太安萬侶の墓
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太安萬侶の墓
太安萬侶
大和高原の西端に当たる山間の通称トンボ山と呼ばれる南向きの急斜面地に見つかった奈良時代の火葬場である。
昭和54年(1979年)1月茶木のの植え替え作業中に墓誌が偶然に発見され、墓誌から太安萬侶の墓であることが確認された。
一辺約1.8mの土坑を掘って内部に黒炭を敷き、文字面を下に向けて墓誌をおきその上に木櫃をおいて周囲を木炭で包み、さらにその上に直径4.5mほどの円丘が載る、構造であった。
人骨片に混じって、真珠が四粒、漆喰片、銅製墓誌が出土した。
墓誌は長さ29.1センチ、幅6.1センチ、厚さ0.1aの短冊形で、楷書で「左京四條従四位下勲五等太朝臣安萬呂以癸亥年七月六日卒之 養老七年(723年)十二月十五日乙巳」の41文字が刻まれていた。この発見により『古事記』の編者として知られていた太安萬侶の実在が確認された。
 

当日のブログに、
「薬師寺のまほろば塾を出てから太安万侶の墓を探しました。
ナビ通りの道で行くと道が通行止めになっていたので柳生街道に回り、行きました。
茶畑の中に墓はありました。
元明天皇の世になり、太安万侶に勅詔がくだり、稗田阿礼が誦した「勅語の旧辞」を安万侶が筆録し、完成したものが古事記で、和銅5年(712年)でした。
今まで嘘だと言われていたのが、編纂者の墓も出てき古事記がかなりの部分で史実を下敷きにしているということがわかりかけていますね。 これであちこちの天皇陵などをもっと研究すればもっといろんな事がわかるのではないでしょうか?
やってほしいですね。」
と書いていました。
太安萬侶 太安萬侶
(石碑と説明板)
太安萬侶
(茶畑入り口に看板がある)
太安萬侶
(一面の茶畑)
太安萬侶
(道の脇にきれいなトイレがある)
太安萬侶
(ゆったりとにゃんこ)
太安萬侶

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