風のささやき

三日月の夜

薄い三日月が空に昇った
冷酷な色合いの鋭利な刃物のように
僕は首筋が寒くなるのを感じながら
その三日月から目が離せないでいる

バス停に立つ僕を拾い上げようと
一台のバスが近づいてくる
ほっとしてバスに乗り込もうとする
僕の背中に何かが切りつけてくる
思わず後ろを振り向くと
そこには空に居座ったままの三日月がいるだけ

僕は一瞬の隙を衝かれてしまったらしい
胸の中では確かに何かが切り落とされてしまった
さっきまではきっちりと
僕の中に整理されていた出来事が
意味をなくしてバラバラになった

薄暗いトンネルの中のようなバス
座っている人は一様に
背中を丸めて手元に見入っている
伸びすぎた爪の手入れ
それとも不幸な手相を変えようと
爪でも立てているのだろうか

血に飢えた蚊が僕の肌にやってくる
どこから紛れ込んだのだろう
真っ黒な大きな蚊だ
僕は無造作にそれを叩き潰して床に捨てる

信号毎にタイヤを止めるバス
そうして丁寧にもエンジンまで止めて
赤信号一つに何を恐れなしているのか
何人も人を乗せたこんな大きな体なのに

胸の内が暗い闇に侵食される
暴力的な気持ちが僕に吹き溜まる
僕はこのまま街に解放されてはいけない
膨れ上がった僕の肩は
きっと人をなぎ倒そうと欲するのだろう

窓の外を覗いていると
その面に映っている善人面した僕の顔
嫌悪感を覚えてそいつにはつばを吐いている

こうも簡単に僕は人間らしさを失うらしい
三日月の鎌に切りつけられて
あるいは素直な僕が蝙蝠のように
闇に解き放たれる夜なのかも知れない