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(2003年4月26,27日) | ||||||||||||||||||||||||
古座海賊倶楽部主催古座川クリーンアップ大作戦 | ||||||||||||||||||||||||
朝、かなりきつい雨が降っていた。
少し心配したが、天気予報は昼から晴れるということであった。 ひまわりの写真も、雲がとぎれていた。 一昨日、チャットでスケジュールを決めた11時に、古座に到着するよう7時すぎに家を出た。 カヌーでツーリングを楽しみながら、流域のゴミ等の清掃をするという、古座の海賊倶楽部のイベントに参加するためである。 今年は、南紀熊野21協議会が解散したので、古座の海賊倶楽部の主催であった。主催はどちらでもよく、皆とワイワイ言いながら漕ぐのは楽しい。 大阪の、初めて漕ぐメンバーが4名参加するということで、御坊で到着を待った。 待つ間、釣り道具屋で帽子と眼鏡の脱落防止ストラップを買った。 これは、前日来の雨で水量が多いのを予測し、沈を覚悟したからである。 古座川はいつも水深が浅く、中途半端な水量の時船底を岩にぶつけると、その岩がテコになり沈しやすいのである。昨年も、よくこけていた。 今年は前を初めての人が漕ぐので、少し構えたのである。 古座には、「池田の瀬」や「横田の瀬」という難所があるという。 地名ではなく個人の名である。 何となく分かる。 大阪チームとの合流が少し遅れ、鶴川11時到着が難しくなった。 また遅刻しそうとなり、HIROMOTOさんの顔が浮かんだ。古座に着いて、JR古座駅前の貸しカヌー艇庫に行き、フジタの2人艇を一隻借りた。 その間に夜の食事、焼き肉の材料を調達した。 それやこれやに手間取り、到着予定が大幅に遅れた。 鶴川に到着してから大急ぎでテントの設営をし、漕ぎ漕ぎの準備をしたが時間の予測がつかなかった。 皆、柿太郎を漕ぎたいという気持ちが強く、結局予定通り柿太郎を漕ぐことになった。 室さんから教わったところから艇をおろし、漕ぎ出した。ここは手つかずの自然が残る、古座の聖域でもある。 あんずママチーム、HIROMOTOさん、AQUAさん、そして私の4艇で漕ぎ出した。 流れはかなり速かった。 久しぶりなので、上流に少し漕いでウォーミングアップをしたが、昨夜の遅くまでの準備と、今朝の早起きのために、頭が少し重かった。 「沈」のイメージが時々浮かんだ。 漕ぎ出すとすてきな瀬が次々と待ち受けていた。 水底の岩の加減で、瀬のうねりは思った以上に大きく、A-1などはバウが瀬につっこみ、多量のしぶきが頭を越えて通り過ぎた。 これまでいろいろな瀬を漕いできたが、しぶきが頭の上をすぎるというのはあまりなかったので楽しかった。数年前であれば、A-1でこのレベルの瀬につっこめば、間違いなしに沈したであろう。 ちょうど藤の花が綺麗で、抜けるような青空と相まって、最高のコンディションでカヌーをする幸せを感じながら漕ぎ進めた。 柿太郎は、銀杏の葉っぱのような地形で流れており、車道はその根元を走っているため、カヌーを漕ぐ時間はそれなりだが、車の回送が極めて短時間ですむ。 車の回送の時間が少ないと、得した感じになる。 柿太郎は、室さんが聖域というだけあって水も綺麗で川相もよく、適当な間隔で瀬がくるため緊張と緩和のバランスが良かった。 しかし、これは前日来の雨のせいで水量が多いからこれだけ漕げたのであって、私の記憶ではふだんはもっと水量が少ない。 水量が豊かだったので予定より早く漕ぎ終わり、鶴川のキャンプ地に戻った。 私はそれからボイジャー460Tを組み立てた。 久しぶりなので、細部の組み方を忘れてしまっており、マニュアルを見ながら組んだ。 まだまだ体が組み方を覚えていないのである。皆に手伝ってもらって組み上げた。これではいかん。 その後は、キャンプの楽しみの一つ怒濤の宴会であったが、私は焼酎を飲み過ぎて足に来、早々に寝てしまった。 夜中の2時頃、酔いが覚めて気がつくと寝袋がない。 寝袋を探したがすでに誰かが使っているらしく、収納していたボックスには余った食料しか入っていなかった。テントの中ではカブトムシの幼虫のように丸くなっていたが、明け方の寒さがだんだんつのり眠れなくなり、最後は車の中で冷えた足にTシャツを掛けて寝た。結局ほとんど寝ずで、朝を迎えた。 体調が万全なら、山間に朝日の差し込むところを写真に撮るのだが、ぼやーとした頭で撮る気にはならなかった。 朝食を終わった頃から少しは回復してきたが、頭の中のぼやぼや感は依然続いた。 |
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朝食は簡単にすませた。 結構陽がきつかったので、テントも寝袋も短時間でよく乾いた。 撤収を済ませ9時前役場に、車を置き人間をワゴン車で鶴川まで搬送してもらった。 主催者側から代表して古座役場の浜地さんと町の観光協会の会長さんが挨拶してくれた。 その後簡単な注意事項があった。 テレビ和歌山の取材カメラも入っていた。 式の後、それぞれ自艇に乗り込み、少し練習をしてから岸に並び記念撮影をした。 私はアルフェックボイジャー460Tを漕いだ。 前は、この日カヌーがはじめてという千石さんであった。少し不安があったのは、水深が船底すれすれの場合、穴があきはしないかということであった。漕ぎだしてみると、水は昨年よりも遙かに多く速かった。 いつもはカヌーを下りる瀬も、水深が思ったより深く安心して漕げた。 |
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前を漕いでくれた千石さんに、川砂の音を聞かすに忍びないと、少し浅い瀬が来ると、 「はい、パドルをあげてもらえますか」 前方に隠れ岩が見えると、 「はい、右ばっかり漕いでください」 コースを変更するときは、 「はい、今度は左へ行きます。右ばかり漕いでください」 と、いろいろ漕ぎ方の注文を付けてしまった。 うしろから、うるさい指示にいやになったでしょうね。 でも一度だけ岩に捕まり、危ない瞬間があった。 もう少し水量が少ないと、間違いなしにひっくり返るパターンであったが、水量が多かったので、水のふくらみが艇を持ち上げてくれて、岩をクリアし事なきを得た。 私のパーティのF2に乗った辻さんと今岡さんの二人は、沈した艇を助けにいって自分たちも、ひっくり返ってしまったという。二次災害となってしまったのである。その瞬間を見ることができなかったのは少し残念。 食事の後は、私の前を今岡さんが漕いでくれた。昼からのコースは流れも緩やかになり、心配した海からの風もさほどきつくなく、快適であった。小川と本流との交わる明神橋の下で、休憩をした。そこからは、私の前を浜田さんが漕いでくれた。いつもながら、小川の水は綺麗である。 |
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漕ぎ下って河口近くには、JRの鉄橋があるが、なぜか必ず特急が走り去る。 鉄橋からゴールまでは後わずかである。ゴールの橋の下の堤防にボイジャーを上げ、その場で乾かしザックに収納した。 A-1はすでに車のところに運んでもらっていた艇を車に乗せウェットスーツを着替えたあと、駅前の貸し艇庫前のスペースで交流会に参加した。 サザエ、イカ、カマスなどなど、新鮮な海の幸をたくさん頂いた。いつもながら古座のスタッフの皆さんには、感謝、感謝である。 私は、寝不足でいまいちパワー全開と行かず、車なのでビールが飲めなかったのが心残りであったが・・ このようなイベントを息長く続けていき、少しずつでも自然を大切にする気風を育てていって欲しいと思う。 自然は、自然のあるがままに任せてはダメで、10年、50年、100年と長期計画を立て人が手を加えながら、自然を守っていくことをしなければならない。 それは行政だけに任せず、住むもの訪れるものが一体となった取り組みが必要である。古座川でいえば、ダムの寿命が来たらどうするか、林業に携わる人が少なくなっている現実をどうするか。私の畑に、30年前植えた杉があるが、その成長具合からすると、裸の山でも30年すれば林になる。 よく手入れされた林は、水を貯め少しずつ供給して川を守る。川は山のエネルギーを海に送り出し、海を育てるのである。 やっと最近言われ出した、「山が川を守り海を育てる」という原点に返って、自然を創りなおす必要がある。 日本の中でも数少なくなった、いい川古座川を、そんなことを考えながら下った。 天気も良かったし、前から漕ぎたかった柿太郎も漕げたし、今年最高の二日間であった。 そんな楽しいカヌー漕ぎを実現して頂いた、古座川を愛するイベントスタッフの皆さんに感謝いたします。 是非また来年もよろしくお願いします。 |
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(2004年4月25日) | ||||||||||||||||||||||||
古座海賊倶楽部主催古座川クリーンアップ大作戦 | ||||||||||||||||||||||||
この日はいつもより参加人数が少なかった。説明する人もあまり力が入っていなかった。 しかし天気は最高で、カヌー好きには言うことなかった。 この日はカヌー仲間のIさんの送別会で荒船に泊まった。 |
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