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廃線の日 |
暮れも押し迫った、12月30日と31日。
前日の新聞で、暮れの31日が最終となることを知ったので、金屋町の有田鉄道最後の姿を撮りに行った。
金屋駅には、たくさんの人であふれていた。
毎日これだけの人が乗車していれば、廃線になることはなかったと思うがそうはうまくいかない。
この日、本来は2往復しかない運行を、6往復ほどに増便し、整理券で乗車させていた。
近所の人らしい方が、「うわー、こんな人出を見たのは初めてや」と大きな声で、乗車の整理券をもらうために並んだ人を見て言った。
私は4便目の整理券をもらった。
そして記念乗車券を1000円で買った。乗車券は3枚あり、歴代列車の写真が印刷してあった。
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(遠くから見ても何となくヨタヨタという感じで・・・) |

(記念乗車の整理券発行を待つ人々) |

(最後の姿を見に来た近所の人々)
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(沿線にはたくさんの『撮り鉄』) |
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(もうこの姿は見ることができない。音も聞こえない) |
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(キハ58 001+キハ58 002) |

(キハ07 207) |
 (ハイモ101) |
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(記念乗車券売り場) |

(切符を買う) |

(おじいちゃんはいるかなー) |

(はいチーズ) |

(昔の記憶を呼び戻しながら乗ってる感じ) |

(にぎやかな親子連れ。子供達は鉄道が好き) |
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乗車まで少し時間があったので、走行中の写真を撮りに、途中の橋まで行った。
そこでは10名くらいが三脚を立て通行を待っていた。
待つ間、となりの人と話をしたが、日本のあらゆる電鉄のことを知っていた。
マニアのすごさを思い知った。
ここで初めて、「乗り鉄」、「撮り鉄」などとという言葉を知った。
「僕は、撮り鉄と乗り鉄両方です」
「じゃー忙しいですね」
「そうですね、最近廃線が多いので、いそがしいです」
なるほど。
「私は『見る鉄』です」
と、一緒にいた若い人が、つぶやくように言った。
なるほど、カメラも持たず、じっとレールバスのくるのを待っていた。
「まだほかにも『駅鉄』などもあって、駅舎にこだわる人もいますよ」
うんうん、それ分かります。
駅弁にこだわる人もいるしね。
レールバスが来た。皆、一斉にシャッターを押した。
レールバスは、側面の「さよなら」の文字はわびしいが、晴れやかに、しかし、よたよたと走りすぎた。
再び金屋駅に引き返し、最終便のセレモニーを見た。
その便の乗客のホーム側の人に、色紙テープが渡され、窓から垂らしセレモニーを待っていた。
華やかな雰囲気で、セレモニーは始まった。町長の挨拶や駅長さんらしき方の挨拶があったが、マイクが入ってなく、全く聞こえなかった。ホームは、近所の人やマニアでいっぱいであった。
最後に花束が渡され、セレモニーは終わった。
テープを引きずりながらレールバスは走り去った。
私は、次の便に乗った。
セレモニーは通常運行便の最終だったのである。私が乗り込んだ便も満員で、私は立ったままであった。
レールバスは、独特の揺れ方で、走りだした。
レールバスから手を振る人、ホームから手を振る人。
親子連れの乗客も、
「ほれ、もうじきおじいちゃんが見えるから手を振りや」
「うん」
「あ、あそこにいたいた」
「おじいちゃーん」
金屋や有田、湯浅方面の人は、これに乗った記憶が様々に蘇るだろう。この路線も、思い出だけになってしまうのである。
藤並駅にはすぐ着いてしまった。駅では記念撮影が盛んに行われていた。
藤並駅からはバスで金屋に折り返した。帰りの便にもう一度乗ろうと思ったが、こちらでも整理券が要り、すでに満員だったのでバスにした。
乗ったバスは新車で、運転席の後ろにかなり大きな物入れがあった。山間地での品物を依頼されて輸送してくるのだろう。これからはこれが、この地方の主たる足となる。
途中、レールバスと併走し、新旧交代が確認できた。バスはすぐ金屋駅に着いた。
こうして乗り比べてみると、バスの場合は途中の人を乗せることも出来、フレキシブルに対応できる。やはり、この鉄道は廃止はやむなしと感じた。
小春日和のなか、ほのぼのとした鉄道のラストランに参加できて良かった。
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(最後の勇姿を藤並駅で)

(廃線後の住民の足。ちょうどいい大きさのバス) |
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○カメラ:ニコンF80
レンズ:ニコン AFニッコール 24−50mmF3.3−4.5
シグマ AF100−300mm F4.5−6.7
シグマ AFマクロ90mm F2.8
露出:フルオート
フィルター:スカイライト
フィルム:KODAK EBX ASA100
○カメラ:ソニーサイバーショットDSC−S70
レンズ:カールツァイス7−21mm F2.0
露出:フルオート
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