37a(2005年1月1日)

「阪神・淡路大震災」10年を迎えて
−内閣府認証NPOとしての都市防災研究会の新たな課題−

都市防災研究会副代表理事/関東学院大学教授 小林照夫

 日本では、1923年9月1日の「関東大震災」の恐ろしさを記憶に留め、災害時を想定した避難訓練を行う日として、9月1日が「防災の日」になった。1995年1月17日の「阪神・淡路大震災」が起こるまで、「防災の日」の避難訓練は、時の経過とともに、「訓練のための訓練」になっていたきらいがある。特に日本人は、「木と紙の文化」に生活の基盤を置いているためか、「石の文化」の西欧人とは異なり、歴史を継承したり積み上げたりすることが苦手で、あの悲惨な第二次世界大戦についても、大過去の史的事象であるかのように認識している人たちがいる。その意味では、日本人の記憶に留め置く周期は短い。

  10年前に「阪神・淡路大地震」を体験すると、多くの識者は、「21世紀は地殻大変動の時代」と称して、地震災害の恐ろしさを提言した。その結果、国、自治体、民間の諸団体が中心になって、地震防災活動を積極的に展開し、活動の実態がみえはじめてきた。そんな矢先に、「新潟中越地震」が起こり、地震の恐ろしさに再度打ちのめされた。そして、思い通りにいかない復旧活動をみて、一部の識者や評論家は、「阪神・淡路は都市型」、「この度の新潟は山村型」と区別した。そうした現実を考慮すると、本会の今後の活動そのものも再考が必要である。

 本会の誕生は横浜である。その横浜も、その多くは丘陵を切り拓き、人が居住した。崖崩れ等の土砂災害も想定しなければならない。ましてや、本会が内閣府の認証を受けた全国区のNPOであることを是認すれば、日本は山がつきもの、その視点からも、本会が「都市」という冠を戴いてはいるものの、「都市型災害」、「山村型災害」と割り切ることなく、日本の実情に即した広義の防災活動や支援活動を、今後より積極的に展開することであり、そのための研究・実践の体制強化を早急に構築しなければならない。



新潟県中越地震災害ボランティアに参加して

都市防災研究会幹事 関口 正俊

 10月23日午後5時56分、新潟県中越地方を襲った震度7の地震は、死者40人、重軽傷者2,858人、倒壊家屋50,866棟(全壊2,499、大規模半壊416、半壊4,385、一部損壊43,566)、その他の建物被害11,940棟などの未曾有の大惨事をもたらした。(11月19日現在)

 私はこの地震の第一報を台風23号の水害被災地である飛騨高山での災害ボランティア活動中に受け、24日深夜帰浜し情報収集に努めるとともに、関係者に義援米(金)の提供を呼びかけた。

 25日午後11時、横浜栄災害ボランティアネットワーク(準備会)のメンバーである鈴木幸一氏とともに、その時点で集約された義援米(無洗米)100kgと「おでん」10ケースを積み込み「炊飯ボランティア」を主目的に新潟県小千谷市に向け出発した。

 上越高速道は月夜野ICで通行止め。一般道に入り三国峠を越えた。26日午前3時頃から雨も激しくなったため車中で仮眠。日の出とともに国道17号線を下った。

 午後3時頃最初の目的地小国町に到着。被災者を見舞った後小千谷への進出を試みたが、夜間・雨・余震と悪条件が重なり危険も増してきたため、長岡市内で宿泊。

 翌27日早朝宿舎をたち午前7時小千谷市街に入った。市内の道路は到る所で寸断、家屋の倒壊も目立つなか、市役所内に設置された災害対策本部を訪問し「ボランティアセンターはサンラックおじやに設置される予定」との情報を得て、上越道小千谷ICに程近い同所を訪ねボランティア受付などの業務を手伝った(小千谷ボランティアセンターは27日開設)。

 その後、市社会福祉課から吉谷地区の市立吉谷保育園(被災者120人を収容)を紹介され同園庭を拠点に炊飯活動を開始した。以後2日間、炊飯活動を初め周辺の被害状況調査などにあたることになるが、電気・ガス(都市ガスを使用)・上下水道・電話などすべてのライフラインが途絶した中、ささやかではあるが「炊飯ボランティアが提供した暖かい食べ物」が被災者の方々の心の支えとなったとすれば望外の喜びである。

 それにつけても、現在の災害ボランティアは個人の奉仕に委ねられているところがあまりにも多い。ボランティアの側にも具体的なスキルを持っての参加など改善すべき点はあるが、ボランティアを担う人、支える人(組織・財政)、受け入れる人、そして行政との組織的な連携など課題も多いと感じた。

 11月22日から30日まで、長岡市内8か所に避難している山古志村避難所のサポートボランティアに責任者として参加した。この避難所支援にあたり急遽「中越地震災害ボランティアネットワーク」を立ち上げ11月初旬から1か所あたり4〜5人の組織的なボランティアを配置した。

 通常は2泊3日で参加するがブロック単位の責任者は一定の期間常駐するとの方針で避難所に寝泊まりし食事も同じものを食べた。結果的にはこの方式が成功で、被災者の方々との信頼関係が築かれたと思っている。

 12月中旬の仮説住宅の入居まで続けられるが、仮設入居後はそれに見合った支援ボランティアを企画しているところである。

 後日談になるが、私たちのボランティア活動を手伝ってくれた中学生の在校する市立小千谷中学校と、防災教育で先進的な取り組みをしている横浜市立日限山中学校との防災交流が、都市防災研究会の仲立ちで始まろうとしていることを付け加えておこう。



新潟中越地震救援レポート

都市防災研究会理事・セーフティリーダー 前田 和子

 新潟中越地震被災者に対し、多くの自治体ボランティアが活動し、日本人の心を示した。私は救援に、なんと、群馬県庁に行った。私は「大災害時は被災地は混乱し、現地に車が入るのも救助の人の宿も食も大変であるから、近隣の市・県が支援の拠点を作り、現地本部と連携し、支援する」事を主張している。それを群馬県がやると聞き、参加した。

 群馬県と川口町が災害協定を結び、群馬県と災害救援ボランティア推進委員会が協定を結んだ。群馬県庁内の支援センターが支援拠点となり、毎朝、新前橋駅前よりバスで川口町にボランティアを送り出す。協定により、セーフティリーダーは群馬のボランティアと共に川口町に毎日救援に行った。

  • 良かった点:支援する人が被災地に負担をかけなかった。川口町の要望をストレートにボランティアが活動出来た。
  • 反省:川口町の要望しか伝わらず、他の場所でもっと必要とされていたのに救援してあげられなかった。被災地本部との連携が必要だと思う。

提言
 今回も最初「ボランティアお断り」と言われた。やみくものボランティアは有害である。しかし“できる”ボランティアは災害時即必要である。災害救助は一刻を争う。被災地に喜ばれ即活動する「公認災害ボランティア」の登録を、国、神奈川県、横浜市に提言する。



第4回研究発表大会開催

川辺浩司

 2004年12月11日(土)、神奈川大学横浜キャンパスにおいて、第4回研究発表大会が開かれました。

研究大会の様子  NPO法人取得後初めてとなる今、大会は「巨大災害にいかに立ち向かうか」がテーマでしたが、発表分野は多岐に渡り、非常に内容の濃い大会となりました。発表の中では参加者から色々な意見や考え等が出され、大会全体が活性化し、防災教育分野では今後専門の研究会が開かれる予定となり、関心の高さを感じることができました。又発表される方々の世代層が広がり、「都市防災研究会」に色々な方々が参加して頂く上で非常に意義のある研究発表大会になったと思います。

 研究発表大会をより活性化させる上で、発表分野ごとに分科会形式での発表を導入すると、より各発表時間や参加者を交えた意見交換の時間を取ることができるのではと思いました。又「都市防災研究会」の重要な役割の一つとして、一般の方々への情報の発信が挙げられますが、このような研究発表大会に一般の方々の参加をより呼びかけ、互いに防災を始め色々な分野について学び合う場が、これからより重要になってくるのではと思います。

 今回で4回目をむかえた研究発表大会ですが、これからも継続的に行われ、より多くの方々と防災をはじめ色々な分野で語り合い、新たなつながりが生まれる場となることが望まれます。

会場の様子


あなたの家の防災対策は???

 内閣府の中央防災会議は、首都直下地震その他の巨大地震による被害想定の詳細を発表した。これは、日本全体に多大な影響を与える巨大地震の発生が目前に迫っているとの認識によるものであり、発表はきわめて異例の事態である。

 しかし一般市民の災害に関する意識はのんびりとしており、個人の防災対策は、殆どなされていないに等しい。世界有数の地震国に生活をしているのに、自助努力によって被害から身を守るという考えが広く起こらないのはなぜだろう。

 この度の新潟県中越地震でも、被災者には事前に防災の意識を持ち、備える考えはなかったようである。

 公共放送などでは天気予報は頻繁に取り上げているが、これからは地震関係の報道、予報、具体的な被災対策のノウハウなどにもっと定期的に時間を割くべきではないだろうか。地震の正確な予報はまだ無理だとしても、過去のデータからある程度の予測や、備蓄の知識、教育的報道はできるはずである。

 被災対策を伝えることは、「明日持つ傘」くらいに一般市民の関心を上げる意味で重要なことである。例えば

  • コンビナート火災による被害が、限りなく拡大する可能性を喚起したり、被害を減少する方法の検討。
  • 帰宅難民になる可能性のある人に対して自覚を促し、帰宅できなくなったときの備えと対策の具体的な指導。
  • 外国人に対する対策と具体的な指示と指導。
  • 阪神・淡路大地震や新潟県中越地震の体験者による経験を生かした防災対策。
  • 広範囲の大地震では、救援物資もすぐには届かない。各自が自助努力で備える水・食料・テントなど、衣・食・住の備えの重大さをとくことの必要性。
  • 広範囲の災害にあっては、消防署・救急車・給水車などの救援活動を期待しても、まず無理である。球場でホームランボールを拾うが如し。行政の人々も被災者である。

以上、上げればきりがないが、このような問題を都市防災研究会でも関心を持ち、活動していきたい。

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