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サンタン船は、林蔵が樺太を訪問した19世紀初頭、この辺りで盛んに用いられていたことと想像されます。林蔵の報告書「東韃地方紀行」中巻のデレンの記述の中に、サンタン船が何艘も停泊している図があります。デレンでの交易のため、アムール川下流域一帯の人々が何艘ものサンタン船を使ってデレンを訪れていたのでしょう。
「…此仮府、前はマンコー河に臨み、後は濶達なる曠野をうけ、樹木蒼鬱として実に其さまをなしたる土地なり。其河岸は中流の上下に島嶼ありて是を抱けば、浩々たる大河なれども風波野悉くもなく〔マンコー河此処に至て広さ凡一里有余〕、実に穏なる泊岸なり。此地土着の住夷とてはなく、府外は何国ともなく集り来れる夷等のいとなみ造りたる仮屋幾十百となく樺木皮をもって屋をおゝひたる者累々たり。其集夷西は朝鮮界に発し、東は魯斉亜野境域より来れり、諸品を交易するの間、大抵五、六日留滞して帰り去る者、林蔵至し頃猶五、六百人留在すと云。…」(東韃地方紀行巻の中より)
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