東大寺 戒壇院
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東大寺 戒壇院

戒壇院へは古びた石段をのぼって門をくぐる。2012年1月4日に訪れた。
二重の瓦屋根が軒を反らせている。

僧侶となるために「戒」を授かる儀式を、正式に行う「戒壇」が日本で初めて建立された場所である。
門からお堂までの石畳の両側は、禅寺の枯山水のように白砂が敷かれている。
戒壇とは、僧侶として守るべきことを履行する旨仏前に誓うもっとも厳粛な儀式、受戒が行われる場である。

東大寺境内の戒壇院に初めて入り、そんな大事な場所にすっくと立っている四天王のすばらしさに見とれた。
戒壇堂堂内は、撮影・スケッチともに禁止なので残念だったが、多宝塔を中心に堂内四隅にいる国宝達はすばらしかった。

四天王は、仏法を守護する神で、もともと古代インドの神々であり、仏教に取り入れられる際に四方を守る護法神となったという。仏教の世界観の中心にある須弥山(しゅみせん)の中腹の四方におり、帝釈天に仕えているという。

戒壇院は754年、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として東大寺に戒壇院を建立した。その四隅に国宝の四天王が配置されている。閉ざされた戒壇院内はほの暗い。

持国天と増長天は忿怒の形相で、阿吽に表情を表している。
広目天と多聞天は静かに口を閉じ、遠くを見据えるかのようである。
私は広目天が理知的でクールな感じがして好きである。
何かを考えているような、世の中を憂えているような、そんな表情に思える。筆を持って人の様々を記録しているふうにも見える。

そして彼らが踏みつける邪鬼たちの迫真の表情が面白い。
いずれの像も、写実的な表情で思わず見入ってしまう。

現在の戒壇堂の四天王像は土で作られた塑像である。
お堂が創建されたのと同じ天平時代のものではあるが、もともと安置されていた四天王像は金銅製であったという。
現在の四天王像は別のお堂から移されてきたという。
四天王像の文様はほとんど剥落して白い土肌がむき出しになっているが、膝の裏や股の奥にわずかに彩色が残っているという。
色は薄れても存在感はいや増している。

会津八一はここで、

 かいだん の まひる の やみ に たち つれて   
               ふるき みかど の ゆめ を こそ まもれ
と詠っている。
歌の意味は、「戒壇院の真昼でも暗い堂の中の四隅に四天王は立ち並んで、遠い昔の天皇の夢を守っている」
ということだが、本当にうまく詠う。

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