東大寺 転害門
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<東大寺 転害門>

東大寺の転害門(てがいもん)は、2012年1月4日般若寺の帰りに立ち寄った。
ここは1180年(治承4年)の平重衡の兵火、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火にも焼け残った貴重な建物という。
天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構で国宝である。端正な作りでなかなかいい形である。こういう門が東西南北にあったのだろうか。
兵火で焼かれたことが何とも惜しい。
この門だけでも残っていて現在でも凛としてあるのはうれしい。

転害門は、手貝門・手掻門・手蓋門などとも書かれたといわれるが転害門というのは少し字の当て方があっていないという感じがする。
東大寺の西北にあるので「西北大門」と呼ばれる。
またこの門が佐保路(一条大路)の起点となっているので「佐保路門」とも呼ばれている。
毎年10月5日の「転害会」(手掻会・てがいえ)では、基壇上で手向山八幡宮の祭礼が行われる。
京都清水寺の轟門の妻や天井の構造は、転害門の縮小版だといわれている。
今度清水寺に行った折りには観察が必要である。

転害門の近くにたこ焼き屋さんがあり、食べた。
結構おいしかった。
 
 
 

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