正暦寺
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<正暦寺>

2014年1月12日に、奈良検定が終わった後正暦寺に向かった。正暦寺
ナビに住所を入れて走った。
細い道をくねくねと曲がりながら上がった。
何とか参道までたどり着いた。わかりにくい道で、ナビがなければ着いていない。
往事には一本道で迷うこともなかったと思うが、今は車道が複雑に入り組んで方向音痴にはつらいものがある。
参道の入り口には泣き笑い地蔵があった。
入り口から少し奥に走ると駐車場があり、清酒の発祥地と一目で分かる看板があった。
境内は人もいず橋が架かっているところに少し人の気配がしているので、そちらに行き戸を開け訪ねると、予約制という感じのことをいわれたが、詳細は分からなかった。とにかくあまり歓迎されていないようなので、すぐにそこをでて境内の奥に向かった。

南天の実がたくさんなっており冬枯れた境内に彩りを添えていた。
本堂と鐘楼は石段を上がっていくのだが、石段の入り口にバリケードがされ入れなかった。
予約しておくとあけてくれるのかも知れない。
正暦寺
ここ正暦寺は奈良市東南の郊外の山間にある寺で、正暦3年(992年)、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されたという。
山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号し、創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並んで、勅願寺としての威容壮麗を誇っていたという。

しかし、治承4年(1180年)、平重衡の南都焼き討ちの際、類焼し全山が全焼した。
寺領は没収されて一時は廃墟と化したが、その後、建保6年(1218年)、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興して、昔に勝る隆盛を極めた。
13世紀初め(建暦年間)の頃に、蓮光法師(法然上人の弟子)がこの地に草庵(本殿を安養院・別殿を迎接院)を結び、浄土門の法灯を掲げたこともあった。
江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失われたらしい。

現在では、福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっている。
花の寺としても有名で、紅葉の鮮やかさから、『錦の里』と呼ばれてきた。
仏事では、人形供養もやっているようで、ひな人形なども役目を終えたらここに持ってくれば供養をしてくれると言うことである。
道と境内を挟んだ下を流れる渓流がきれいであった。

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