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廃線前に乗った | |||||||||||||||
有田鉄道が、廃止されるというニュースを読んだ。 一度乗らなければと思い、2度ほど行ったが空振りばかりであった。 今回初めて乗ることができた。 有田鉄道は、吉備町藤並のJR藤並駅をアクセスポイントにして、金屋町の金屋口まで5.6kmを結ぶ地方鉄道である。 藤並駅からは、有田川と並行して東に逆のぼり、金屋口では、有田川の土手のすぐそばに駅がある。 金屋口駅から土手に出ると、すぐに有田川が眼下にある。 清流有田川といいたいが、川もここまでくるとかなり濁り、上流の清冽さはない。 金屋町役場にバイクを置き、町中を散策しながら、金屋口に向かった。 |
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駅舎に入って、奥で事務をしていた女性に、 「切符をください」というと、 「切符はここにもありますが、向こうで買ってください」 「??。ここは切符は売ってないのですか?」 「だから、切符は売りますが、できたら向こうで買ってください」 「向こうってどこですか?よくわからないんですが」 「向こうというのは、あちらです」 「じゃー切符なしで乗っていいんですか?あちらで買えるんですね」 「はい、どうぞ」 私は切符がほしかったのであるが、藤並駅で購入できるものと勘違いして、切符を買わなかった。 切符を売ってくれない駅ははじめてである。 運賃は、レールバスの中で支払ってくださいということだったのがわかったのは、藤並で降りてからだった。 駅舎の周りは、7,8人のバックパックを背負いデジカメと一眼レフを持った、いかにもマニアっぽい人達がうろうろしていた。 実は、私も全く同じ格好だった。マニアに見えたかな。 この日、ニコン2台とレンズフルセットそしてデジカメを、リュック型カメラバッグで下げてきていた。 デジカメにはメモリーカードが入ってなく、使い物にはならなかった。(アホ) 10時半過ぎにレールバスが入ってきた。 次の出発は、11時35分ということで1時間ほど時間の空きがあるので、私は線路を歩くことにした。 構内をウォッチングしながら歩き始めた。 かなり荒れてはいるが、やはり鉄道の持つ独特な力強さはあった。 廃止されれば、これらの施設は使うことはおろか、見ることができなくなる。 今後地球環境をいわれるとき、こうした鉄道が、必要な時代が来そうな気がしてならないのだが・・・ 和歌山市内にあった路面電車も、廃止する必要がなかったのではないかと今でも思っている。 先日も、和歌浦を写真を撮りながら歩いたとき、お年寄りに伺ったら、やはり路面電車が懐かしく、和歌浦が寂れたのも、電車がなくなってからだという。 時代といえばそれまでだが、何か新しい形で残してほしかったと思う。 現に今でも各地で路面電車は生き残って営業している。 この有田鉄道も、単なるノスタルジーではなく、現実を見据え知恵を絞りながら、新しい形で生き残ってほしいと思うがどうだろうか。 当然県民も、協力しなければならない。 |
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10時40分に金屋口を出て、最初の駅「御霊」駅に着いたのは、11時であった。 歩いても20分ほどのところである。 周辺は民家が少しと、一面のミカン畑である。 駅の前では、測量をしていた。 廃線のための準備かなとは、少しうがちすぎか。 御霊駅をすぎた頃から雨がぱらついてきた。 傘を持ってなかったので、ザックにカバーを掛けたり、カメラが濡れないように気を遣いながら歩いた。 下津野駅に着いたのは、11時25分であった。 ここのホームのベンチは広くて綺麗であった。 もうすぐ11時35分金屋口発が来るので、ここで待つことにした。 この駅に着いた頃から、雨は土砂降りに変わって、カメラにも水滴がたくさん着いた。 レールバスは、表示されている時間より1分ほど遅れてやってきた。 乗り込むと、さっき金屋口駅で降りた人が、また乗っていた。 レールバスは、いわゆる電車のようにガッタンゴットンという感じではなく、何となくバスっぽい横揺れも交えながら走った。
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