風のささやき

秋の午後に

それはどこの波打ち際の潮騒だったろう
耳を澄まし目を閉じれば
遠く鳴り響いている歌のある午後

あるいは葉のこすれあい
笑いあう声だったのだろうか
まだ若い葉の楽しさの
僕の心からは
もう離れてしまった新鮮な

いつの間にか耳に住み着き
時々は思い出したように
僕の頭に蘇り流れ行くもの
その度に僕は振り向いてしまう

まるで昔馴染みの友達に
声かけられたような
予期せぬ唐突さに驚きながら

すると僕はまた不意に
透き通ってしまう
心臓はもう
何の言葉もなくして

ただ風景は風のように
そのままに僕を通り過ぎていく

その印象
色合いと肌触りと
言葉の種とを残して

懐かしい場所だここは僕には

下り坂を下りて行ったら 
林の上の空は
まるで青い水を湛えた
海のように見えた 

白い雲の波しぶきは
空を清める大きな津波だった

帽子をかぶったドングリを手にすると
やんちゃな顔がニヤリと笑ってみせた

僕を高く投げ上げてごらん
太陽に近づいて僕は
キラキラとしながら地面に落ちるよ
そうして高く芽吹いて行くんだ

そんな強い言葉を聞いていたら
僕もドングリの帽子を被って
駈け出してしまいたくなる

白い羽を生やした軽い靴を履いて
林や海や空や
わけ隔てもなく
透明な風の衣服をまとって

柔らかい日差しが僕を通り抜けていく
いつの間にか僕は
うす藍の影さえなくしてしまって

木立が僕の中に
大きな思いとともに
倒れこんでくる

何の不思議もない
落ち着いていればいい
時が一瞬取りこぼした
生の谷間に訪れる
静かな秋の午後のことだから