 ただ「自分は自分の人生においてどこまでどう努めただろうか」という 過程の質 への自問自答を気張らずにするのではないでしょうか。 これがこのヒット曲の歌詞の「心」 ではないかと私は思うのです。

* 「それでは主観的な自己満足に過ぎない」とおっしゃいますか? 私はそれだけで十分だと思います。 老いてまで、自分の人生を他人にも (客観的に?)評価してもらいたいと考える人がもし居るなら、 それは人間にとってもっとも貴重な「自分の考え」「自分の意志」「自分の判断」 というものを大切にしていないように、私には思えます。 人の人生の評価はその人だけが最後に行えば、それでよいのです。

[4]

* 葬儀というものが持つ世俗的な意味の一つは、その参列者と花輪と弔電の数、 弔辞の内容などによって、死者の生前の人生を 「客観的に」 評価(格付け?) するという事ではないでしょうか。 ピラミッドの昔から、それらが盛大で感動的であればあるほど、その人は 「偉かった」 とされるのでしょう。 それとも「偉かった」から葬儀が盛大に感動的に行われるのでしょうか。

* 独善と言われようと、傲慢と受け取られようと、私は死を前にして、 自分と妻が歩んだ「過程」の努力に対して自分が二人に向って 誉め言葉と反省とを幾分かずつ与えることが出来れば、もうそれだけで十分と考えます。 「世の中に対して自分は何をしたか」 とか 「周囲の人たちには自分の生涯と死がどう映っているか」 などということは、 とるに足らない事ではないかと私には思えるのです。 私の生涯だって、 輪廻の大河の悠久の流れの中で 「泡が一つ生まれて、また消えた」 というだけの話だと思います。

* 妻と私は、自分たちが死んだとき、葬儀や埋葬をどうして欲しいかということを、この1年半、 何度も何度も、時には口論になりながらも話し合い、それぞれの(多少違う) 結論に一応達しました。 一応というのは、二人とも、またいつ考えが変るかも知れないからで、 そうなったら修正します。 ずいぶん変った夫婦だとお思いでしょうが、配偶者の 「生前の意志」 がお互いに明確に理解でき、二人ともこれで 「まさかのときに慌てて悩まなくても済む」 と、 相当すっきりしたように思っています。 いくらなんでも、その詳細をここに書くことは致しませんが、自分の手許の書面には残しました。 私については、ご無礼で勝手ですが 「基本的には、葬儀の類はほとんど何もしたくない」 という考えです。

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*注:(8.2.1999)

この私の考えに対して、ある若い学生さんから「それは経営者の身勝手だ。 クビにされて家族ともども路頭に迷った当人が、そんな悠長なことを言っていられるか」 とのコメントを頂きました。 「 なるほど、私は経営側の観点で物を考えているんだな 」 と気付きました。 ただ、次の5点だけは、申しておきたいと思います。

1. サクソン君はその後すぐに次の会社に就職して働いており、路頭には迷いませんでした。 転職、再就職は日本より容易で、かつ経歴上のハンディにはなりません。 こういう過程を何度か経て、多くの人は、自分の能力に合った職場に落ち着いて行くようです。

2. 私は、米国の常識からすれば 「 何でそういつまでも? 」と言われるほど長期間、 忍耐強く指導し、成長を促してあげました。 彼もそれは十分理解していると思います。

3. そういう彼の下で毎日いやな思いで働かなくてはならない多くの部下の職場環境を、 よりよくしてあげる義務も、経営者には有ります。

4. 彼には 「 係長を退いてヒラになるなら、残っても良いよ 」 と言ったのですが、 彼はそれを受けませんでした( こういう場合、受ける人もいます )。

5. 彼がクビにされたことを本当に不当だと怒れば、米国ですから、必ず訴訟になります。 ならなかったということは、多分、彼がある程度は納得していたということでしょう。

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