達磨寺
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<達磨寺>
奈良検定の寺社について調べるために、ここを訪れた。
もう暗くなっていたので、詳細は見ることができなかったが普段寺社に参詣する時は、表にある案内板を一応読む。
結果的にはそれが頭の中にインプットされるようで、問題を見てもあわてなかった。

この寺の片岡山飢人伝説はそれまで調べてなかったのだが、試験に出た。
試験の前々日参詣し聖徳太子伝説を覚えていた。1点得した感じである。
この寺の山号は片岡山、宗派は臨済宗南禅寺派、本尊は達磨大師、聖徳太子、千手観音である。

創建については、推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施したという片岡山飢人伝説にからめて語られる。その後は、衰退と中興が繰り返され、江戸時代には幕府から30石が与えられたという。

片岡山飢人伝説とは、『日本書紀』の推古天皇21年(613年)や『元亨釈書』にある。
聖徳太子こと厩戸皇子が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕死の異人に出会った。
太子はその異人に当座の寒さと飢えをしのぐため、食物と自分の衣服とを与えた。
翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところ、すでに息絶えていたので、丁重に葬った。
それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがきちんとたたまれて、棺の上に置かれていた。
これを知った里人は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ないと言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりであるという。

達磨寺の境内には達磨寺1号墳・2号墳・3号墳と称される3基の古墳(6世紀頃の築造)が存在している。暗かったので見ることはできなかったが、このうちの3号墳の上に本堂が建てられている。
この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたようである。
寺院としての形態が整うのは鎌倉時代以後と思われる。
境内には松永久秀の墓がある。
この寺の重要文化財には、絹本着色涅槃図、木造聖徳太子坐像・建治3年(1277年)、木造達磨坐像・永享2年(1430年)、水墨画家として著名な周文が彩色を担当している。達磨寺中興記石幢 附:石碑(嘉吉2年(1442年)銘)、青磁香炉、大甕2口等がある。

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