高取城趾 |
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<高取城趾> 明日香村に行くたびに気にかかっていた、高市郡高取町にある高取城跡に登った。 登り口に車を置き、14時から登りだした。途中に、美しく積み上げられた石垣が山のいたるところに残っている。日本の城の石垣は、外国の城のように石が整然と並んでなく、大きさも違うので面白い。 高取城は、「日本三大山城」「日本100名城」のひとつで、国指定史跡になっている。 もし本丸など取り壊しされていなかったら国宝だろう。 高取城は、高取山(583.9m)の山頂にある。奈良県の「日本100名城」はここだけである。 歴史は古く南北朝時代の1332年(正慶元年)、豪族・越智八郎によって築城されたという。後に郡山城主・豊臣秀長の命を受け、1583年に本多氏が入城し、本丸に大小の天守閣を築くなど、近代的な城郭へと整備した。 1640年には譜代大名・植村家政が入城。 1869(明治2年)年の版籍奉還まで14代に渡り居城したが、1873年(明治6年)に廃城となったという。 最初の城門から本丸までの高低差は390mあり、日本最大ということである。 これだけ高いと攻めづらい城であることは間違いなく、難攻不落で、幕末には、吉村寅太郎らの天誅組の軍勢(約千人)に攻められたが、わずか200名ほどで撃退したとされている。 最近では、天空の城として、兵庫県朝来市「竹田城」が話題にされているが、規模でいえば、高取城はそれをはるかに凌いでいる。アクセスがよければもっとたくさんの人が訪れると思う。 城内は案内板もよく整備されており、迷うことなく本丸までいける。 明治の初期まで残っており、写真まであるのだが、取り壊しされてしまったことは残念である。 残っていればすばらしい観光施設になっていただろう。 高い石垣と檜の大木を見ていると、刀を差して行き来している侍が今にも出てきそうな雰囲気を感じる。 本丸からの景色はいかにも山城らしい雰囲気で、ちょうど雨が降っていたので幽玄でもあった。 頂上の本丸後に付いたのは14時40分であった。本丸跡の石積みの上で、コーヒータイムとした。 帰りは登った道とは別のルートを下った。途中には七つ井戸などがある。 車に戻ったのは16時であった。 (2014年8月3日) |
(いい感じの石垣) |
(木を避けて階段が) |
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(城跡を示す碑) |
(巨木の下を行く) |
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(隙間だらけだが崩れない) |
(コーヒータイム) |
(本丸広場はすぐそこ) |
(広場から下界を) |
(巨木) |
(すばらしい石垣) |
(方向案内板) |
(三角点) |
(広場になっている) |
(みんな登っている) |
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(霧がかかって幻想的) |
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(CGのようなお城が残っていたらすばらしかったのに) |
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