青蓮寺 |
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<青蓮寺> 2013年12月23日参拝した。 青蓮寺は山号を日張山、宗派は浄土宗、本尊は中将姫である。 訪れた時はもう薄暗くなっていた。このあたりはかなり寒いのか雪が残っていた。 いかにも尼寺らしいたたずまいであった。 ![]() 雲雀山というのは、和歌山の有田市、橋本市にある。 有田市の得正寺は當麻寺と同じように中将姫の祭がある。 雰囲気的にこちらの方が本筋のような気がする。 青蓮寺は浄土宗の尼寺で世阿弥の謡曲「雲雀山」の舞台で知られている。 それによると、中将姫が、継母の虚言によって殺されようとするが、殺害を命じられた松井嘉藤太春時と 妻静野が哀れに思い、日張山に草庵を結んで隠棲した。 そしてそこで2年6ヶ月の念仏三昧の生活を送った後、中将姫は父と再会した。 父とともに奈良に帰った姫は仏道への志やみがたく、當麻寺に入って出家剃髪し、再び日張山へ登って一堂を建て、みずからの影像と嘉藤太夫妻の像を彫り祀ったという。 天明4年(1784年)の火災、文化12年(1815年)の水害で諸堂を失い、現在の本堂は弘化4年(1847年)に再建されたもの。 本尊の法如尼坐像は中将姫19歳の姿であるという。 青蓮寺への道沿いにしゃれた看板があり、何かと思って車を駐めた。 渋無榧の木という。ミーハー気分で見に行った。 シブというのは薄皮で、榧の雌木らしくそこにになる実にシブがないらしい。
よく分からないまま帰りかけると、畑をしていた人がいたので声をかけると親切に木の説明をしてくれた。
その男性は、わざわざ実を家の中から持ってきてくれ、一粒いただいてきた。 この実は食べられるそうで、9月から10月にかけて実がなり落ちるそうで、そのとき近所の人たちは拾い食べるらしい。
一度食べてみたいと思った。
木までの道に鹿の足跡が一杯付いていた。おじさんに聞くと毎日近くの畑にやってくるそうである。 畑にはぐるりと鹿よけのバリケードがあった。やっぱりオオカミが要る。
案内板の近くに不思議な雰囲気のある道祖神があった。 青蓮寺からの帰りには、日もほとんど落ち夕闇が迫っていた。 |
![]() (お墓を示す看板) |
![]() (嘉藤太夫妻の墓) |
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![]() (寺までの坂の入り口にある橋) |
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![]() (境内にあった歌碑) |
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