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ソビエト連邦の崩壊以来各都市に設置してあったレーニン像は、倒壊されたとニュースなどを通じて聞いていました。私は、レーニン像がホルムスクにももうないと思っていました。ところが、町の中心部、ホルムスク港を見下ろすことが出来る広場に、レーニン像が少し寂しげに立っていました。これも時代の流れでしょうか、私にはレーニン像がだいぶ小さく見えました。
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レーニン広場を去ろうとして車に向かう途中で、60歳くらいの男性に日本語で声をかけられました。話をすると彼は、韓国人の60歳の男性でした。彼は、日本語で話が出来る事が大変うれしかったようでした。私にたいへんなつかしそうな目を向けて、話してくれました。
彼は、どうしてこのサハリンに住んでいるのでしょうか。理由は聞きませんでしたが、日本から強制連行で連れてこられたのではないでしょうか。戦後50年を過ぎた今、苦しい事を忘れる事は出来ないにしても、彼にとって日本語で話せる人間に会えたということは、とてもうれしい出来事だったようです。彼は、「どのぐらいここにいるの?」と尋ねてきました。残念ながら夕方には、私たちは、ここを離れなければならないと伝えました。すると老人は、「今度いつ来てくれる?」と尋ねてくれました。彼の親しげな目は、「今度はゆっくり話したいんだ」と語りかけていました。私は、すぐに返事をすることは出来ませんでした。仕方なく私は、「来年、もう一度くるつもりです」と答えました。老人と私は、ゆっくりと手を握って握手し、別れたのでした。
老人と話をしたのは、ほんの数分でした。しかし、私にとってこの数分間は、たいへん重みのある時間でした。老人が、この異国の地で過ごした時間は、何と永かったことでしょうか。50数年を経た今、決して忘れることの出来ない辛い出来事までも、永い永い時間は、懐かしい思い出に変えてしまっているようです。彼が送った苦しい時を考えると私は、日本人として決して許してはもらえないような気がしました。
私は、来年ホルムスクに行こうと思っています。老人と再会し、ゆっくり話をしたいと思います。再会できる日まで老人が、健やかでいてくれることを祈るばかりです。
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