第20号(2000年10月10日)

意識の共有と若者の参加を
一魅力ある会のために一
都市防災研究会代表補佐 三村眞人

     「天災は忘れたころにやって来る」と言われていますが、最近では忘れ様もないうちに火山は噴火し、大洪水が発生して緊急避難を余儀なくされています。加えて世情は景気が悪いと声高に叫ばれ、少年による人災が絶え間無く生じている様相を呈しています。
     21世紀を目前に迎えようとしている時であるにも拘わらず、あまり明るい展望は見えて来ません。しかし、どんな状況が起ころうとも希望と微笑みを見失わないことが肝心ではないでしょうか。そして、いつ襲って来るかもしれない天変地変に備えて日頃の生活を築いておくことが何よりも大切なことではないでしょうか。つまり、高い防災知識と深い知識を住民は共有していることが何より強く求められるところです。千里の道も一歩からです。先ずは研究会の会員が十分な防災意識を持ち、災害に遭遇したときには助け合い、状況把握や情報伝達が速やかに出来うる様なシステムを構築することが必要かと考えます。
    このためには日頃からの会員相互の交流を密接にすることが肝要だと思われます。
     会員が研究会に期待するものは何か、今、一番に関心あるもの、求めているものを探ってみることが必要と考えます。更には研究会が生き生きとした息吹を出すには若い人達が参加していることです。著者の参加を可能とする魅力ある研究会になることです。その一つが行動する会ではないでしょうか。かなり無責任な提言かも知れません。




市民のための危機管理講座が全国レベルで紹介へ
東海村臨界事故から見えてきた原子力防災

     『原子力施設周辺における防災訓練に見た危機管理』大間知事務局長の「市民のための危機管理講座」(6月24日実施)で講義した内容が、10月7日発売の『軍縮問題資料』11月号に掲載されています。これらの内容の一部は岩波書店『科学』8月号、『NO NUKES 静岡Press』16号(8月号)にも掲載されました。
     また9月27日開催原子力委員会長期計画策定会議に一般公募意見発表者5名のうちの1名に大間知倫さんが61名の中から選ばれました。9月27日東京品川での会議に臨み、原子力防災について意見発表を行いました。
     原子力資料情報室の共同代表西尾摸さんや、女優の大山のぶ代さんも一緒に意見発表を行いました。会議は東京を皮切りに青森、福井の順で全国3ヶ所で行われるもので、今後の原子力長期計画に反映されます。当日はインターネットで中継されました。ケーブルテレビでも全国30チャンネルで10月 7日に放送されました。会議の概要はインターネットで知ることができます(詳細は事務局までご照会下さい)。
     「市民のための危機管理講座」は参加者が少なかったですが、思わぬことから全国規模での発展普及へと波紋が拡がっています。




浜岡原発見学ツアーに参加して
一第1回現地ルポ一
都市防災研究会事務局 林 美佐

     去る9月13日(水)「発電所一日探検ツアー」と題して中部電力浜岡原子力発電所見学会が催された。当研究会からは大間知事務局長と私が参加した。朝7時半、藤沢駅を発った私達はバスで一路浜岡町に向かったのだが、途中「海鮮・ならぶ市場」で昼食をとる等原発見学ツアーとは思えない趣向を凝らした行程であった。
     私にとって原発見学は初めての事である。事前に用意して呉れた資料である程度の予習をして出掛けたものの、実際にこの目で見た事は無いからピンと来ない。が、初めて訪れる場所であるという緊張感、しっかりと見て来て会員の皆様に報告せねば、という責任感の狭間で昂ぶった心地で現地入りした。
     初めて見る浜岡原発は整然と管理されているという印象を受けた。但し、平時はこのような整然さを保っていても、非常時には何が起こるか分からないであろう。例えば震災時。伊豆諸島の群発地震が気になる今、気象庁・地震防災対策強化地域判定会により「東海地震への影響はない」との判断が下された。だが、原発の直近に活断層があるにも関わらず、本当に大丈夫と言えるのであろうか。浜岡原発は素より、現地入り迄「目の保養」とばかり楽しんでいた窓外の景色や家並みまでもが「砂上の楼閣」に思えて来た。原発震災は絵空事では無いのではないか。「百聞は一見に如かず」−このような機会を与えてくれたツアーの主催者側及び事務局長に感謝している。
     浜岡原発東海地震は野上幹事から3年前研究会に提起された大きなテーマです。
     高木仁三郎先生を招いての勉強会、連続講座で同氏の講師による講義の実施を毎年実施して来ました。機会があれば皆さんも浜岡に出掛けて雰囲気を味わって下さい。




都市防災研究会(葉山)夏季セミナー
新発見の小田原市千代台地西縁断層
  上本進二会員が中間的研究成果を発表
野上 純輿

     都市防災研究会主催の夏季セミナーは8月26日、関東学院葉山セミナーハウスで開催。
     上本進二氏(神奈川県立七里が浜高校教諭・本会会員)が「小田原市千代台地の遺跡調査から見た国府津一松田断層」のテーマで講義し、26人が聴講した。

     上本氏は、「国府津一松田断層は約3000年前に活動したきり動いていない。そのかわりに千代台地西縁の断層は何度も活動している」として、遺跡調査の過程で発見した千代台地西縁断層の地震考古学的研究の中間的成果を発表した。
     それによると、千代台地遺跡の各地点で発見した小断層は、走行が国府津一松田断層方向(北西一南東)に斜向する例が多い。台地全域に圧縮力が加わっているようで、ロームブロックがしぼり出されている現象が多く見られ、震度6〜7での影響を受けている。
     地震の発生時期は、約5,000年前、約2,800〜3,000前、4世紀ごろ、8世紀後半(地質的には未確認)または1923年(大正関東地震)の6回であり、千代台地に所在していたと考えられる相模国府は、8世紀後半の地震で平塚か海老名に移転したと考えられている。
     上本氏は、「千代台地西縁断層は600〜800年おきに活動している可能性がある」と指摘し、千代台地西縁断層も国府津一松田断層と同様に主断層が発見されてないなどの課題があることから、千代台地遺跡のこれからの本格的調査の結果に大きく期待している。
     講義のあと質疑があり、懇親会を開いた。                               


講演者のプロフィール
上本 進二
1951年広島県出身
現在、神奈川県立七里ガ浜高等学校 教諭
専攻(専門分野)
地震考古学・環境考古学・石材考古学
主要論文
 「上ノ町・広町遺跡の遺跡形成環境」
 (神奈川県茅ヶ崎市「上ノ町・広町遺跡」1997)
 「相模湾周辺の遺跡から検出された地震跡」
 (「第四紀研究 第38巻第6号」上杉陽氏共著1999)

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