第26号a(2002年4月1日)

ひょうごメモリアルウォークから

大瀬 陽之

 今年もまた神戸に行って来ました。

 あの日以来、毎年1月17日前後に神戸を訪ねる旅を続けていますが、町の急速な復興に感心する反面、大事なことが忘れ去られていくようで心配でもあります。
 毎年、この時期になるといろいろな催しが開かれ、それに参加することにより、被災地の状況や問題点等も多少把握できます。

 今年は、阪神・淡路大震災7周年「1.17ひょうごメモリアルウォーク」に大間知さんと参加させてもらいました。
 このメモリアルウォークは、震災の体験を未来につないでいこうと、震災時に避難路や救援物資の輸送路になった神戸市長田区から神戸東部新都心までの幹線道路約10キロのコースを歩いて当時を振り返ろうというもので、ゴールの「阪神・淡路大震災メモリアルセンター」建設予定地では、追悼の集いが予定されていました。

 当日は、早朝5時前に、三宮駅前のホテルから歩いて10分ほどの東遊園地に行き、「神戸市震災7周年追悼の集い」に参加しました。
 真冬の早朝というのに、あまり寒さを感じず、被災地当日、着の身着のままで寒さと恐怖に震えておられた多くの方々と同じ体験とはなりませんでした。
 会場は、すでに多くの参加者や報道関係者が集まり「1・17」をかたどった6432本のろうそくの灯に、震災で亡くなられた方々への思いを新たにしました。
 震災発生時の午前5時46分には、参加者全員が黙祷しましたが、竹筒の中で微かに揺れるろうそくの灯を見つめているとなぜか涙ぐんでしまいました。
 その後、一旦ホテルに戻り、朝食をとった後、メモリアルウォークのスタート地点の長田区県立文化体育館に行きました。

 午前8時にスタートしたウォークそのものは、整備された幹線道路の歩道を安全に快適に歩くだけで、途中で防災訓練に参加したりしたものの特に感動することもありませんでした。
 しかし、注意してみると、幹線道路から一歩入った裏通りには至る所に更地やプレハブの仮設建物があり、まだまだ解決しなければならない問題が山積していることを実感しました。
 3時間のウォークの後、予定されている追悼の集いには参加せず、三宮の駅前の食堂で2人だけの追悼の集いと反省会を行いました。

 翌日は、一人だけで、被害が大きかったにもかかわらず復旧が遅れている淡路島の北淡町を訪問しようと、明石港に行ったところ、いままで明石と北淡町の富島を結んでいた定期船が廃止されており、時間の都合で今回の訪問は取りやめました。
 こうして、今年の神戸訪問の旅は終わりましたが、町がきれいに整備された反面、多くの被災者の生活再建、高齢者・弱者対策、子どもたちの心のケア等々、多くの問題の解決が必要である神戸について、引き続き調査研究して行かなければならないことを痛感しました。

 横浜と似た雰囲気のただよう港町神戸、来年の1月17日も、神戸に行くことでしょうが、次回は、早朝の追悼の集いに参加した後、自分で考えたメモリアルウォークのコースを自分だけで回ることにしたいと考えています。




三宅島被災者に対する法的支援の問題点

関東学院大学講師 三浦一郎

■事態の経過

 平成12年9月4日の三宅島全島避難完了後からすでに1年半以上が経過するが、有毒ガスの大量放出継続のために、現在もなお島民の帰島の目処がたっていない。

 この間、被災者に対しては関係各所によって、災害対策基本法による非常災害対策本部の設置
(H12.8.29)災害救助法に基づく生活必需品の無償供与、被災者生活再建支援法適用による生活再建支援金の支給(一世帯最高100万円)などの法的措置がとられ、その他にも、義援金の配分などの生活支援、授業料等免除による就学対策、租税等の減免措置、被災者が差し出す郵便物の料金免除や動物救援施設の設置等が行われた。
(詳しくは平成12年三宅島噴火及び新島・神津島近海地震非常災害対策本部による三宅島噴火災害の被災者にとった支援一覧参照>>>)

■三宅島被災者支援の法的問題点

 三宅島被災者に対する支援活動は、政府・自治体により現行法では可能な限り行われてきた。しかし、災害救助法に基づく支援は現物支給による応急的なものであるし、そもそも、都営住宅での避難生活等は避難所生活とは見なされず食事などの法的支給は受けられない。また、自立した生活支援を目的とした被災者生活再建支援法の支援金支給についても、災害前年度の所得というような長期的避難の実態にそぐわない受給条件が設けられているために支給対象外の世帯が存在した(都が独自に50万円支給)。
 さらに、いつ帰島できるのかさえわからないという再建のシナリオが当事者に描けない現状においては、用意された災害援護資金の貸し付けなどの住宅対策、三宅島での農林水産業対策、中小企業対策、雇用・就業対策は名目的なものと言わざるを得ないだろう。

 つまり、現行法においての災害対策は緊急且つ一時的なものが想定されていて、今回の三宅島のような継続的状況での被災者支援は想定されていない。また、これらの法的措置はすでに終了していて、現状では、新たな三宅島被災者への法的支援は何もなく、今後は被災による支援から生活保護などの社会福祉上の支援へと推移して行かざるを得ない。

■今後の支援は?

 以上のように、現行法では三宅島被災者への今後の支援の道筋は見えてこない。
 この点、被災者の生活再建にほとんど法的支援がなかった阪神大震災を教訓に、平成10年に議員立法で成立した被災者生活再建支援法を改正して支援金支給額を上げることも考えられる。しかし、今後起こりうる災害に対して、関東大震災級の大規模地震にも適用可能且つ地域の例外なく支援がなされるべき法としての安定性を考慮すると、支援金支給額の増額は現実的には難しいのではないだろうか。やはり、現行の災害対策関連法で今回のような継続的生活支援を補うのは困難であり、支援受給条件の緩和よる解決が望まれる。

 具体的には、今回のような災害による長期避難を想定した支援法か、三宅島のケースだけを対象とした特別立法を成立させることが考えられる。ただし、この場合も支援の期間や額の決定は、従来の福祉法との兼ね合いで困難が予想される。

 この点、法的解決ではないが、北海道は平成12年の有珠山噴火災害において独自に八ヶ月間生活支援金制度を実施した。現状では一定の期間を区切り、東京都がこのような政策を実行することが現実的で、国民の理解も受け入れられるのではないかと思う。しかし、この場合も、その期間が長期に及ぶとなれば支援金支給の継続は難しいだろう。



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