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那覇 (2) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首里城正殿 正殿は、琉球の独特であり、これまで見たどの城や寺社とも違う形色をしている。これは独自文化が確かなものだった証拠だろう。 御差床 正殿一階は、見ただけで玉座と分かる御差床(ウサスカ)があり、政治や儀式の際に国王が座って指図したのであろう。 左右には王の子や孫が座る平御差床(ヒラウサスカ)がある。 一層を一回りして二階に上がると大庫理(ウフグイ)と呼ばれる、妃や女官達が使用した空間と言うことで、儀式などの時には国王が中央の綺羅びやかな御差床にすわり、儀式を行ったのだろう。 座の上部には、かつて中国皇帝より贈られた御書の扁額を再現したものが掲げられている。 3階は通風のために設けられた屋根裏部屋的なものだという。 奉神門 下之御庭と御庭を分けている朱色に塗られた木造の門奉神門をくぐり、次に正殿への最後の門保尋問正殿を抜けて御庭からまず、書院に入った。 書院・鎖之間は正殿につぐ大規模な木造復元を行った建物であり、建物は、南殿の二階部分と同じ高さの地盤の上にあり、南殿と渡り廊下でつながっている。 きらびやかな正殿とは対照的に、建物と庭園が一体的で落ち着いた雰囲気のあるスペースができていた。 鎖之間は、もとは王子などの控所で、奥には茶室があり、別途料金300円が必要でだが、琉球菓子とお茶を楽しめる。 沖縄名物のチンスウコウを食べた。 なかなかおいしいお菓子である。沖縄の宮廷衣装を来た女性がおもてなしをしてくれた。
首里城を出たあと、少し遅い昼食を摂った。適当なところはないかと探すとここがあった。 琉球茶房「あしびうな」というお店である。 メニューはいろいろあったが、「ソーキそば定食」と「ゆし豆腐定食」を食べた。 なかなかおいしかった。 いかにも沖縄らしい庭を眺めながらの昼食はゆったりとした時間が流れた。 名前の知らない鳥の雛がはぐれたように鳴いていたが、すぐに親鳥が来て餌をやっていた。
壺屋やちむん通り 次の日は、壺屋やちむん通りへ向かった。 やちむん通りとは沖縄の歴史ある陶芸の街であり 陶芸品を扱う工房がある。 ホテルから、またゆいレールの美栄旭橋で乗り牧志で降り、平和通りからひめゆり通りにかけて歩いていった。めざす、壺屋やちむん通りの道沿いには、民芸品や焼物の直売店、焼物工房などが並んでいる。 それまでの道も昔懐かしい感じの道で歴史の古さを思いながら歩いた。 以前石垣島に行った折りには期待していた瓦屋根の民家が少なくなっていたのでがっかりしたが、やちむん通り周辺はかなり残っている。 本土でも大都会の片隅に昔ながらの風景があるのと同じで、ここ那覇の方が残っているのかも知れない。 路地を行くとやたら猫が多かった。野良猫が大半だったが、どの猫も人なつっこい。 おなかがすいているのかすり寄ってきた。古びたいい感じのお店で、店番をしている猫もいた。 確かに壺屋やちむん通りの歴史は古く、約300年前に琉球王国が各地にあった窯元を集め、壺屋は 焼物の町として発展したという。今もなお沖縄らしい赤瓦の屋根や町並みなどのんびりとした雰囲気で歩けた。 シーサーが各家の、至るところにあった。 沖縄に来たら、シーサーを見るのが楽しみであった。 伝説の獣の像で、建物の門や屋根に付けられ、災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つという。 名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものである。 見た感じでは狛犬と起源は同じではないかと思う。 文献では、スフィンクスや中国の石獅等と同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられている。 元々は単体で設置されていたものだが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなったという。 各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降でらしい。 それまでは、寺社や城の門、御獄(うたき)、貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されていたという。 材質は目についた限り、石や陶器の素焼きまたは本焼き、 漆喰が多かった。 やちむん通りへの途中の民家などの塀に「石敢當(いしがんとう)」と書かれた石板がはめ込まれたりおかれているのを、よく見た。 石敢當は道に設置される魔よけで、沖縄を中心とした南西諸島に多く分布しているらしく、沖縄の路地を歩くとあちこちで見られる。一般に悪鬼は直進する性質があるため、道を直進してきた悪鬼がT字路にぶつかると、その家の中に進入することになる。そこでT字路などの突き当たりにこの「石敢當」を置き、魔よけとするらしい。 石敢當は中国から伝来したもので、最古の石敢當は福建省にあるという。 アジア諸国に広く分布し、台湾・香港・シンガポール・マレーシアにも存在するらしい。 今度その国に行ったら、要チェックである。 中国の伝説に、石氏という無敵の武将がいたとか、中国五代の頃、晋に石敢當という名力士がいたなどといわれ、悪い鬼を駆逐する強い神として信仰されているという。 おうちの塀は、シーサーと石敢當がある。完璧に災難よけがされている。石垣や塀のデザインがいいのでそれを見ながら歩くのも楽しい。 写真は有名な「新垣家」で、このシーサーのある屋根の下が、人気の記念撮影スポットになっているという。国の重要文化財にも指定されたらしい。 道の途中にあった井戸。形が少し変わっている。 街の角角には歌を書いた素朴な道標がある。なかなか雰囲気があっていい。 コンクリートなどではなく、木というところが、なおいい。言葉は少し分からないところもあるが、歌の意味はよく分かる。 陶器の店などをあちこちを見ながら行くと、陶芸の工房があった。 男の人が一人作業をしていたので中に入り、工房を見せてもらった。 工房名を聞いたのだが、忘れてしまった。(ごめんなさい) 「やちむん」とは焼物のことで、この通りでは陶芸工房や直売店、ギャラリーがあり、陶器やシーサーなどの焼物の販売をしている。琉球石灰岩で作られた石畳風で風情があっていい。 猫が見張りをしていた喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。お店の名前は喫茶「南窯(ふぇーぬかま)」といった。
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