駄文帳

ここは城主が思いついたこと、気付いたことをメモする所です。

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ハルノート (2003.11.26)

 62年前(1941年)の今日は、太平洋戦争前の日米交渉における最後の アメリカ側提案が行われた日です。 この1941年11月26日米側提案(いわゆるハルノート)は最後通牒であるとよく謂われますが、 それは本当でしょうか。 最後通牒の定義は広辞苑によれば、以下のようになっています。

【最後通牒】
紛争の平和的処理のための交渉を打ち切り、自国の最後的要求を相手国に提出して、それが容れられなければ自由行動をとるべき旨を述べた外交文書。転じて、国家間以外の紛争の場合にもいう。
 一例として第一次世界大戦の開始に当たってオーストリアがセルビアへに突きつけた 最後通牒 を見てみましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・
帝国政府は王国政府の回答を7月25日午後6時を期限として待機する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・
この通牒を手交するに当たり、閣下におかれては口頭で、もし指定された時間内 に無条件で肯定的な回答を得られない場合は、ベオグラード大使館を閉鎖し、他 の大使館員とともに退去することを命じられていることを、付け加えていただきた い。
 こちらは期限を切ってその後、外交関係を断絶することをはっきりと書いてあります。 典型的な最後通牒です。

 一方米側提案 を見ると、最後的要求であるとも、受け入れられない場合はどうするとも書いてありません。  おまけに欄外には tentative and without commitment(試案にして拘束せられず) とまで書いてあります。 どう見ても最後通牒ではありません。

 もう一つハルの提案が最後通告であったとする論拠として、翌 27 日にスチムソン陸軍長官に対し 「私の仕事は終わった。これからはあなた 達の出番だ」と語ったというのがあります。 これだけ見るとやっぱりハルは最後通告と意識していたように見えます。

 ハル回顧録を読むとこの前後の事情が判ります。実はアメリカは日本の外交暗号を解読しており、 日本が11月29日を交渉期限としていることを知っていました。 ハルは「日本の軍部が少しは常識を取り戻すこともあるかもしれない、 というはかない希望をつないで」26日の提案を行います。

 ハルの提案は最後通告ではなく平和を求める提案でしたが、一方では 99% 望みがないことも認識していたのです。 その後も、ハルとルーズベルトは 12月5日に天皇に直接メッセージを送る準備をしますが、 このメッセージが送られる前に真珠湾攻撃が行われ、戦争になります。

 最後まで平和に対する努力を行ったというハル回顧録の内容は嘘で実は アメリカは戦争を欲していたという反論もあるでしょう。しかし仮に戦争を欲していたとしても 結論は変わらないのです。

 アメリカは外交暗号の解読で日本が開戦の決意を固めていたことを知っていました。 放置しても戦争になることが判っていたアメリカには、わざわざ日本を挑発する必要はありません。

 コーデル・ハル(Cordell Hull) の提案をハルノートと名付け、最後通告であると 宣伝したのは当時の日本政府です。 60年も前のプロパガンダの亡霊に今だにとらわれているのはいかがなものでしょうか。

 注1) なおこの時点でアメリカ側が解読に成功してたのは外交暗号だけで、海軍の暗号はまだであった。 開戦意図は知っていたが、攻撃目標が真珠湾であることまではつかめなかった。
注2) 11月22日の東京から野村、来栖あての暗号電文(ハル回顧録 [中公文庫]より)

 既定方針を守って最善を尽くせ。全力をあげてわれわれの希望する解決の実現につとめよ。 われわれが日米関係を25日までに解決したいと思っていたのには、あなた方の推測の 及ばない理由がある。 しかし、もしもここ三、四日のうちに米国との交渉を終わり、29日までに調印が出来、 (もう一度いうが29日である)必要な文書の交換が出来、英国、オランダとも 諒解がつくならば、要するに万事の仕上げが出来るならば、29日まで待つことを決めた。 今度こそはこの期限は変更出来ない。 それからあとは事態は自動的に進むことになる。

ADSL がやってきた (2003.07.24)

 我が家も先頃ついに ISDN から ADSL に変更した。対岸の火事のように見ていたYahoo BBだが 遂にNTT にも飛び火して、ADSLの料金がISDN よりも安くなってしまったのである。 おまけに2ヶ月間通信料をただにするキャンペーンが始まったのでは、 切り替えざるを得ない。
 そこで、NTT 東日本にフレッツ ADSL の申し込みを行った。 モデムは複数のパソコンで同時に使用できるように、通常のADSL モデムではなく、 ルーター兼用のADSLモデムを注文する。製品名は WEB キャスター610m である。

設定その1

ルーターの設定は、以下の通り

ユーザー名 xc9k-ht@atson.net
パスワード xxxxxxxx
DNS  202.224.32.1  202.224.32.2
認証方式 pap

いろいろ手間取ったが、なんとか接続できた。気づいた点など。

1) フレッツ接続ツールは ADSL モデム用であって、ルーターとは無関係である。

2) ルーターに同梱されていた接続ツールは、Windows 2000,XP 用で 98 では使えない。

3) Asahi-Net の場合、ホームページから、ADSL への切替の設定をする必要がある。 これを見落としていたので、工事の後でモデムで接続して切替えをするはめになった。

電話での問い合わせに親切に答えてくれた NTT の人に感謝である。 以上で居間に置いてある家内のパソコンの設定作業は終了である。

設定その2

次に自分のパソコンの設定である。従来は居間のDSU から屋内配線で自室の TAに接続して使用していた。この屋内配線が使えるか試してみたのだが残念ながら 接続できなかった。 無線 LAN による接続も考えたのだが、まだ1万円を越えるし、折角のルーター機能が無駄になる。

 そこでまずはインターネットで、LAN ケーブルと ISDN ケーブルの違いについて調べてみた 。 判ったことは以下の通り。

ISDN も LAN も RJ-45 というコネクターを使い、8芯の内4芯を使うという共通性がある。 しかし使用する線が違う。 LAN 1,2,3,6 番を使い、ISDN は3,4,5,6番を使用する。(番号の付け方は図を参照) このため。8芯ともストレートで結線されたケーブルあれば どちらにも使うことができるのだが、4芯だけのケーブルの場合は互換性がない。

変換ケーブル

 解決策として LAN-ISDN の変換ケーブルを2本作成する。 RJ-45 コネクターの圧着はかしめ器具があれば 一発なのだが、器具がないのでマイナスドライバーでぐいぐい押し込んだ。 押し込みが不足の場所はハンマーで軽く叩いて仕上げをする。 (市販のケーブルを真ん中でちょんぎってつなぎ直せば圧着の必要はない。)
 圧着も苦労したが、それよりも導通チェックの方が大変であった。RJ-45 端子の 溝が細かすぎて、テスターの先が入らないのである。これは鰐口クリップで テスターの先とマイクロドライバーを繋いで、マイクロドライバーの 先端でチェックを行った。
 こうして ISDN 用の配線をLANケーブルの替わりに使えるようになった。 (細かいことをいうと ISDN ケーブルはフラットケーブルなので、ツイストペアのLANケーブルよりノイズに弱いとされている。)

RJ-45RJ-45 コネクター

固定アドレス

ディフォルトでの設定方法は、パソコンには IP アドレスを設定せず、 DHCP サーバーであるルーターからアドレスを貰うことになっている。 これではパソコンの起動前に LAN ケーブルを繋ぐ必要があったり hosts ファイルで LAN の管理ができななど、何かと不便なので固定アドレス方式に設定する。

パソコンの設定は以下の通り

1) IP アドレスを 192.168.1.14 に設定。サブネットマスクを 255.255.255.0 にする。

   IP アドレスは 上位の3つの数字が、 192.168.1 で、他の機器と重ならなければよい。

2) ゲートウェイを 192.168.1.1 に設定する。 ルーターのアドレスである。

3) DNS も192.168.1.1 に設定する。 ドメイン名は適当でよいようである。

4) hosts に LAN に接続しているパソコンの IP アドレスと名前を書く。

過渡期の技術

 鳴り物入りで始まった ISDN も結局は過渡期の技術であった。今や2回戦引く場合は少しお得 位しか利点がない。 これにて 6年間付き合ったISDNともお別れである。今や DSUとTA も燃えないゴミである。 (YAHOO! オークションでの相場は1000円。諸行無常である。)
 ADSL も過渡期の技術といわれるが、果たして次に我が家に来る技術は何だろう。

 また、今回ルーターの設定などで、マニュアルで NAT やIP マスカレードの説明を 読んだりしたのだが、結構面倒くさい技術である。常時接続ができるように なると、各マシンにグローバルなアドレスが欲しくなる。 IPv6が普及して、個人で10個くらいのアドレスが貰えるようにならないだろうか。 そして NAT やIPマスカレードも過渡期の技術と言われるようになればよいのだが。


ロンボルグ本 (2003.07.19)

 最近、 「環境危機をあおってはいけない」ビョルン・ロンボルグ (著) 山形 浩生 (翻訳) という本が出版された。Web 上での評判はかなり高い。 豊富な資料を元に世の常識に挑戦する衝撃的な本だそうである。

 膨大な引用、分厚いページ、衝撃的な内容でベストセラーになった本といえば 「衝突する宇宙」とか「神々の指紋」を思い出す。専門家の猛反発を くらっているのも一緒である。 これらは一見立派な学術書のように見えながら実はという本であった。

 ロンボルグ本は果たしてどうであろうか。日経サイエンスに載った反論、 ウェブから情報、立ち読みから判断すると、上記の本のお仲間に 入れた方が良さそうである。ほんとは買って読んでから批判を 書くべきなのだろうが、ただでさえ値が張る上に「神々の指紋」と 同類かと思うとロンボルクに印税をやる気にはなれない。

 ロンボルグをハンコックやヴェリコフスキーと一緒にするなと お怒りの方もいるだろう。たしかに彼らのようにすぐわかる 間違いや嘘というのはないようだ。それゆえに逆に危険な本といえる。

 第一部の環境団体の批判は当たっている部分がかなりあるのだろうと思う。 しかしそれが第二部の各論の正しさを保証するわけではない。 イメージ操作やプロパガンダはロンボルグの方にもあるのだ。

『環境危機をあおってはいけない』サポートページ  山形浩生氏のページ。ここから日経サイエンスに載った反論が読めます。

増田 耕一 先生の読書ノート

市民のための環境学ガイド 安井 至 先生のページ


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