御所市中西遺跡 |
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<御所市中西遺跡> 御所市の高速道路建設現場で遺跡が発掘され、現地説明会が行われるということで、出かけた。 京奈和道路の建設現場からすぐであった。 建設に当たって、掘削調査していると出てきたという。 参加した現地説明会会場には駐車場はないということだったので、現地で駐車場を探したがなかった。 ぐるりと2回くらい回った頃、現場事務所の一部を開放して駐車場として、ガードマンが案内してくれた。 お陰でかなり近い位置から現地説明会会場に行くことができた。 現地はかなり暑かったが、熱心な人たちがたくさん来ていた。 当日の奈良新聞から引用すると、 「御所市の中西遺跡で、古墳時代前期(4世紀前半)を中心とする竪穴(たてあな)建物群が見つかり、県立橿原考古学研究所が19日、発表した。遺構は北東側に広がる大規模な集落遺跡、秋津遺跡と一体となることが判明。 平成21年度から続けられている京奈和自動車道御所南インター建設に伴う発掘調査で、今回は7550平方メートルを調査した。 竪穴建物を26棟検出した。 建物は標準サイズで一辺4メートル前後、最大で6・5メートル。 れらは西南西―東北東方向の溝で北側と南側の群に区画され、北群は秋津遺跡へとつながる。 建物群や溝の方位も秋津遺跡の集落遺構と一致し、一体のものと判明した。竪穴建物は計81棟になる。 集落全体の範囲は南北約400メートル、東西200メートル以上。 さらに北側や西側に広がる可能性がある。 高杯や小型丸底壷(つぼ)などの大量の土器や、鏡形の石製模造品1点が出土していて、集落内の祭祀で使われたと考えられる。 秋津遺跡ではこれまでに、祭祀用と考えられる塀で囲まれた方形区画や独立棟(むね)持ち柱建物、居住用の竪穴建物などを検出。 中西遺跡も含めて集落内部は直線的な溝で祭祀空間と居住空間とに分けられており、同研究所は「空間を明確に区別して計画的に配置している。類例のない規模と構造だ」と話す。 秋津遺跡については、初期ヤマト政権が直営した祭祀施設や、5世紀に周辺地域を本拠とした葛城氏の居館との見方がある。」 ということである。 こうした現地説明会に行くと、初期ヤマト政権当時の人たちはかなり高度な生活をしていたのがわかり、感心させられる。 ここは大規模な古墳時代(4〜5世紀)の「祭祀(さいし)集落」跡で祭殿とみられる大型建物と、祭りにかかわる人たちが住んだ竪穴建物群が方位をあわせ、計画的につくられていたらしいということである。 初期ヤマト政権などの「宗教都市」の姿が浮かび上がってくる。 集落内は祭祀エリアと居住エリアがはっきり分けられていることも特徴だ。 巻向遺跡も発掘現場に行き説明会へ参加したが、当時の日本の首都は桜井市の纒向遺跡とされ、政治の中心で卑弥呼のいたところだと、限定は避けたが説明の担当者はそう語っていた。 秋津・中西遺跡はそこから南西に約15キロで、「初期ヤマト政権が直接統治した『祭祀集落』の可能性がある」とみるのがおおかたの推理であるが、かなりの確立で当たっているように思う。(2015年8月23日) |
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