風のささやき

一

真珠色の陽射しを
波がゆっくりと舐めている
午後の穏やかな 食事時
波の一つ一つが
舌の上の余韻に うっとりとしている

そんなことには気がつかず
砂の城を 積み上げる少女たち
陽射しのドレスを着た ひととき

その大切な時を守ろうと
波は繰り返し打ち寄せては
永遠を歌う
眩し過ぎる波の群で

海はどうして 舌の上の大切な光を
小さな花束にかえ
この世に捧げて やまないのだろう
誰のための 飽きることない
波の繰り返し その営み

いつしか 気がついて欲しい
願いさえも おくびにも出さずに
遠くから見ている
まるで初恋の心のように
愛しい微笑みを 胸に
飽きることなく 反芻しながら

―いつか大切な人と
 初夏の波打ち際を歩いた
 白い潮風が吹いて
 もう聞こえてはこない
 言葉の端々には
 終わってしまったものの
 穏やかな 余韻が漂っている

―水平線から湧き上がる入道雲
 真っ白なワンピースの裾が揺れている
 あなたの砂地踏むサンダルも白だった
 穏やかな昼下がり そのときも
 波は心地よい光で
 僕らを祝福してくれていた

あなたといる景色は
大切な記憶の奥に はまり込んだ
淡い恋心のひとピース
いつの間にか そこからは
取り出せなくなって
ただ 遠くから
ときおり 眺めるだけの

海はきっと知っていて
心の頼りなさ
僕らに許されている時間の短さを
だから見かえりを 求めることもなく
光を捧げてやまないのだ

波に追いかけられて
忙しい横歩きの蟹の足
海の祝福を知らないのは
おまえだけではない と


ニ

白い窓枠に レースを飾って
海は夢見たままの 穏やかな青い絵画
一息ごとに 色合いを変える
幸福な絵筆の 踊りやまない

真珠色の波に触ってきた
風にはオリーブの艶
部屋に遊びに来ては
僕を子供のように幸せにする

白い貝殻のらせんを 一歩ずつ
さかのぼるよう ゆっくりと記憶を探る
肌に触れるものの すべてが楽しい
その感触のつながる先へ
開いてみる 水色の扉

僕の顔に 懐かしく
温かいものが 押し寄せる
それは 遠い海の向こうにある
幸いの国 その追憶の波

そこに暮らす
一人一人の顔を思い浮かべながら
したためる文字は
青空と夏の雲とを添えて
温かい涙で濡らした
切手をはって
今の僕へと消息を伝える

確かにそんな時が
あったことの追憶を
誰も胸にひっそりと飾る
小さな額縁に入れて
やがては窓から吹き寄せる
潮風に 色褪せて行くものとして

僕だけの胸には 大切な
誰にも触れられない 秘め事
その懐かしさへの感傷も
海にとっては きっと食べあきた
ありふれた 代り映えのない出来事


三

金色の朝日の降り立つ
海原は幸福な笑顔に満ちて
僕は まぶしさにその顔をみられない
いつの間にか そこから
放り出された者の 許されざる罰のように

船がゆっくりと 広げる航路を
光の波が 親し気について行く
すべてを信頼しきった
歩みはじめの 幼な子のように
笑いながら 追いかけて
甘えながら まとわりついて

僕があんな 信頼に
満たされていたの
いつの日のことか

大きな後ろ姿を信じきって
おぼつかない歩調を 恐れることなく
何度転んでも 痛くはなくて
その姿を追いかけていれば
幸福に 導かれると信じて

人はいつから
こんなに臆病になるのだろう
人への信を忘れ
ぎこちないけど
美しい歩みを忘れて

素直なままの 溢れんばかりの
微笑を 忘れて
ついて行く後ろ姿をなくして