朝護孫子寺
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朝護孫子寺

朝護孫子寺は信貴山寺、志貴山寺ともいい、宗派は信貴山真言宗(総本山)。本尊は毘沙門天である。

今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至り、戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かったという。朝護孫子寺
平安時代の寛平年間(889〜98年)に命蓮が入山したときには毘沙門天を安置する円堂一宇が建つのみであったが、その後延喜年間(901〜23年)に金剛界五仏を祀る堂を建て、延長年間(923〜31年)には本堂を改修して釈迦三尊を祀った。

朝護孫子寺の名は命蓮が毘沙門天王の霊験により醍醐天皇の病気を治して賜ったものであるという。
山岳密教の道場、修験道の宿として栄え、中世には数十の堂塔坊舎があったが、天正5年(1577年)に織田信長が松永久秀の守る信貴山城を攻略した際、多くの寺坊が焼かれた。
近世には毘沙門天王に対する武家の信仰を集めて復興し今日に至っている。

寺宝の紙本着色信貴山延喜絵巻三巻(国宝)は、命連の霊験を描いた平安時代末成立の絵巻である。
延長7年(929年)製作の金銅鉢も重要文化財に指定されている。
文明11年(1479年)の紀年がある十三仏石がんは、大和でもっとも古い十三仏の遺品である。

聖徳太子が毘沙門天を感得したその日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻で、太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けたという。
以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されている。
一月初寅の日に初寅大法会が行われ、福寅と称する張り子の寅もよく知られている。

2010年1月8日参詣したがいくのにかなり迷った。
ちょうどまだ初詣の間で、大勢の参拝客でにぎわっていた。
信貴山延喜絵巻をみたかったが時間切れで入れなかった。
境内はたくさんの堂塔があるが、寺全体に漂う儲け主義的喧噪は少しなじめなかった。

朝護孫子寺 朝護孫子寺 朝護孫子寺 朝護孫子寺
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