野口神社
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<野口神社>
野口神社は、

祭神は、神倭伊波礼毘古命と彦八井命の2神で、御所市蛇穴(さらぎ)540にある。
このさらぎという読みが分からなかった。帰ってからネットで確認した。

役行者に恋した女性が蛇になった・・・


御神体は木彫の竜神という。
毎年五月五日に蛇綱汁掛神事が行われることで名高い。
縁起によると、神武天皇の御子日子八井命(彦八井命)を祖神とする
茨田連の子孫が河内国からここに移住、祖神を祀ったとみられる。

入り口にある説明板によると、

  「由緒 本神社の御祭神は、古く神倭伊波礼毘古命及び彦八井命の二神を御祭りされ、 それは作物の収穫を掌る水の神(竜神)という御神名で葛城川岸辺に鎮めまつったことから始まる本社は、五穀豊穣を祈願される他、邪気をはらい、諸々の病を除く御守護を賜わることから多くの人々の信仰をあつめている」

とある。
神社西南の湧水は、蛇穴・玉手・茅原・寺田・本島の各町村の灌漑用水である。
当社はこの水を守護する神として創祀されたものとみられる。
毎年末期各村から水年貢として一石六斗(現在 金納)を神社へ納める。
当社近くの野口家には慶応4年(1341年)の地蔵菩薩を安置する。

同じ説明板には、

祭典日 
   一月一日 新年祭
   五月五日 汁掛祭(蛇綱ひき)
   十月四日 宵宮祭

と書いている。
蛇穴の由来は、入り口の案内板にも書いていたが、
「彦八井命の後胤・茨田の長者が河内の国よりこの地に住んでいた。そこに一人の娘がいた。
その頃茅原郷から葛城山に修行に日参する役の行者小角という人が居たが修行の往復に村の筋街道を通るのが常であった。
いつしかその娘の恋の的になったが、行者は、修行一途で応じることが無く娘は、女の一念から悪息をはきながら行者を呑み込もうと村の森の中にある「穴」にかくれた。
五月五日の田植え時で村人が野良へ弁当をもって通りかかると、大蛇が火を吹いていた。
驚いて持っていた味噌汁を大蛇にぶっかけて逃げ帰った。
村人がきて見ると、大蛇が井戸の中に入ったので巨石で口をふさいだ。その後娘の供養にと汁掛祭と蛇綱ひきが行われている」
とあった。
男が蛇に変わる話はあまりないが、女性は多い。
そういえば、崇神天皇の祖父孝元天皇の妹、倭迹迹日百襲姫命は大物主命の妻となったが、この神は、夜だけやってきて本当の姿を見せな い。姫は、まだ姿を見たことがないので夜の明けるまで居て、姿を見せてほしいといった。
神は「明朝 お前の櫛箱の中に入っていよう」と答えた。姫は朝のくるのを待ちかねて櫛箱をあけると、中に美しい小蛇がいたので驚いて泣きだした。神は人の姿に戻り「よくも私に恥ずかしい思いをさせた」といって三輪山に帰ってしまった、
というわけで三輪の蛇は男。蛇はいろいろ物語を作り出す。



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