3 間宮海峡の状況

間宮海峡の位置

 日本では、樺太と大陸の間の海峡を「間宮海峡」と呼んでいます。ロシアでは、同じ海峡をタタール海峡(韃靼=だったん のロシア語発音)と呼び、最も狭い部分をネべリスク海峡(пролив Невельского)と呼びます。樺太は南北に約950キロメートル、本州の約2/3の長さがあります。間宮海峡は、南北に約1,000キロメートルの海峡です。間宮海峡の最も狭い部分では、幅約8キロメートル程です。間宮海峡は、広大なアムール川の流れが流れ込む海峡で、海流が大変速いのが特徴です。

厳しい自然環境にある間宮海峡

 間宮海峡は、1年のうち半分が氷に閉ざされてしまいます。海峡を船が航行できるのは、5月後半から11月の前半までです。ソビエト連邦時代間宮海峡は、軍事的に重要な場所でした。軍関係の船以外は、航行ができなかったようです。現在では、民間の船も航行しています。私たちが海峡を航行しているあいだ、3艘の船と出会う事ができました。そのうちの1艘は、木材を運び酒田に向かうところということでした。

水先案内人を乗せて航海するフレガット号

アクショノフ・アレキサンドル氏
フレガット号は、アレキサンドル氏の案内で
間宮海峡の最狭部を進みます。
パイロット


間宮海峡の最狭部
左が大陸側、右が樺太(ボギビ)です。
画面からはちょっと見えにくいかもしれません(ごめんなさい)
海峡最狭部

 間宮海峡の最も狭い地域を通過するためには、パイロットの道案内が必要でした。デカストリ沖にフレガット号は停泊し、パイロットのアクショノフ・アレキサンドル氏をタグポートから迎え入れたのでした。アクショノフ・アレキサンドル氏は、以前海軍の軍人で間宮海峡を航行した経験が豊富です。フレガット号のニコライ船長は、パイロットの誘導に従ってブイを縫うように船を航行させて行きます。

間宮海峡に浮かぶブイ
海峡の最狭部から浅い地域にかけ
てブイが延々と設置してあります。
その数約50。
船はこのブイを目印に航行します。
間宮海峡に浮かぶブイ

 間宮海峡は大変浅い海峡で、大型船が航行できる海域はほんの500メートル程の幅で続いているだけです。その外側は、水深たった2メートル程の浅い海となってしまうのです。その境界を示すブイが航路に沿って、約2キロメートル程の間隔をおいて50以上はあったでしょうか。間宮海峡の最狭部を抜け出た辺りで航路は、二手に別れます。アムール川の上流、ニコラエフスク・ナ・アムーレに続く航路と海峡を北にぬける航路です。私たちは大陸側の航路と別れ、海峡を北に向かって進んで行きます。この先にナニヲーが、私たちを待っているのです。

広大なアムール川の流れ

色の変わった間宮海峡
アムール川の広大な流れは、
間宮海峡の色までも変えてしまいます。
河口付近の間宮海峡は、
濁った川の色となっています。
河口付近の海峡の色

 間宮海峡を北上し最狭部に近づくにつれて、海の色は泥水で濁った川のように変わって行きます。これは、アムール川の大きな流れが、狭い間宮海峡を流れているからです。塩分濃度も他の海域と比較して、だいぶ薄いようです。ルポロボ沖でサンタン船から海に手を入れ、海水を口に含んでみましたが、少ししょっぱい程度で海水とはだいぶ違いました。正確な塩分濃度はわかりませんが、アムール川の広大な流れが海水を薄めてしまっているのでしょう。

浅い間宮海峡

 帰路の最も浅い地点の通過は、20日の午前11時少し前(現地)でした。何と水深約5.5メートル、船の喫水線と同じ深さでした。この時船の深度計は「0」を指していました。船長、パイロット、他の船員達もブリッジに上り、緊張した表情で船を航行させていました。ブリッジは、大変緊張した雰囲気でしたが、私たちがブリッジに入る事を快く許可してもらう事ができました。船長以下乗組員のおおらかな雰囲気が幸いしました。私たちは、間宮海峡の航行をブリッジから見る事ができ、海図などを参考にしながら間宮海峡を検証する事ができたのです。

海底トンネル計画

 海峡の最狭部には、海底トンネルの工事が中断されたままになっています。スターリンの時代、サハリンとモスクワを鉄道で結ぶ計画がありました。大陸側とサハリン側から工事は進められましたが、スターリンの死亡(1953年3月5日)によって工事は中断され現在に至っています。ロシアの海図には、海底トンネルの跡がはっきりと残されています。

ポギビ

 ポギビとは、ロシア語で死ぬ所という意味だそうです。サハリンには昔収容所があり、ここからの脱走者が大陸へ逃げる時には必ずポギビへ来たのだそうです。ポギビは間宮海峡で最も狭い所、中に浮かぶ島まで直線距離で6キロメートルほどです。大陸へ逃れるため、この地まで囚人達は逃げて来たのでした。
 しかし、ポギビから大陸側へ間宮海峡を泳いで渡るのは大変難しいことです。海峡は、アムール川からの流れが南へ南へと流れており、海流が大変速いのです。渦をまきながら流れる海峡を、泳いで横断することは到底出来ません。ある者は海峡で溺れ、ある者は海岸で捉えられる。ポギビは正しく死ぬ所なのです。
 最狭部を出た辺りでは、白いイルカが海上に顔を出していました。林蔵の記述によれば
「…此辺よりして下流は河中に鯨魚多く、其形状白色にして常の鯨に異なり…」(東韃地方紀行下巻より)
と記されています。真っ白なイルカが何匹か、海から呼吸のため顔を出すのがみえました。残念ながら、距離があり写真に収める事ができませんでした。


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