5 サハリン紀行余話
ロシアとの出会い(ひまわり)
私がロシアに初めて接したのは、「ひまわり」という映画を見た時でした。学園祭で教室に暗幕を引いて上映されていたものをみたように思います。第二次世界大戦に巻き込まれたジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。アントニオがロシア戦線に出征し、戦争が終結しても彼は戻りません。ジョバンナは待ち続けますが、意を決しソ連までアントニオを探しに出かけるのです。ロシア大地を探し歩いてやっと見つけたアントニオは、美しいロシア女性マーシャと結婚、幸せな家庭を持っていたという悲しい映画でした。
ロシアの大地とひまわり畑、モスクワの街、これらが美しくも悲しげなヘンリー・マンシーニの音楽と共に写し出されました。ロシアの大地とアントニオを助けたロシア人女性の美しさを私は、忘れることが出来ませんでした。以来、ロシアに興味を持つようになりました。林蔵のことがあったからなおのこと、ロシアに惹かれたのでしょうか。
ロシア人の気質
ロシア人の時間に対する考え方は、日本人の考え方とだいぶ違うようです。これは、大陸的な風土から来るものなのか、あるいは設備が整備されていない事からどうしても起ってしまうものなのか、はっきりとはしません。いずれにしても時間や予定に対してはとてもおおらかでした。はっきり言って日本人の時間の捉え方からは、はるかにゆるやかです。私たちは、ロシア人のペースについて行けず、初日からいらいらしていたのでした。稚内港に入船が2時間も遅れ、出港の時間が3時間ほど遅れる。これから先思いやられそうな、不安がよぎりました。
しかし、フレガット号の中では、彼らのペースに合わせるしかありません。ホルムスクに到着するのも予定より4時間ほど遅くなっていましたが、昨晩の海上での出来事を考えると、仕方のない事。チャーター船ということで、「ロシア人に船員達にいいように使われてしまっているのでは?」などと冗談を言っている余裕がありました。この時私たちは、間宮海峡に最も浅い部分があり、そこでの「潮待ち」が11時間もあるとは誰も想像をしていませんでした。
ロシアの船の中に閉じ込められてしまうと、時間に対する間隔が麻痺してしまいます。文句を言いながらも、時間をつぶす、有効な手段を考えるようになっていました。日本に帰ったら「浦島太郎になってしまうのでは?」というかすかな不安を覚えながら!
日本に戻りフレガット号を下船する頃には、ロシア人の時間に対する考え方に私たちも慣れ、ロシア人になったつもりになっていました。ところが、一歩稚内市に足を踏出すや否や日本の時間が流れていました。稚内港のフェリーターミナルには、ひっきりなしに観光バスが到着していました。多くの観光客が利尻・礼文島に渡るため、フェリーを待っていたのです。ここでフェリーが4時間も遅れたら、あるいは11時間も潮待ちしなければならなかったら?何だかおかしくなるやら悲しいやら。「そんなに急がなくてもいいのに…。」 私たちは、今日泊まる民宿でゆっくりと時間を過ごすことにしたのでした。
美しい女性達
ロシアの女性は、大変美しい!これは、参加者誰もが認めることです。ホルムスクで、入国手続を終えた私を待っていてくれたのは、大変美しい女性でした。彼女は、私たちのバスの隣にいました。家族で(両親と弟)鉄道の切符でも買いに来ていたのでしょう。彼女は、私がカメラを向けると、やさしくポーズを取ってくれました。年の頃は17・8歳でしょうか。これがたいへん美しい女性でした。何枚かの写真を撮ったのですが、残念ながらガラスごしで写したためピンぼけとなってしまいました。何と残念なことだったのでしょうか。
ホルムスクで美しい女性達を何人も見たからでしょうか、私たちは稚内について少しがっかりしてしまったのでした。この気持ちが私は、本当の事を言うと、羽田についても続いていたのでした。
船員達の買い物
近づいてきた船から積み込まれた荷物
漁船員が日本の寄港地(稚内)
で買った物なのでしょう。
先に本国に戻る船に荷物を託し、
届けてもらうようです。
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稚内を出港して数時間、すでにとっぷりと日が暮れ海が暗闇に包まれた時、突如私たちの船に一隻の漁船らしき船が横付けされ並行しています。気が付くと船室の窓から突然、船が見えたのです。まるで「海賊船」に襲撃されているかのようです。私たちは、興奮してデッキに出たのでした。
そこで行われていたのは、日本で買い物された様々な品物の船上受渡でした。テレビあり、ラジカセあり、様々な家電製品。最後には中古のエンジンまでクレーンを使って私たちの船に積み替えるのでした。一体何のためなのでしょうか?一日も早く国に買った物を送るため、帰国する船に荷物を送り届けてもらうようです。荷物を移し終えると漁船は、また長い漁へ向かって私たちの船から離れていきました。これで終わりかと思い、船室に戻って一休みをしているとまた、窓から船が見えました。先程と同じように、船が横付けされ並んで走っています。デッキに出てみると、先程の荷物の積み移しと同じ光景がありました。
驚いたことに今度の船には、日本人が乗っていました。この日本人は、名前を山崎さんといい漁業指導員として船に乗っているのだそうです。山崎さんの話によると、船には6人の日本人が乗っているそうです。日本人は、ロシアの漁船に乗り込み漁業指導員として、漁の指導、魚のさばき方の指導をするのだそうです。日本の水産会社の社員で、ロシアの漁船に派遣されているのだそうです。
ロシア側がロシアの経済水域内で漁をした魚を、日本は買っています。日本市場で商品となるような漁の仕方、魚のさばき方を指導しているということでした。日本のスーパーに並んだイクラ、筋子、シャケなどの魚は、こうしてロシア人達の手によってとられたものもあるのでしょう。
深夜に二度も船が近づき、荷物を積み移す、これは一体何のために行われるのでしょうか。私たちが乗っているフレガット号も相手の船も、相当な速度で航行しながら行う荷物の積み移しです。誤って海に落ちれば、船員はまず助かることはないでしょう。二艘の船に押し潰されてしまうか、あるいはスクリューに巻き込まれてしまいます。このように危険な作業を、それも深夜にわざわざ行う、その目的は何なのでしょう。私たちには理解できない作業ですが、様子を見ている限り危険なにおいのする行動であることは間違いありません。
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四輪駆動車のタイヤまで
サハリンで乗っている車に取り付けるのでしょうか。
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中古エンジンまで積み込む
このエンジンは使えるのでしょうか?