第26号b(2002年4月1日)

セント・アンドルーズのゴルフ場の噺
−ゴルフ場の開設は市民意識によるコミュニティの形成にあった−
都市防災研究会代表補佐 小林照夫

 「都市防災研究会」の大間知倫事務局長から、「『スコットランドの都市の形成とまちづくりに関連して』という原稿を、3月中旬頃までに用意してほしい」という連絡をいただいた。
 おそらく、その依頼は昨年の11月に出版された拙書『スコットランドの都市−英国に見るもう一つの都市形成の文化史論−』(白桃書房)が前提になってのことだと思う。拙書については新聞や学会誌等に掲載されているので、改めてここで取り上げる必要もないが、「都市防災研究会」の中にはゴルフを楽しんでいる人たちも多いように伺っていることもあって、拙書の一部に依拠し、コミュニティとのかかわりの中で誕生したゴルフの聖地、セント・アンドルーズのゴルフ場を取り上げてみることにした。

 昔は、日本の観光客がスコットランドを旅したと言っても、エディンバラグラスゴーに赴く程度であった。ところが、日本人の間でゴルフ熱が高まると、ゴルフの聖地、セント・アンドルーズに訪れる人が多くなってきた。ゴルフにはスコットランドオランダの両説があるが、ここでは最近定説になった前者の説に限ることにする。

 スコットランドではゴルフ場をリンクス(links)と称する。それはリンクスランド(linksland)に由来する。リンクスランドは地質用語で、海岸に広がった砂丘にできた草原を言う。そこには、長いときの流れを経て、潮の干満を伴いながら、砂の荒れ地ができた。さらに、長い歳月の間風雨にさらされ、その起伏を伴った荒れ地には、いつの日か灌木(ハリエニシダやヒース等)が茂り、常緑芝フェスキューが自生するようになる。やがてウサギが穴を掘って住みつき、それを追う狐が徘徊し、無数のけもの道が縦横にできた。そこは庶民の格好の遊び場に変身した。

 イングランド同様にスコットランドにおいても、荒れ地はコミュニティを構成する人たちの共有地として利用された。羊を放牧することは共有地活用の一つであった。羊飼いたちは暇にまかせて、持っていた杖を逆にして小石を打ち、それをウサギの穴に入れて興じた。
私自身ゴルフに興じたことがないので、正規のコースをまわった経験は2、3度しかない。そんなことで出掛けて行った場所も名の通ったゴルフ場ではなかったが、それでも芝生には手が入れられていて、周辺の樹木や灌木にも整えられた跡がみえた。ゴルフ場ができると山や丘陵地帯の緑は失われ、除草剤が散布されたグリーンは、水質源の汚染につながると騒がれるのがよくわかる。

 ゴルフ場の聖地セント・アンドルーズのオールド・コースを訪れて驚いた。「これがゴルフ場?」、その一言に尽きる。まさにリンクスランドそのものであった。何の飾り気もなく、誰でもそのコースに立ち入ることができる。そんなリンクスランドのコースをスコットランド人は誇りにしている。それを彼らは「神がつくったコース」(God-made course)と言う。日本のゴルフ場はアメリカの影響もあって整備されている。英国人はそういうゴルフ場を「人がつくったコース」(Man-mede course)と言い、レベルの低いものと見なしている。全英オープンは創設以来「神がつくったコース」で行われている。

 セント・アンドルーズのオールド・コースの原型は、1124年にセント・アンドルーズが王許自治都市になってから、市民自治の形成と歩調をとりあうようなかたちでつくりあげられてきた。その意味では、ゴルフ場の原型の歴史は中世にあったのかもしれない。しかし、今日言うゴルフとなると、16世紀の半ばまで待たなければならない。それは、このオールド・コースでゴルフをやることを取り決めた特許状が、1552年に交付されたことと結びつく。

 特許状を交付したのはハミルトン大司教であるが、彼はスコットランドで一番古い大学セント・アンドルーズ大学(1412年大学設置認可)の活性化に努めた人物としても有名である。彼は特許状を交付し、セント・アンドルーズの市民に、リンクスランドでゴルフをやる「共通の権利」(communal right)を与えた。自治都市を構成する市民生活とゴルフ、そんな結びつきの中で、セント・アンドルーズのオールド・コースは、時には羊を追いながら、市民がゴルフを楽しむ聖地になった。そして、驚くことに、1913年まで、オールド・コースは、セント・アンドルーズの市民に限らず、使用料を払うことなくゴルフを楽しむことができた。

 ゴルフはクラブと共に発達したスポーツなので、セント・アンドルーズ・ゴルファーズの話も必要になるが、ここでは割愛する。ともあれ、そうした歴史を有するゴルフも、18世紀の半ば頃からその性格を変えた。それまでは市民が気軽に楽しむスポーツであったが、クラブの組織かがはじまると、特権階級による差別化が試みられた。特権階級はゴルフに規則と作法を持ち込んだ。そして、クラブとゴルフ競技を結びつけた楽しみ方を模索した。その結果、どのクラブに所属するかが重要な意味を持担うようになった。

 ゴルフの始まりは「共通の権利」を前提にした。そのことを重視し、伝統的なクラブはカンパニィ(仲間company)やソサエティ(交友society)を名称に織り込んでいる。その後クラブは特権階級によって差別化を生み出しはしたが、共同体的連帯やコミュニティの意識を努めて堅持した。そのような意識が前提になってか、ゴルフは自己申告が最優先した競技になる。自治都市セント・アンドルーズ、ゴルフの聖地セント・アンドルーズ、両者には一脈通じるものがあり、その分母には「自らを治め、自らを律する」エトスをみる。

 「都市防災研究会」の主要な課題の一つに「防災と福祉のまちづくり」がある。課題を現実にするためには、「自らを治め、自らを律する」姿勢が必要になる。そうした姿勢は市民意識と結びついている。
 しかし、残念なことに、日本には「国民」という概念は一般かしているが、「市民」という概念はあまり定着していない。それはかつての日本人が近代国家の要件として富国強兵や殖産興業を追い求め、先進欧米諸国に追いつくために国を一つの固体とした経済主義が先行したことによる。そのために、国は国家主義の高揚を求めることがあっても、市民意識の高揚についてはむしろ抑制する方向に機能した。
 そして同時に、後発的な国家であった日本のあせりから、そうした経済主義が政治的に武装され、戦時体制下の統制経済で象徴されたような、国家主義的理論の構築が常に王道を歩んだ。それとは異なり、市民意識は地域や町の中で根付き、「国家さきにありき」ではなく、草の根の生活現場から積み上げられ醸成されていく。そうした市民意識の高揚をはかることが、「防災と福祉のまちづくり」にあたっては、最優先の要件ではないだろうか。



Back

ニュースレターtop 別館top