2 調査の成果

ナニヲー海上に浮かぶサンタン船

サンタン船を降ろす
サンタン船をクレーンで海に降ろす
 サンタン船を本船から海上に、クレーンで降ろす作業をしている時辺りは、約10メートルほどの北風が吹いていました。ひとつ操作を誤るとサンタン船を本船にぶつけてしまい、大破させてしまうところです。


救命ボートに曳航されるサンタン船
救命ボートに曳航されるサンタン船
本船からナニヲーまで約2,000メートル。
救命ボートで曳航しながらナニヲーの岸を目指します。
ナニヲーには、港がありません。
最後は手漕ぎでサンタン船を岸に着けました。


揺れる救命ボートの中
揺れる救命ボートの中
サンタン船とは異なり、こちらはたいへん揺れました。
多くの人が船酔いをおこしてしまいました。
 しかし、海上に浮かぶとサンタン船は、大変安定しており1.5メートル程度の波を受けても特に不安な状態ではありません。サンタン船は、大変よく考えられた木造船でした。

 サンタン船は、林蔵が樺太を訪問した19世紀初頭、この辺りで盛んに用いられていたことと想像されます。林蔵の報告書「東韃地方紀行」中巻のデレンの記述の中に、サンタン船が何艘も停泊している図があります。デレンでの交易のため、アムール川下流域一帯の人々が何艘ものサンタン船を使ってデレンを訪れていたのでしょう。

「…此仮府、前はマンコー河に臨み、後は濶達なる曠野をうけ、樹木蒼鬱として実に其さまをなしたる土地なり。其河岸は中流の上下に島嶼ありて是を抱けば、浩々たる大河なれども風波野悉くもなく〔マンコー河此処に至て広さ凡一里有余〕、実に穏なる泊岸なり。此地土着の住夷とてはなく、府外は何国ともなく集り来れる夷等のいとなみ造りたる仮屋幾十百となく樺木皮をもって屋をおゝひたる者累々たり。其集夷西は朝鮮界に発し、東は魯斉亜野境域より来れり、諸品を交易するの間、大抵五、六日留滞して帰り去る者、林蔵至し頃猶五、六百人留在すと云。…」(東韃地方紀行巻の中より)
ナニヲー川をニブヒのボートで曳航される
ニブヒの人の親切で私たちは、
集落のあるところまで曳航されました。
ナニヲー川をボートに曳航される


ホームへ戻る
 前へ戻る   次へ続く