風のささやき

遠い記憶に

閑寂な冬の陽射しが
僕の横顔に差してくる
葉の無い枝の間から打ち寄せる
細波のようなものに
眼差しを伏せて僕は聴いている
沸き水のように音も無く
僕の奥底からあふれ出す透明な記憶に

それは遥か遠い昔の物語
僕が足を運んだこともない森
深い湖の青い水面には
こそばゆい陽射しが
小さな幾つもの風の手に
触られ銀色に微笑む
僕の目も真っ白な眩しさに
一瞬に捕らわれて色を飛ばす

若々しい木の葉も驚き枝から身を剥がす
湖に落ちるたびに魚に姿を変えて行く
その速さを捕えようと畔を走る足の強さは
美味しい木の実を求め走り回っていたことから

茂みの向こうをかき分けて進み
傷ついた指先のつまむ赤い木イチゴを
惜しみなく口に頬張ると
酸味と甘みとに揺すぶられる
新鮮な気分を嗅ぎ分けたように

木陰から眺める鹿の姿が見えた
言葉こそ通わせ合えないが心は
分かち合えたように見守る
君もここにおいで
この赤い実で一緒に
喉も心も潤すことにしようと

縫い目の無い空の青いつながりは
どこに歩いて行こうとも
心配がないことを教えてくれる
全てにしっかりとした大地は
夜になれば眠くなる
僕の背中を支えてくれる

陽が落ちようとも星の川の
上流から零れくる
流れ星の瀑布を目指し
青い月影の水底に潜り込みながら

疲れては横になる草むらの夜具に
胸に抱いた団栗を噛みしめる
その苦々しさは明日の僕の体の力

今日の出来事を牛のように繰り返す
すべてが陽射しと風との
心地よさの中での出来事と
夜の森の生き物たちの奏でる
子守唄に聞き入り瞳を閉じて・・・・・

不意に誰かの肩に背中を押されて
立ち尽くしていた僕は引きもどされる
鹿の代わりに自動車が走り回る場所に
この体に潜む不思議な
遠い感触から置き去りにされて

あれは僕に折り重なった幾つもの
生から滲みだした記憶なのか
ふとした瞬間に訪れるそれを
確かめる術も無い僕は
目を瞑り瞼の奥の映像の感触に
また触れようと徒な試みにふけっている