弘仁寺 |
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<弘仁寺> 正暦寺を参詣したあと、弘仁寺に向かった。 ![]() 弘仁寺は北山の辺の道沿いにある。 ゆったりとした昔ながらの里山の道をいく。しかしここも新しい道が付いていた。次に来たとき、周辺の景色がどう変わっているか分からない。 道の案内板に沿って道を行き、小さな門をくぐると境内が開ける。 弘仁寺の創建に関しては二つの話が伝わっている。 一つ目は、嵯峨天皇の夢に、老人があられ、「奈良の南に霊山がある。もろもろの仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい」といわれたそうで、夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を 探したら、現在の虚空蔵山にあたる場所とわかった。 二つ目には、虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開基した(807年創建)という。 1200年経った今となっては、明確な起源は分からないが、いずれにしろ平安初期に創建されたということは間違いない寺である。 虚空蔵菩薩 中世には、華厳宗(総本山 東大寺)の寺院であった時期があり、東大寺の書物に弘仁寺の記述が見られるという。 その当時の弘仁寺は、多くの堂宇が立ち並ぶ修業道場であった。 戦国時代(1572年)には、松永久秀の兵火により伽藍の大部分が焼失してしまった。江戸時代(1629年)に 宗全によって再興された。現在の建物はその当時のものであるという。 奥の院として、弘法大師が自ら掘ったと言われる、不動明王と井戸がある。 しかし弘法大師はあちこちに井戸を掘っている。 和歌山だけでもかなりの数だが、県外にもこうしてたくさんある。 今なら総理大臣してほしい人物。 |
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![]() (明星堂) |
![]() (神社) |
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