品位     ヒポクラテス著
Decorum    Hippocrates


掲載日 2013.11.25
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英訳:W.H.S.Jones (1876-1963)
「HIPPOCRATES」 VOL. II 1923
Loeb Classical Library


英文サイト管理者の序

本著作は一般ライセンス下で認可されている(次のURLから入手できる)。
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邦訳者(前田滋)の序

英訳文は右のサイトから入手できる。 Internet Archive

本和訳に関しては、英文サイトの著作権宣言と全く同一の事柄をここに宣言しておく。すなわち、

1. 本著作を商業目的に利用しないこと。
従って、治療院の案内、カイロの学校その他、金銭のやりとりを目的とするサイトへの引用・転載は一切してはならない。

2. 本著作を商用以外の目的で引用・転載を希望する場合には、全文ならなおさら、ごく一部であっても、必ず訳者(前田滋)の許可を取ること。メールはこちら

またその際には、必ず下記のURLと訳者(前田滋)の氏名を共に添付すること。
  http://www.asahi-net.or.jp/~xf6s-med/jh-decorum.html

ただし、本サイトへのリンクはフリーとしますので、これはご自由にどうぞ。

3. 本著作を商用以外の目的で再利用、配布する場合には、必ずこの著作の認可条項を周知させ、明確にすること。

4. 当サイト(カイロプラクティック・アーカイブ)は、無断転載・盗用があまりにも多いので、これを防ぐためにほとんどのページを暗号化し、ダウンロードやプリントができないようにしてある。しかし、ヒポクラテスの著作に関しては、英文サイトの情報公開理念に従って和訳文も自由にダウンロードできるようにするために、暗号化処理をしていない。

追記:
英訳文は(そしておそらくギリシャ語の原文も)、コンマ(、)やセミコロン(;)で延々と文章が続いていて、段落が全くない。しかしディスプレイ上で読む際には、画面に適度な空白がないと極めて読みづらいので、英文のピリオドを目安にして、訳者の独断で適宜改行をつけ加えたことをお断りしておく。

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品位    ヒポクラテス著
Decorum   Hippocrates


英訳:W.H.S.Jones (1876-1963)
「HIPPOCRATES」 VOL.II 1923
Loeb Classical Library
邦訳 : 前田滋 (カイロプラクター、大阪・梅田)
( http://www.asahi-net.or.jp/~xf6s-med/jh-decorum.html )

1.
知恵というのは多くのことに役立つもの、すなわち生活に応用できるものであるという人には、それなりの理由がある。ほとんどの知恵は実のところ、明らかに溢れかえっている。私が言っているのは、彼らが議論している問題に何の利点も得られない知恵のことである。しかしこの点に関しては目をつむることにしよう。怠惰のないところには邪悪もないということであるから。仕事をしないで怠けていると、えてして邪悪に走ると言うより、邪悪に引きずられるものである。しかし、知性を高める修練を重ね、知性による気配りを身につけることで、人生を素晴らしくする何かが得られるものである。無益な目的のための単なる話はやめておこう。それよりずっと高尚なものが知恵であり、これは他のなにかと共に術を創出するものである。そして術というものは品位と名声を指向しているのである。

2.
実際、科学的な方法に使われている知恵なら、どんなものでも高貴といえる。ただし、それが金儲けや下劣な品性に対する偏愛に汚されていないならの話ではあるが。そして、その知恵が金儲けや下劣な品性に汚されているなら、そのような知恵は厚かましい者たちの間だけにしか評判にならない。

そして、若者たちがそのような信奉者と出会うのだが、彼らが成長した時に、その信奉者たちを見ると羞恥心と共に冷や汗をかくことになるだろう。また老年になると、腹立たしい気持ちで、これらの信奉者たちを国から追放する法律を議会で通過させるのである。

以上のような人々が国々を巡り歩き、下品な振る舞いで人を惑わしながら、群れ集うのである。諸君は彼らの豪華な衣装やその他の点に引きつけられるかもしれない。しかし、華麗に着飾っていても、彼らを注視している者からは避けられ、嫌われるのである。

3.
これと反対の知恵は次のようなものと考えられる。それは、考え抜かれた準備をすることなく、過度に練り上げられてもいないものである。着衣は懲りすぎていなくて簡素だが上品で、むしろ人望を得ることを目指すもので、瞑想や内省したり、歩行するのにふさわしいものである。

いくつかの特徴として挙げられるのは次のようなものである。真摯で、小細工をせず、相手には鋭く対し、反論は素早く、自説を曲げない。このような特徴を有する人は、素早い機転がきき、気さくで誰に対しても気立てがよい。そして問題に直面しても冷静で、理性と忍耐を備えている寡黙な顔つきで、好機を素早く捉え、食物と温度の利用の仕方を熟知し、好機の到来を我慢強く待ち、表出したことは全て適切な言葉で表現し、優雅な話し方、優しい性格で、これらがもたらす名声を切望し、事物が真実であると判れば、その真実に向かうのである。

4.
上で私が述べた特徴の全てに含まれる主な要素というのは、生来の能力である。実際のところ、生来の能力を備えていると、技術に携わった時に、前に述べた全ての特質をすでに獲得しているからである。技術と言い、知恵と言い、その利用法は教えることができないものであるから。

どんな教育がなされようとも、その前に天賦の才が横溢して教育し始めるのである。天賦の才が自身で成し遂げたことを知恵が知るのは、後になってからである。実際のところ、知恵と術の両方の言葉によって論破された多くの人々は、知恵と術の現実の事象を合わせて明示する方法を持たないのである。従って、彼らのうちの誰かが会話の中で持ち出されたことの真理を検証する時にはいつでも、その目的のために天賦の才は発揮されないことになる。

いずれにしても、この人たちは他の人たちがたどるのと同じような道を進むことになる。それゆえ、素裸のままで、彼らは悪徳と恥辱という衣装を身にまとうのである。

教えられた仕事の結果として得られる推論は秀でたものである。巧みに創作されたものは、すべて推論の結果として達成されたものであるから。しかし、表現が巧みなだけで実行を伴わない事物は、術とは無縁のものであることを示している。

行動しないで考えているだけなのは、教育と技術が身に備わっていないことの表れである。単なる考えは、特に医術においては、考えを持っている人には非難を浴びせ、考えを活用する人には破滅をもたらす。実際のところ、彼らが言葉の上で自身を納得させて、仕事は教育のたまものであると理解しているつもりでいても、それは彼ら自身が、炎の中に投入された金塊が単なる鉄屑と判るのと、同じことである。

とはいえ、このような言辞は幾分冷酷である。理解することが行動することと等価であるなら、それと同時に学識は目標を明らかにするものである。時には、時の経過によって術が正しい方法に誘導されることがある。あるいは時の経過によって、似たような方法に巡り会った人に会合する方法が明らかになることがある。

5.
それゆえ、これまでに述べたことの一つ一つのことをまとめ、知恵を医術に、医術を知恵に移し替えてみよう。それは、知恵を愛する医師は神に等しいといえるからである。知恵と医術の間には確固たる隔たりはない。実際のところ、医術には、知恵を構成している全てのものが含まれているのである。それは次のようなものである。公平無私、羞恥心、謙遜、自制、健全な考え方、分別、静謐、対立者への毅然とした態度、純粋、警句に富む話し方、人生に必要で有益なことに関する知識、洗浄剤の受け入れ(前田注;この文節だけあまりに唐突)、迷信の排除、卓越した神性。これらは、過激な言動、下品な振る舞い、強欲、貪欲、略奪、破廉恥と全く反対のものである。これは、人の収入を聞き出したり、人と交際する処世術であったり、子供や金銭に対する接し方のことである。このようなわけで、知恵は医術と繋がっていて、実際、医師たる者はこれら二つともまたほとんどの事を備えているのである。

6.
実際のところ、医術によって心に刻み込まれているのは、特に神に関する認識なのである。病気全般においては、また特に外傷においては、医術はほとんどが神の栄光に支えられていることが判る。医師たちは神々に道を譲ってきたのである。というのは、医術においては、力強いものが充分過ぎるというわけではないからである。医師が多くのものを備えていても、多くの病気は自ずとそれらに打ち勝っているのであるから。いま医術が手に入れている全てのものは、そこに投入されるだろう。神というのは、真の医師のことであると言ってもよいのであるが、大衆はそのようには考えていない。しかし、この説が正しいことは、次に挙げる病気の現象によって証明される。すなわち、病気は医術全体にわたって広範囲であり、形態も性質もさまざまであるが、時には手術によって治り、また時には治療や食餌によって寛解するのである。以上の説明は概略である。

7.
これまでに私が述べたことは全て正当なことである。さて、医師は意のままに操れる機知に富む知性を備えていなければならない。不機嫌な顔つきは健康な人、病人ともに不愉快な思いをさせるのだから。また医師は自分自身を注視していなければならない。そして無関係の人たちに自分の個性をあまり露わにすることなく、また無駄話もしないようにし、必要なことだけを話すようにせねばならない。無駄話は治療を批判する元になる。そして医師は空騒ぎや見世物に興趣をそえるようなことは一切しない。これらのことを熟考し、必要に応じて活用できるように、周到に準備しておくべきである。そうしないと、必要な時には常に間に合わないことになる。

8.
次に挙げる医術事項を全て準備しておかねばならない。すなわち、怪我や眼の病気のための触診、薬剤の塗布、洗浄、優雅で正確な手さばき、麻布、圧定布、包帯、通気、下剤、また、装置、器具、メス、その他さまざまな種類のものを前もって準備しておくこと。これらのことが欠けると、助けの求めようがなく、大きな差し障りとなるからである。それから、旅行に持ち運べるような、簡素な作りの治療器具入れを用意しておくこと。最も使い勝手がよいのは、秩序立てて配列されたもので、おそらく医師は全てのものを準備できるわけではないのであるから。

9.
病気の治療というのは、結局は心の中にあるということを理解しておき、薬剤とその特徴を、単体と混合した時を含めて、しっかり把握しておくこと。薬剤の使用法と、2〜3の症例についてはその量と種類を忘れないようにする。このことが医術の初歩であり、また中間、帰結でもある。

10.
皮膚の軟化剤については、そのさまざまな使用法に対応できるように分類して、前もって用意しておくこと。強力な飲み薬についても、さまざまな種類のものを準備しておくように。また浄化剤(下剤、催吐剤)についても、ふさわしい産地からのものを、さまざまな種類と量を適切な方法で、あるものは長時間持続するように、他のものはその時に応じてすぐに作れるように、準備しておかねばならない。その他の薬剤についても同様に準備しておくこと。

11.
以上のような準備を整えてから病人の部屋に入るのであるが、まごつくことのないように、そして行なうべきことは全て用意し、部屋に入る前になすべきことを十分理解しておかねばならない。というのも、多くの例では、推論でなく、実践的な支援を必要としているのだから。そして、それまでの経験から病気の経緯を予測すること。このように行動することで名声が高まり、理論習得が容易になるのである。

12.
部屋に入る時には次のことに留意する。すなわち、座り方や控えめな態度、着衣の見栄え、毅然とした態度、簡潔な話し方、沈着な態度、病床のエチケット、心遣い、反対意見に対する返答、面倒が起きた時の冷静な自己抑制、横やりに対する叱責、行なうべきことの準備、である。これらに加えて最初の心構えに心を配ること。これを怠ったとしても、準備しておくように指示されたことで、さらに誤りを犯してはならない。

13.
患者の元へは頻繁に往診し、特に注意深く調べ、病状の変化に惑わされることのないように注意する。そうすることによって症例の把握がずっと容易になり、同時に医師もまたずっと気が楽になるだろう。体液の性質は不安定なので、自然に、またあるきっかけから、これは簡単に変わる。処置を施す適切な時期を見極めるのに失敗すると、患者を助ける手立てがなくなるので、病気の進行を許し、患者は死に至る。多くの事態が同時に起きると、難しい状況に陥る。現象が一つずつ続いて生起する方がずっと対処しやすいし、経験からも学ぶのもずっと容易である。

14.
患者の過失にも注意せねばならない。患者は、処方されたものを摂ることに関してしばしば嘘をつくのであるから。下剤その他の不味い飲み薬を服用しないために、時に患者は死ぬことがある。患者は自分の犯した過ちを言わないが、責任は医師にかかってくるのである。

15.
寝かせる場所もまた考慮する必要がある。季節と病気の種類によって、ふさわしい寝場所が違ってくる。風通しのよい場所に寝かせる患者もいるし、またある患者は遮蔽された場所や地下に寝かせることがある。騒音や臭い、特にワインの臭気も考慮すること。これは特によくないので、遮断するか、置き場所を変えること(Jones注;香りの強い食物を食べることによって臭気を変える)。

16.
以上のことを全て静かに手際よく行なう。そして患者を治療している間、ほとんどの事を患者に見せないようにする。必要な指示は明るく落ち着いて行ない、今処置されていることから患者の注意をそらすように心がける。時には断固として鋭くたしなめ、またある時にはやさしく気遣って元気づける。ただし、患者のこれからの予想や現状に関する事は一切漏らしてはならない。というのも、多くの患者は、現在の状態や今後起こりうることを前もって知ることで、状態が悪化するからである。

17.
弟子の一人を残しておき、指示されたことを気持ちよく行ない、治療を取り仕切らせるようにする。その際には、すでに医術を充分に習得している人を選ぶこと。そうすれば必要なことは何でも追加して処置できるし、安全に治療できるだろう。また、弟子が残っていると、往診の合間に起きたことを見逃さずに済むだろう。素人にはどんなことも任せてはならない。そんなことをすると、不都合なことが起きた場合には、責任は医師にかかってくるのだから。

治療計画がうまく行くことに関しては、どんな疑点もないようにすること。そうすれば医師に責任は降りかかってこないし、その業績が誇りとなるだろう。これら全ての事を、治療を行なう前に、全てを知っておくべき人に、前もって告げておくこと。

18.
知恵や医術また技術全般において名声や品位を高めるのは、以上述べたようなことである。そして医師たる者は私が述べたことをそれぞれ区別し、他方のものをまとい(前田注;医師として身につけるべき品位のことか?)、それを注視して保持し、実行し、次に伝えて行かねばならない。栄光あるものは全ての人たちがしっかり守るのであるから。また我が道を築いた人は両親や子供から尊敬されるだろう。そのような人たちの中で、知識豊かでない人であっても、実際に経験したことから思慮分別を獲得しているのである。

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