有田鉄道
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■廃線の日に 
廃線前に乗った
有田鉄道が、廃止されるというニュースを読んだ。
一度乗らなければと思い、2度ほど行ったが空振りばかりであった。
今回初めて乗ることができた。
有田鉄道は、吉備町藤並のJR藤並駅をアクセスポイントにして、金屋町の金屋口まで5.6kmを結ぶ地方鉄道である。
藤並駅からは、有田川と並行して東に逆のぼり、金屋口では、有田川の土手のすぐそばに駅がある。
金屋口駅から土手に出ると、すぐに有田川が眼下にある。
清流有田川といいたいが、川もここまでくるとかなり濁り、上流の清冽さはない。
金屋町役場にバイクを置き、町中を散策しながら、金屋口に向かった。
有田鉄道
(橋の上から。左手の土手に金屋口駅がある)
有田鉄道
(駅前のバス停で、バスを待つおばさん)
有田鉄道
(電車に乗るかと楽しみにしていたおばーさん)
有田鉄道
(駅構内にある鉄道沿革)
有田鉄道
(事務所のクーラーの冷気がやけに冷たかった)

駅舎に入って、奥で事務をしていた女性に、
「切符をください」というと、
「切符はここにもありますが、向こうで買ってください」
「??。ここは切符は売ってないのですか?」
「だから、切符は売りますが、できたら向こうで買ってください」
「向こうってどこですか?よくわからないんですが」
「向こうというのは、あちらです」
「じゃー切符なしで乗っていいんですか?あちらで買えるんですね」
「はい、どうぞ」
私は切符がほしかったのであるが、藤並駅で購入できるものと勘違いして、切符を買わなかった。
切符を売ってくれない駅ははじめてである。
運賃は、レールバスの中で支払ってくださいということだったのがわかったのは、藤並で降りてからだった。
駅舎の周りは、7,8人のバックパックを背負いデジカメと一眼レフを持った、いかにもマニアっぽい人達がうろうろしていた。
実は、私も全く同じ格好だった。マニアに見えたかな。
この日、ニコン2台とレンズフルセットそしてデジカメを、リュック型カメラバッグで下げてきていた。
デジカメにはメモリーカードが入ってなく、使い物にはならなかった。(アホ)

10時半過ぎにレールバスが入ってきた。
次の出発は、11時35分ということで1時間ほど時間の空きがあるので、私は線路を歩くことにした。
構内をウォッチングしながら歩き始めた。
かなり荒れてはいるが、やはり鉄道の持つ独特な力強さはあった。
廃止されれば、これらの施設は使うことはおろか、見ることができなくなる。

今後地球環境をいわれるとき、こうした鉄道が、必要な時代が来そうな気がしてならないのだが・・・
和歌山市内にあった路面電車も、廃止する必要がなかったのではないかと今でも思っている。
先日も、和歌浦を写真を撮りながら歩いたとき、お年寄りに伺ったら、やはり路面電車が懐かしく、和歌浦が寂れたのも、電車がなくなってからだという。
時代といえばそれまでだが、何か新しい形で残してほしかったと思う。
現に今でも各地で路面電車は生き残って営業している。
この有田鉄道も、単なるノスタルジーではなく、現実を見据え知恵を絞りながら、新しい形で生き残ってほしいと思うがどうだろうか。
当然県民も、協力しなければならない。
有田鉄道
(指名手配写真がにぎにぎしく・・)
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(この鳥瞰図には湯浅まで線路がある)
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(いい雰囲気の改札口である)
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(降りてきたお客さんは、撮影に忙しい)
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(「普通」と書いているところがにくい)
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(なかなかおもしろいプレート)
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(これで燃料を入れているのだろうか)
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(貨物用気動車もわびしくあった)
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(葛が巻き付いて・・・)
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(ディーゼル(キハ58003)とレール軽トラ?)
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(線路補修用レール軽トラ?)
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(最初の踏切)
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(草に囲まれた線路)
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(鉄橋だが、わたるのは少し怖い)

(車庫の奥にあったもう一つの車両)
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(レールバスは、ミカン畑の中を行く)
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(昔はこれだけの長さのホームが要った?)
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(日本最古の木製貨物車)
の貨物車の手前の車両は日本最古の木製車両ということを後で知った。1929年生れで、今度三重県の貨物鉄道博物館(三重県大安町)に展示されるという。
うれしい知らせである。
(2003年5月24日毎日新聞和歌山版記事参照)

有田鉄道
(廃止を決めたという記事) 
有田鉄道
(貨車の移転保存が決まったという記事)
 
 有田鉄道
これは、和歌山の次田さんのページにある、1988年のものです。お願いして載せさせていただきました。
これを見ると、14年前には、結構にぎやかな車庫だったのがよくわかります。

さらにさかのぼって、1975年頃の車両は、この大阪府枚方市の前田さんの写真にあります。これもお願いして載せさせていただきました。
記録しておくことの大切さを、こうして並べてみるとよくわかります。

10時40分に金屋口を出て、最初の駅「御霊」駅に着いたのは、11時であった。
歩いても20分ほどのところである。
周辺は民家が少しと、一面のミカン畑である。
駅の前では、測量をしていた。
廃線のための準備かなとは、少しうがちすぎか。
御霊駅をすぎた頃から雨がぱらついてきた。
傘を持ってなかったので、ザックにカバーを掛けたり、カメラが濡れないように気を遣いながら歩いた。

下津野駅に着いたのは、11時25分であった。
ここのホームのベンチは広くて綺麗であった。
もうすぐ11時35分金屋口発が来るので、ここで待つことにした。
この駅に着いた頃から、雨は土砂降りに変わって、カメラにも水滴がたくさん着いた。
レールバスは、表示されている時間より1分ほど遅れてやってきた。
乗り込むと、さっき金屋口駅で降りた人が、また乗っていた。
レールバスは、いわゆる電車のようにガッタンゴットンという感じではなく、何となくバスっぽい横揺れも交えながら走った。

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(都会の線路にはない味がある)
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(御霊駅を線路から)
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(ホームとは対照的な下津野駅舎入り口)
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(・・・・・・・なんともいえない)
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(ホームから見た駅舎)

金屋口から、藤並まではわずか14分で着く。
私が最初に乗ったのは、下津野駅からだからあっという間に藤並駅に着いた。
線路が悪いのか車があまりスピードを出せないのか、時速25kmから30kmで走った。
このレールバスは、方向転換をしないから、前後に同じ計器板と操作器などがある。
前と後ろに乗り換えるだけである。
乗客用の椅子も、片側ずつ前向きと後ろ向きになっている。
合理的ではあるが、何となく寂しい。

2便目の藤並の出発は、12時である。

この12,3分の間車掌さん兼運転手さんにいろいろお話を聞いた。
会話の内容は省くが、最近はマニアの方が増えているということで、観光とタイアップした何かをやったらいいのではないかと言っていた。
私も同じ考えである。

この状態であれば、平日のみの運転より、土休日の運転の方が儲かるのではなかろうか。
ま、これは部外者がとやかく言えるものではない。
金屋口で切符を買い損ねたので、車掌さんにきくと、切符は売ってないと言われた。
結局、ワンマンバスと一緒で、機械にお金を投入して終わりなのである。
無理を言って買っておけばよかった。

藤並駅から金屋口の最終便?は12,3名ほど乗っていた。
どこかの大学生のグループみたいであった。
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(盆踊りがあるんだ)
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(綺麗で広い下津野駅ホーム)
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(金屋口から三番目の駅「田殿口」駅)
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(雨の中を走る。下津野駅から)
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(乗客は私を入れて4名)
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(車窓から。時速25kmであった)
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(周辺に施設はほとんど何もない)
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(バスと「列車」の時刻表。一日2往復)
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(もちろん駅員さんはいない)
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(代替のバス。これすら乗る人はまばら)
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(地盤はしっかりと線路を支えている)
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(藤並駅で次の出発を待つ)
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(仲良く並んで休んでいる)
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(いろいろ楽しいお話を聞きました)
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(車内に歌が張ってあった。「あすしらぬ老いのすさみの・・・」)

このレールバスは、平日しか運転していないので、休みを取らなければ取材できない。 今回休みを取ってやっと実現した。
何せ2便しかないので、走っているところがきちんと撮れなかった。
また機会があれば、走っているところの写真と、地元の人がこのレールバスをどう活用しているかを、撮影したい。

カメラ:ニコンF80、F801s
レンズ:24−50mm f3.3−4.5
     100−300mm f4.5−6.7
     100mmマクロ f2.8
     28mm f2.8
フィルム:コダックEBX ASA100
      フジカラーネガ ASA400
  

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