side−B −そしてまたはじまり−1 豪 大学卒業後〜


 さわやかな夏の風を受けながら、豪と千寿子は朝食を摂っていた。
「子供?」
 驚いた豪がスプーンを落とし、千寿子の顔を正面から見返した。
「ええ。大学も休みに入ったから昨日病院へ行って検査したの。本当は昨夜話そうと思ったのだけど、あなたは遅くに帰ってきてベッドに入ったらすぐに寝ちゃったでしょう」
 豪は大学院には行かずにAMANOに就職し、定時業務の後は夜間のMBA取得講座に通っている。
 その為にまだ大学4年の千寿子とプライベートでゆっくり顔を合わせられるのは、朝食時かこの日のようにお互いの休日が重なった時くらいのものだった。
 呆然としている豪に千寿子が拗ねたように頬を膨らませる。
「嬉しくないの?」
 豪は激しく頭を振ってすぐに立ち上がると、千寿子に駈け寄ってそっと抱きしめた。
「嬉しいに決まっているだろう。ただ、千寿子はまだ学生で仕事もやっているし、身体の心配をしただけだ」
 頬を染めて笑みを浮かべる豪に千寿子も笑い返す。
「出産予定日は卒業後だから学業に影響は無いと思うわ。どうしても無理そうなら休学すれば良いし、安定するまで絶対無理はしないと約束するわ」
「ああ、そうしてくれると俺も安心できる。学校への送り迎えの車は俺が運転する」
 豪が夢見がちに唱えると千寿子が軽く噴き出した。
「専属の人が居るんだから、あなたが勝手に仕事を取っちゃ駄目よ」
「少しくらいは俺にも父親らしい事をさせて貰えないか?」
 寂しげな豪の頬を千寿子は笑って突いた。
「焦らなくても他に豪の仕事は一杯有るわ。……って、どこへ行くつもりなの?」
 千寿子から手を離して朝食も途中だというのに豪は扉に足を向けていた。
「実家の皆に報告してくる」
 振り返ってにっこり笑う豪に千寿子が思わず声を上げる。
「電話で済む話でしょう」
「皆の驚いた顔を見てやりたいし、直接お祝いを言って貰いたいんだ」
「とか言って、また和紀に何か相談するつもりなんでしょう」
 千寿子の怒った顔を見て、豪は地雷を踏んでしまったと額を押さえた。
「ああ、もう頼むからあの件は忘れてくれ。あの時は俺が悪かったって何度も謝っただろう」
「忘れられるような事だったら、とっくに忘れているわよ。この超天然ボケ! もう良いから行って来なさい。どうせ止めたって行くつもりなんでしょう」
 豪は毎度の事だが経験上、今は何を言っても無駄だろうと肩を落とす。
「千寿子、頼むから少し落ち着け。身体に障る。俺は本当に皆と一緒に喜びたいだけだからな」
「言い訳は良いからさっさと行ってらっしゃい!」
 癇癪を起こした千寿子からクッションが飛んできたので、豪は更に高価なテーブルや椅子が飛んで来る前に急いで部屋を出て行った。
 妊娠初期によく有ると本に書いてあったアレかと豪は首を傾げながら実家へと走っていく。
 一方、千寿子はいつまで経ってもあの大幅にずれた天然ぶりだけは直らない豪に、諦めの溜息を吐くと椅子に腰掛けて朝食の続きを摂り始めた。

 度々起きる端から見たら馬鹿馬鹿しいだけの2人の夫婦喧嘩もどきは、結婚式翌日から続いている。
 無事に式と披露宴を終えて初夜を迎えた翌朝、豪が隣で寝ていた千寿子に抱きついて寝言で呼んだ名前が「和紀」だった。
 千寿子はあまりのショックに飛び起きて、渾身の力で豪の頬を引っぱたいた。
 突然の痛みで目を覚ました豪は、千寿子が顔を真っ赤にして全身を奮わせ無言で怒っているので困惑した。
 千寿子にしてみれば怒るのは当然で、新婚初夜明けになぜ夫の口から「自分以外」でしかも「男」の名前を聞かなければならないのかと、怒りと悲しみと情け無さで口をきくことができなかったのである。
 ベッドから飛び出して着替えると、豪の問い掛けも制止も完全に無視して朝食も摂らずに執務室に鍵を掛けて籠もった。
 一体何が起こったのかも、どうしたら良いのかも全く判らず、完全にパニックを起こした豪は、パジャマ姿のまま泣きながら実家に走って帰った。

 豪の突然の帰宅に天野家は騒然となった。
 要領を得ない豪の泣き言に智が「初夜で失敗したのか?」と聞くと、さすがの豪も怒って智を殴りつけた。
 恵と正規はがっくりと肩を落とし、生と愛は漸く結婚できたのに新婚早々この夫婦は何をやっているのかと頭を抱えた。
 こういう時に助け船を出すのは必ず和紀の役目で、豪を自分の部屋に連れ帰ってコーヒーを飲ませて落ち着かせた。
 大まかな事情を聞くと、和紀はすぐに豪を連れて天ノ宮家にテレポートした。
 和紀は豪にとにかく着替えて来るように言い、執務室のドアをノックする。
 執務室の扉が開けられ、千寿子は和紀を鋭い視線で睨み付ける。
「……どうして今1番見たく無い顔を見なくちゃいけないのよ」
 これ以上は無いという憤怒の顔の千寿子に和紀が肩を竦めた。
「それってもしかして僕の事? 豪がさっき泣きながらうちに帰ってきたんだよ。一体何が有ったの? 豪は全然判らないって言ってるんだよ」
「それはわたしの方が聞きたいわよ! どうして豪が寝言でわたしと和紀の名前を間違えて呼ぶのよ!?」
 和紀は目を丸くして一瞬固まったが、次に大爆笑した。
「あはは。何だそういう事だったの。千寿子さんは何か誤解をしているよ。あの事故以来、僕はよく豪に枕扱いにされていただけだよ」
「それってどういう意味よ?」
 詰め寄る千寿子に和紀は腹を押さえながら涙を流して笑い続ける。
「そのままの意味だよ。それを聞いて逆に僕は安心したよ。豪が千寿子さんと一緒にいて安心しきっていた証拠だからね。良かったね」
 何とか馬鹿笑いを収めると和紀は千寿子の肩を軽く叩いた。
「全然言ってる事の意味が解らないわよ!」
 更に怒ってくる千寿子をまぁまぁと宥めて、和紀は扉を振り返った。
「豪が戻って来たね。ここから先は豪に聞いてね。夫婦喧嘩は犬も食わないって言うよね。僕は退散するよ」
 そう言って和紀は瞬時に部屋から消えた。
 テレポーターだけに逃げ足が早いと舌打ちして千寿子は扉を開けた。
 扉の前には目を赤く腫らした豪が1人で心細そうに立っていて、千寿子はあまりにも情け無い顔をしている豪に怒りのやり場を失い、豪を部屋に入れて5年前からの全ての顛末を聞き出した。
 それ以来、千寿子にとって豪から絶対の信頼を得ている和紀は永遠のライバル扱いなのである。

 豪が実家に戻って千寿子の妊娠を知らせると、全員から歓声が上がった。
 皆から心からの祝いの言葉を受け、満面の笑顔を見た豪は心底から喜んだ。
 強引にでも千寿子も連れてくれば良かったと思ったが、あの状態になった千寿子は絶対に天野家に足を運ばないし、何より不安定な時期の千寿子に無理をさせたく無かったので落ち着いたらまた一緒に来ようと思った。
 智が豪1人で報告に来た事に首を傾げる。
「豪にそれだけの甲斐性が有ったのは驚きだが、何で千寿子さんが一緒じゃ無いんだ?」
「あ、俺も気になってた。こういう大事な報告が兄貴1人でって変だろ」
 智の嫌みと生のツッコミに豪が力無く笑い、その顔を見た愛がピンと来て和紀の顔を見る。
「また……か?」
 和紀が慌てて頭を振りながら声を上げる。
「これは僕の責任じゃ無いよね。いちいち僕を疑うの止めなよ。愛、絶対に真衣ちゃんに変な事を言わないでよ。すぐに由衣ちゃんの耳に入るんだからね」
「彼女より親友を優先する大馬鹿者が言っても、全然説得力が無い」
 智の鋭い指摘に和紀が珍しく渋面になり、豪は雲行きが悪くなって来たのを感じて早々に帰宅した。

 豪の来訪で遅めの朝食になった天野家では、「あの豪がよくもこんなに早く子供を作れたものだ」と事情をよく知る和紀以外の全員が大笑いをした。
 入籍し、式を挙げるまで豪と千寿子が今時の小学生より清らかなお付き合いを続けていたのは、豪が馬鹿正直に全てを話すので、天野家では全員が知っていた。
「基本知識は学校で習うはずだけど、やっぱり和紀君が詳しく教えたの?」
 恵が冗談交じりに問い掛けると、和紀は苦笑して遠くを見るような顔をした。
「あの豪だよ。普通じゃ駄目だと思ったから豪向けのテキストを探して渡しておいたよ。それ以上は僕だって知らないよ」
「豪に何を渡した? まさかいくら何でも子供向けの絵本とかじゃないよね」
 愛に問われて和紀がふっと溜息を漏らす。
「……そっち系が詳しく載っている『家庭の医学』」
 それを聞いた全員が朝食を噴き出して大爆笑の嵐になった。
 その上でこの話は「天野家だけの極秘事項」として恵が全員に箝口令を出したのである。

 千寿子は常に体調を整えながら大学を卒業し、豪の献身的協力も有って無事に健康な女の子を産んだ。
 出産に立ち会った豪は満足気な笑みを浮かべる千寿子をそっと抱きしめて「お疲れさま。ありがとう」と言った。
 看護士から手渡された我が子を愛おしげに見て、豪が千寿子に向き直る。
「この子の名前は生実(いくみ)で良いか? ずっと前から決めていたんだが千寿子はどう思う?」
「……」
 千寿子は相変わらずの豪の超ブラコンぶりに、出産の疲れが一気に出て目眩を起こし掛けた。
 一存では決められないからと豪にしっかり釘を刺して千寿子が両親に問い合わせたところ、この名は護人や可奈女達、親族達にも喜ばれ、あっさりと決まった。
 最後までこの名前に反対したのは元の名前の持ち主である生自身だった。
 反対を押し切って役所に出生届を出した豪に怒って、当分の間は口もきかなかった。
 生がしつこく反対した理由を全員が理解したのは、生実が長い天ノ宮の歴史の中で、初めて『大地の巫女』という称号を森の意志から拝命され、今までで最高の巫女と讃えられて、誰よりも強い超能力を奮う姿を目の当たりにした時だった。

 智は本邸の専用執務室で計画書を作成していた。
 畳1畳分はゆうに有る広い机に現在進行中の仕事のデータディスクがいかにも生真面目な智らしく綺麗に並べられ、ノートパソコンで手際よく処理作業を行っている。
 そこに慌ただしい足音と共に扉が勢い良く開けられ千寿子が飛び込んできた。
「智、生実を見なかった?」
 淡い藤色の礼装に身を包み、長い髪を髪飾りで一つに纏めた一見若く聡明な上司は、今は息を弾ませて額から汗を流している。
 外面と内面のギャップの激しい千寿子に智は小さく溜息を吐いた。
「私は見ていません。それより取締役社長、服が台無しになってしまいますのでもう少し落ち着かれた方が良いでしょう。貴女がその様では社員に示しがつきません」
 冷静に受け答える智に焦っている千寿子が切れる。
「2人きりの時まで敬語を使わなくて良いわよ。それより本当に生実を見なかったのね?」
「本当に見てない。今日だけは見掛けたらすぐに千寿子さんに知らせる」
「……ったくあのクソガキ、どこに逃げたのかしら。智、お願いね」
 扉を閉めて千寿子の甲高い足音が去って行く。
 あれほど言ったのにまだ走り回っているなと智は肩を竦めた。

 1分も経たない内に再び扉が開けられる。
 但し今度はこれ以上は無いくらい静かに、辺りの様子を窺うように礼装用のスーツに身を包んだ豪がこっそりと入ってくる。
 この夫婦はと智は額を押さえたが、智と目が合った瞬間の豪の嬉しそうな笑顔を見ると怒る気力が急速に萎えていく。
 AMANOの中枢に入った豪は無意識に魅了の力を更に高め、豪が参加した会議はどれほど紛糾しても、いつの間にか全て丸く収まっていた。
 参加するプロジェクトもなぜか社員が猛然とやる気を出して、必ず上手くいくと一般社員から重役達まで豪を高く評価している。
 社員の間に熱狂的ファンクラブまでできている事は、相変わらず人から寄せられる好意に鈍い豪自身は知らない。
「先程奥様が来られましたよ。取締役専務」
 落ち着いて礼を取る智に豪はがっくりと肩を落とす。
「会社では仕方が無いが、家でまでその名前で呼ぶのは勘弁してくれ。年々重くなる肩書きにこっちは四苦八苦しているんだ」
 苦笑する豪に自分を知らないのは幸せな事だなと智は呆れる。
 豪の懇願の目を見て、智は口調を普段どおりに戻した。
「お前が「プロジェクト・side−B(裏面)」から手を引いて、表の仕事に専念すればもっと楽になるはずだが?」
 智に指摘されて豪は何度も頭を振った。
「それはできない。19年前に千寿子が言っただろう。「今が最高の人材が揃っている」と。俺の代わりができる奴が現れるか、超能力を使わなくても良い体制ができるまで、体力が続く限り続けるつもりだ」
 きっぱり言い切る豪に智が小さな溜息を付いて渋面でディスクを差し出した。
「お前が欲しがっていた新しいリスト・コミュニケーターの図面と予算要求書、それと次の仕事の計画書だ」
 受け取ったディスクをポケットに入れて豪が軽く頭を下げる。
「ありがとう。いつも助かる」
「礼は和紀に言ってやれ。あの馬鹿はお前の一言で、それまで抱えていた仕事を全部放り出してその図面を描き上げて予算案を作ったんだぞ。基礎研究部門の連中は和紀が通常業務に戻るまでマジ泣きしていた」
 豪は前回のミーティングの席で、これまで使っていたものより更に高速のデータ通信と音声暗号変換通信機能を強化し、リアルタイムで鮮明画像と音声の双方向通信ができる小型コミュニケーターが欲しいと言った。
 簡単な絵を描いて皆に見せ、「これが有れば実動時の愛と千寿子の負担が今よりもっと軽減されるはずだ」と豪が提案すると、和紀が同意してすぐに行動に移した。
「後で和紀に会ったら言っておく。それでなくても表の業務が忙しいのに、B面の計画から実動全てに係わっている2人には本当に悪いと思っていたんだ。智も千寿子の第1秘書で忙しいのにリーダーをやってくれているから、お前にまず礼を言うのが筋だ」
 当然の事だと豪に真顔で言われて智の方が赤面してくる。
 災害事故防止対策に本腰を入れたAMANOの強い要請で、正規が安全調査室に部署を移動した以降、プロジェクト・side−Bの計画リーダーは智に移った。
 独身で天野家で暮らしている生以外の全員が独立してからは、分析能力の高い恵も計画立案に参加している。
 35歳になった今もこの仕事を始めた16歳の頃と全く変わらない豪の誠実さと素直な性格に、智も含めて周囲の人間は苦笑しつつも喜んでいる。
 豪本人は全くの無自覚でやっている事なので誰も豪を止められない。
「それが完成しても豪と和紀、生の実動専属部隊の忙しさは変わらないな。少しは仕事を減らすか新しいメンバーを増やす事も考えた方が良いぞ。例えば生実嬢とか」
「それだけは嫌だ」
 娘の名を出されて豪は表情を変えた。
「プロジェクト・side−Bは千寿子が作ったものだ。それに俺達が賛同して活動している。生実はたしかに俺達の誰よりも強い超能力を持っている。現にあの千寿子がいくら捜しても未だに逃げた生実の痕跡すら見つけられていない。それでも、俺は生実には生実のやりたい事をやらせたいんだ」
珍しく父親らしい顔になった豪が深い笑みを浮かべる。
「俺が生実を裏の仕事に誘わないのはもう1つ理由が有る。生実なら俺達全員が抜けて1人になってもプロジェクト・side−Bの仕事を続けられるだろう。しかし、どれほど強い超能力を持っていても1人きりは辛いはずだ。千寿子に俺達が居たように、生実にも心から信頼できる仲間が要る。親の身勝手でその仲間や友人を見つける大切な時間を取り上げたく無いんだ」
 智は豪の魅了の笑顔に目眩を覚えながら、どこまでも真っ直ぐな心に心地良さを感じていた。
 あっと声を上げて豪が手鼓を打つ。
「思い出した。おそらく生実は最終的にここに逃げ込んで来ると思う。千寿子が何を言ったかは想像が付くが、生実がここへ来たら智が匿ってやって欲しい」
 智は(天然)豪の珍しく鋭い洞察力に目を見張った。
「創立記念パーティーは表向きで、本当は見合いの席だと豪も知っているだろう。主役の生実嬢が居なくてどうするんだ?」
「生実はとっくに智を選んている。それが解っていてあんな堅苦しい席に出る必要は無い。千寿子は俺が説得するから生実にもそう言っておいてくれ」
 にっこり笑って部屋を出ていこうとする豪に、智が立ち上がって怒鳴りつけた。
「その話は俺の方が認めてないだろうが!」
「生実は絶対に美人に育つぞ。何せ千寿子の娘だ。智もさっさと身を固めろ。生も結婚が決まっているし、未だに相手が決まって無いのはお前くらいだ」
 ちゃっかりノロケまで聞かせる豪を智が睨み付ける。
「お前達兄弟そっくりの顔なのに何を言っている……ってそうじゃない。22歳も年下と結婚できるか!」
「それくらいなら許容範囲だろう? 生実が心から望んでいるし、俺も良いと思うぞ。じゃあ俺は千寿子を掴まえに行くから後は頼む」
「待てっ。人の話も聞け。こら、豪!」
 手を振って出て行く豪に、智は手を伸ばして大声を上げた。

 豪が戻ってくる気配は無く、憮然として椅子に座り直した智は軽く机を叩いた。
「そろそろ出てきたらいかがですか? 生実お嬢様」
「やっぱり父様は話が解るわ。ところで智君。わたしの事は生実と呼んでって何度もお願いしてるでしょ。どうして呼んでくれないの?」
 机の下、つまり智の足元に千寿子が現れる前からずっと身を潜ませていた生実が、笑ってテレポートして智の机の上に座る。
 ラフなミニスカートをものともせず目の前で胡座を組む生実に智は半眼を伏せた。
「生実お嬢様、もう少し礼儀作法を学ばれた方が良いですね。机は座るところではありませんよ。降りてください」
 あくまで礼を崩さない智に、生実は頬を膨らませてサイドテーブル用の椅子を引き寄せると、机を挟んで智の正面に座った。
「どうしてこうも智君は強情かな。素直になれば良いのに」
 頬杖をついて生実は首を傾げる。
 天ノ宮家直系の巫女にしては珍しくストレートで美しい真っ黒な髪を肩で切りそろえ、豪似の愛くるしい大きな瞳は千寿子よりも強い意志でいつも輝いている。
 童顔の生と並んで歩くと兄妹に間違われるくらいにそっくりだった。
「智君が心から愛する父様似のわたしがもう7年間もプロポーズし続けているのに。そろそろ観念して「うん」と言ってよ」
「誤解を招く言い方をするな。この親父譲りの天然ボケ娘! それがまだ12歳の言う台詞か」
「だって本当の事だもん」
 素を出した智に、にやりと笑って生実が舌を出す。

 7年前の生実がまだ5歳の時のAMANO創立記念パーティーの前日、自分も当時かなり嫌な思いをした千寿子が「あまり言いたく無いけれど」と前置きをして、生実にパーティーで結婚相手を捜すように勧めた。
 その時、いつものメンバー全員が天ノ宮家の居間に集まっていた。
 強い超能力を持つ生実が癇癪を起こして暴れ出さないようにと、予め千寿子が呼んでおいたのである。
 千寿子から説明を受けた生実はにっこり笑って答えた。
「母様、わたしの相手はもう決まってるの」
「えっ。誰なの? 幼等部のお友達?」
 視線を合わせるように膝を付いていた千寿子の目の前からテレポートした生実は、先ほどまで自分の背後に立っていた智の背中に抱きついた。
 智は突然の事に訳が判らないまま生実の膝を抱え上げる。
「智君よ。母様」
 生実の爆弾宣言に皆が一斉に声を上げた。
「目が高いぞ。生実」と豪。
「智ね。良いんじゃない」と和紀。
「たしかにフリーだ」と愛。
「ちゃんと聞いていたの? 歳が離れ過ぎだし血も近いのよ」と千寿子。
「てか、いつの間にそういう話になってたんだ? 智ってロリコンだったのか?」と生。
「誰がロリコンだ? 俺は知らないし認めない!」と智。
「だって、もうずっと前から決めてたもん」
 と、智の首にしがみついた生実は智の頬にキスをした。

 それ以来、生実は毎年創立記念パーティーの度に終日逃亡し、智は散々千寿子に嫌みを言われ続けている。
 生より大地の力を自在に引き出せる生実が、何年もの間智の身体にも干渉し続けた為に、智は34歳だと言っても初対面の誰にも信じて貰えない。
 大目に見ても27、8歳にしか見えない容姿に智自身が戸惑っている。
 犯人が生実だと気付いたのはその時で、智は何年も掛けて生実を説得し、自分の成長を止めるのを止めさせた。
 生実は幼い頃は智に置いて行かれたくない一心で超能力を使っていた。
 しかし、智に嫌われたくないという気持ちの方が強くなってからは、智に超能力使った無用な干渉はしなくなった。

 智は自分が独身主義者だと何度も言っているのに、未だにこうしてアプローチを続ける生実に完全に手を焼いていた。
 意志が強く思いこんだら一途なところは千寿子似で、どこかずれていて天然ボケなところは豪に似たのだろう。
 智にとって唯一の救いは、超能力を隠さずに済む環境で育った為か、豪と生の持つ「魅了の力」を生実は持たない事だった。
 今では豪の強い「魅了の力」に誰1人として逃れられずいる。
 誰もそれを全く不快に感じないのは、豪のどこまでも不器用だが素直で誠実な性格故だった。
 最強の超能力を持つ上に「魅了の力」まで持った生実は、誰も手が付けられない状態だっただろうと智は胸をなで下ろす。
 智はなぜ豪と千寿子の事になると予知が上手く働かないのか、今になって漸く納得ができた。
 生実の存在が智の人生に深く関わる為に、その両親である豪達のビジョンが視えなかったのだ。



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