大和神社
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<大和神社>

大和神社は天理市新泉町にある。2012年1月4日般若寺に行く途大和神社中祭らしきものをやっていたので立ち寄った。最初は「やまとじんじゃ」と思ったが「おおやまとじんじゃ」であった。境内は晴れ着の人もいて、まだ新年三が日の名残をとどめていた。

大和神社の祭神は、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈神(やちほこのかみ)、御歳大神を祀っている。
『延喜式』に大和坐大国魂神社三座とあり、名神大社に列せられ、月次・相嘗・新嘗の祭に案上官弊に預かった。
大国魂大神と八千戈神はともに大国大神の異名で、大国魂大神国土経営に貢献し万物の育成化育を司る神、八千戈神は武勇に優れた神である。
祭神の三神は上古伊勢神宮に坐す天照大神とともに宮中に奉斎されていたが、崇神天皇が神威を畏み、天照大神を倭の笠縫の邑に、日本大国魂大神を倭国穴磯邑に遷座したのが当社の創祁と伝えられる 。
2000余年前のことになる。
奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使の使いは、出発に際してここにへ参詣し、交通安全を祈願したということである。

大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に天平勝宝元年(749年)から神護景雲元年(767年)にかけて大和をはじめ尾張、武蔵、常陸、安芸、出雲の諸国に神封三百二十七戸とあり、当時の伊勢神宮に次ぐ神封があてられていたことは朝廷の篤い崇敬のほどがうかがえる。

また、世界最大最強を誇った「戦艦大和」の守護神とされた。
昭和20年4月7日、沖縄南方にて轟沈したことはよく知られているが、第二艦隊伊藤整一司令長官のほか2,736柱と護衛艦の方々が境内の祖霊社に合祀されているという。き残りの人々だろうか境内で案内したりパンフレット等の整理をしていた。
境内には至る所に戦艦大和に関わるパンフレットやチラシがあった。

境内ではかなり太い木を、暖をとるために焚いていた。これもいかにもお正月という雰囲気でいい。
最近はこうして木を焚く神社が減ってきた。

ここはまた通称、「ちゃんちゃん祭り」が行われることでも有名である。
氏子の頭屋、稚児など200余名で各町内より供奉し行列順で様々な執物を持ち、ちゃんちゃん鐘を合図に成願寺・岸田を経て、中山郷大塚山の御旅所まで約2Kmを往復するというものである。
正式には御渡祭といい、4月1日の午後に実施される。
御旅所では、翁の舞、龍の口の舞が奉納され、春の山辺の道を巡行する風物詩として名高い。
春日大社若宮おん祭が年の締めくくりの祭として、このちゃんちゃん祭が年初めの大和地方の祭として行われる。

2013年1月4日にここを訪れた。豪華なおみくじが目についた。 
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