風のささやき

夢のひとときに

眠れない真夏の夜だった
乾き切らない汗に窓を全て開けていた
明日に備えて誰もが眠ってしまったのだろうか
風の音ばかりが外にはあるのだった

古めかしい蚊取り線香の匂いがしていた
僕と同じように窓を開けている人がいるのだろうか
その匂いはどこか懐かしく
子供の頃に家族で出かけた
波の音の止まない旅館の
寝苦しい夜を思い出していた
   
電車ばかりが時折
レールの上を走りすぎると
うとうとしかけた目を僕は開いて
その後にはまた何事もなかったかのように
風が静かに語りだすのだった

そんなことを何回繰り返したのだろう
やがて電車の通る本数もまばらになると
電車が通り過ぎる瞬間を待ち
聞き耳を立てる僕がいた

遠くからやがて
レールを軋ませて走る
電車の音がやってくる
暗がりを照らすライトに
闇は従順に従っている

いつの間にか僕は車中の人となり
頼りなげに頭を揺らす
ススキの原を眺めていた

お客さんはもう夜も遅いせいかまばらだった
みんな疲れきったように押し黙っていたので
僕もそれに習って考え事をしていた

電車はゆっくりと心地よく揺れている
車輪の音が男の低い呟きのようにも聞こえる
暗い車内を小さな蛾が飛び回って
その方がいつまでも気になっていた
僕は少し神経質になっているのだろうか

古ぼけたジャケットを僕は着て
ポケットには大事な切符を入れて
明日の朝には辿り着くその場所への思いに
胸を少し高鳴らせている

背中を少し丸めながら
ここに座っているのはほんとうに僕
老人のように黄ばんだ顔の月に照らされた
見慣れない指の関節と手首の細さ
網棚の上には読み捨てられた新聞紙が
投げ捨てられたままで

それともこれは僕の血に流れる
誰か懐かしい人の記憶
夜な夜な夢の中で僕に結ばれ蘇ろうとする
そうして僕がそこで豊かになる

僕は汗ばんだ布団の中にいた
まだ夜中の3時を回ったところだった
懐かしい気分だけがまだ僕の胸に
なおのこと暖かだった