世は宣伝の時代というけれど

2004年11月


<あれほど忠告しておいたのに>

「この世に広告しない職業はない」と喝破した人がいるけれど、 それにつけてもインターネットも広告の花盛りである。 (2)節で、「通院可能な人が治療院の広告サイトを 覗いてくれる可能性は小さいゆえ、このような地球規模の 通信媒体を利用するのは非効率である。 治療院を探すだけならタウンページにアクセスすれば済む。 マクロな見方をするなら、不必要な回線を占有し、 エネルギーの無駄使いになるから宣伝のページは控え、 カイロプラクティックを説明するサイトを もっと開くべきだ」と忠告しておいたのに、 増えるのは宣伝のサイトばかりである。

<そんなに稼いで
(稼ごうとして)どうするの?>


「下手なヤツほど看板がデカイ!」
という、わがサイトの患者向けのメッセージ(「どこへ治療にゆくか」参照)を、 同業へのそれと勘違いしたのか、次のような異論を、 ある掲示板で目にしたことがある。

「宣伝して何が悪い、大企業だって派手な宣伝をしているではないか」、 「開業当初は看板を上げないと、あるいは宣伝しないと 自分の治療院の存在をアピールできないではないか」(以下略)。

何度もいうが上の惹句は、同業各位に向けて発信しているのではなく、 筆者がさまざまな治療を受けてきた経験にもとづき、 「患者としての経験則」を世間に向けて発しているのである。 決して「看板や宣伝広告を控えるべきだ」などと、 業界内部に向けてアピールしている訳ではないことくらい、 一読すればすぐにわかるだろうに。

自分の読解力のなさを棚に上げ、 こちらに文句をつけるのはやめてもらいたい。 こんなこと、筆者のまわりにいる、ちょっと見識のある人なら 皆さん異口同音に言っている。 「下手なヤツほど看板がデカイ」なんて、治療の世界だけじゃなく、 どんな業界でも当てはまることだ、と。

そもそも、あちこちの治療院、アレコレの治療を渡り歩いてきた すれっからしの患者としては、 大きな看板や派手な宣伝を見るにつけ、 「宣伝しないと患者さんが獲得できないほどヘタなのかい? ヒマなのかい?」と勘ぐりが先に立ってしまう。

筆者の腰痛を治してくれた上手な先生は、 大阪でも東京でも宣伝なんか全くしていなかった。 そりゃそうだ、手一杯なら、わざわざ高い金かけて 患者さんを増やそうとすることなんか全く必要ないはずだ。 そして手一杯だからといって治療院の規模を ひろげているような所なら、それこそ下手な助手に治療されるので、 頑固な腰痛なんか治るもんか。

<濡れ手で粟は虫が良すぎはしないか?>

大きな看板を上げたければジャンジャン揚げるがよい。 派手な宣伝をしたければ気の済むまでするがいい。 ただし、見た人をしてその気にさせるには、 それ相応の費用をかけないと逆効果である。 チマチマした宣伝をしたって、そっぽを向かれるばかりだ。

ところが、宣伝費というものは我ら素人の予想を超え、 はるかに高額である。素人が予想する額のざっと3倍は 請求されると覚悟しておくがいい。 この高額に、彼らまたは我ら零細自営業が無事耐えきれるかどうか。 多額の宣伝費が重荷となって経費倒れになること なきにしもあらず、である。 よしんば思惑通り宣伝効果が上がったとしても、 増収分がそっくりそのまま宣伝費で帳消しになるかもしれない。 なんだ、それなら骨折り損のくたびれ儲けじゃないか。

それより何より、広告に多額の費用をかけるくらいなら、 治療技術向上のための自己投資をなぜ優先しないか。 10年ほど前から巷では「カイロの治療は乱暴で、かえって痛めつけられる」 という悪評が高まっていることは、 同業者ならずとも誰でも知っている事実だろう。 勉強不足、修行不足のままで開業しているカイロ治療院が 増えている証拠である。

あわてて開業してはみたものの暇を持てあまし、 患者が欲しい気持はわからぬでもないが、 伎倆不足を宣伝でカバーしようというのは本末転倒も甚だしい。 最短の治療が最大の宣伝になると心得るべきである。

養成校(米国のカイロ大学も同じ)を卒業しても、 数年間は日曜セミナーに毎週のように出席しないと 他人様を治せるレベルにまで技術は向上しない。 筆者の場合には塩川スクール卒業後すぐに開業したが、 経営が軌道に乗り始めると共に勉強代も増え、 開業4年目からほぼ10年間は毎年100万円あまりの勉強代を費消した。 筆者の仲間も皆これくらい、あるいはそれ以上の勉強代を 使っているはずだ。

年間の自己教育費が50万円を切るようになったのは、 ようやく開業後15年を経てからである。 これではとても広告費にまで手は回らないし、 そんなことに金を費やすなら勉強代にまわしたい、 という気持が強かった。

そりゃあ、言葉巧みに、1回の通院で済むところを3回に、 3回を5回に引き延ばして通院させれば、 その分増収になるから高額な宣伝費もまかなえるだろう。 (回数券と称する前払い制度もそれに一役買うだろう)

状態が重篤ゆえに、あるいは伎倆およばずで回数が かさむものは詮方ないが、必要もないのに何度も 通院させられるのは、患者にとっていい迷惑である。

これとは別に、助手を増員し、一時に多くの患者を受け入れるようにして 増収を図るという方法もある。

こういう手管を「経営学」などと称するらしいが、小規模技能業に 経営学もひったくれもあるもんか!ただただ、技術向上に邁進すればよいだけのことだ。

しかし助手というものは院長の伎倆に肉薄したと思ったら、 あるいは超えたと自覚したら、たとえその自覚が錯覚または 勘違いであっても、誰が何と言おうと独立開業するものである。

安月給のままでいつまでも院長の下に留まってくれる 「有能な」助手なんかいない。金輪際いない。断じていない。 彼らまたは彼女たちの立ち至り立ち去ることの なんぞ速き、さながら「速きこと風のごとし」である。 残るは足手まといになる助手ばかり。 院長の高名を聞きつけて訪れたものの、 どう見ても格下の助手に治療されるというのも、 これまた患者にとっていい迷惑である。

以上、待合室に患者をあふれさせる方法で、 患者にとっては迷惑な例を紹介した(他にもあるが省略)。 広い世の中だもの、本当に腕が良くて繁盛している治療院(病院)も たくさんあるだろう。こんな治療院ばかりならいっそめでたいが、 そうとも言い切れない場合もあることを言いたいために、 これだけ委曲を尽くさねばならないのは我ながらご苦労である。

そして筆者が何と言おうとも、依然として人は待合室に 患者があふれている治療院なら文句なしによく効くと 勘違いして押しかけるのである。

ここに至って筆者は、人々が治療院(病院)の伎倆を 見極める目のないことに今更ながら大きな驚きを 覚えるものである。目指す治療院(病院)に たどり着いて見上げれば、銀行、ホテルと見まがう白亜のビル (の中の一室)である。 受付には眉目うるわしくうら若き、まれにはそうともいえない乙女 あるいは老嬢が鎮座ましまし、 慇懃無礼な応対も銀行、ホテルにそっくりである。

そして最先端の医療設備と、極めつけはいかにも 威厳たっぷりの治療師(医師)。 これにてお膳立ては万全、 さあ何でも治して進ぜようと言わぬばかりだが、 果たしてそうか?

「それなら、おまえはどうなんだ?」という声が 聞こえてきそうなので、筆者の例を書いておく (危険!真似スルベカラズ)。 わが治療院は、開業当初からNTTのタウンページ(職業別電話帳) への掲載なし。開業時に一度だけ新聞の折り込み広告を 1万枚入れたことがある(これを見て来院した患者は2人)。 断っておくが、これは自慢ではなく、単に開業資金が乏しくて 広告費がひねり出せなかっただけの話である。

8年前にインターネットにサイトを開設してからは、 迷惑電話防止のために個人名電話帳への掲載も抹消している。 看板については、13年前に現在地へ移転するまでは 表通りに面するビルのベランダに1.5m×2.5mほどの看板を出していた。 現在地に移ってからは看板を設置する適当な場所が見あたらず、 面倒なので街路に看板は設置していない。 玄関のドアに30Cm×10Cmのネーム・プレートを貼っているだけである。

ただ、このサイトを開設し、世間に広くカイロプラクティックを 知ってもらうことが、とりもなおさず、わが治療院 『前田カイロプラクティック』の大いなる『宣伝』に なっていると考えている。まぁ、こういう宣伝のやり方もあるということデス。

<看板見て、
真っ先にやって来るのは広告取り>


面白いことに看板を設置していた頃、これを見て治療に来て下さる患者さんは 月に1人程度であったが、広告取りはひっきりなしにやってきた。 広告すると、それが広告取りを引き寄せる、というのは皮肉である。

「こんにちは」
と言うから患者さんかと思ってイソイソ出てみると、 何のことはない広告取りである。 「ウチは広告出さないよ」と言って断ると、 室内に誰もいないのを見て「宣伝しなくて大丈夫かい?」と 捨てゼリフを残して立ち去る無礼者もいた。

けれども、世の中良くしたもので、ご縁のある患者さんなら 宣伝なんかしなくったって草の根分けても たずね当てて来てくださるものである。 ご縁がなければ、たとえ襟首掴まれようとも玄関の前を 素通りするだけだ。そして広告・看板のたぐいは、 ご縁のない人まで引きずり込もうという算段の所作なのだ。

広告で患者さんが増えるならめでたいが、 その人たちは元々ご縁のない方がほとんどである。 そのご縁のない人ばかり治療してごらん、 ご縁のある人に比べて治療後の疲れが格段にひどいことが判るから。 だから、広告で患者が増えるのはめでたいようでいて、 ちっともめでたくないのである。

とまれ、当院の宣伝広告費は開業当初からほとんどゼロである。 そのためかどうか(伎倆がいま一歩なのか)、 わが治療院は常に閑古鳥が啼いている。 時折小遣いをせびりにやってくる大学生の息子にも 「ここの治療院はいつ来ても(待合室に)患者さんがいないなあ」 と言われる始末である。 「流行らせる」という意識または意欲がないから、 これは当たり前だ。流行らせ方を知らないではないが、 私がやれば失敗するに決まっているから、やらない。

<元気で仕事できるのが一番!>

しかしこれでよいと私は思っている。 俗に「流行りものは、すたりもの」という。 家業が盛業なのは結構だが、いつまでも盛業のままで 続く事業はない。

上り詰めれば必ず下りがある。事業が成功したのはよいが、 うれしさのあまり手を広げすぎ、いざ下り坂になった時、 広げすぎた手を引っ込めるタイミングを誤って 事業閉鎖の憂き目に至った企業は例を挙げるにいとまがない。 潰れないまでも、手を広げすぎて仕事の質が低下し、 評判を落としている企業は多い。

別にいうと、上り詰めなければ下り坂もない道理である。 手を広げないから仕事の質も(下手ながらも)これ以上落ちようがない。 治療院を閉鎖しない程度に細々であっても、 いつまでも治療を継続することが、 筆者を信頼して治療に来て下さっている(数少ない)患者さんに 対する最低限の義務と考えるからである。

治療師は患者さんより先に死んではならないのである。 そのためには体調管理を万全にし、体力を温存し (それゆえ、おお、あの閑古鳥を啼かせつつ!) 「あのジジイ、まだ現役で治療している!」 といわれるようにならねばならないのである。

とはいうものの、こと寿命に関しては明日をも知れぬ身、 いつお迎えが来るやも知れず、 筆者が何才まで現役でいられるか、 神のみぞ知る、であるが。

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