side−B −約束3− 豪 高校3年7月後半〜


 愛が大きなバッグを背負って歩いている生に気付いて声を掛ける。
「生、珍しいね。君が医学部に来るなんて」
 生も愛に気付いて軽く手を振る。
「データベースで調べたら俺が読みたい児童心理学の資料がこっちに揃ってたから借りようと思ったんだ。まだまだうちの学部は本が足りないな。兄貴に言って頼むかな」
「特権乱用? まぁ、他の学生の為にもなるから良いけど。時間が有るならちょっとそこのカフェで休まない? 僕は待ち合わせの時間まで暇なんだ」
「そう言えば愛は今朝、母さんに晩飯要らないって言ってたな。真衣ちゃんとのデートまでの暇潰しか? 奢りなら付き合っても良いぞ」
 きっぱりと言い切る生に愛は笑う。
「もちろん奢りで。面白い話も入手したから、生にだけリークしても良いんだけど」
「あ、聞きたい。そういう話なら割り勘だな」
 2人は大学のオープンカフェでコーヒーを頼むと日当たりの良い席を陣取った。

「今更だけどてっきり生は僕と同じ医学部に来るとばかり思っていたんだ。まさか教育学部に行くとはね。生の適性から言って絶対に医者が向いてると思うけど」
「まぁな。兄貴が姉貴と結婚しなかったら俺も医学部を選んだと思う」
 愛の鋭い指摘に生は視線を落として微笑する。
「……中等部の教師になりたいんだ」
 深く何かを考えるように答える生に愛が首を傾げる。
「生がやりたい事を曲げてもその道を選んだ理由を聞いても良い?」
「昔から兄貴の夢だったから、俺が代わりに受け継ごうと思ったんだ」
 そんな事ではないかと予想はしていたが、あっさりと認められて愛は噴き出す。
「出た。必殺超ブラコン発言!」
「うるさいな。兄貴はずっと前から教師になりたかったんだ。中学生は1番不安定な時期だから少しでも手助けしてやりたいっていつも言ってたんだ。でも、兄貴は経済学部に行っていずれは姉貴と一緒にAMANOを継ぐだろ。だから、代わりに俺が兄貴の夢を受け継ぐ事にしたんだ」
 開き直って頬を赤らめながら言い切る生に、愛は笑みを隠そうともせずにうんうんと頷く。
「真衣ちゃんと付き合うようになってから、愛は本当によく話すようになったよな」
「それは彼女が『特別』だからね。真衣と居る時は言葉を沢山使うから。そうそう、ここだけ情報だけど」
「うん。それを聞かなきゃノロケまで聞かされた割が合わない」
 生が身を乗り出すと、愛も生の耳元に唇を寄せて囁いた。
「和紀が由衣ちゃんにプロポーズしたって」
「信じらんねー! 和紀、手が早過ぎ!!」
 思わず生が絶叫すると、カフェや周囲の視線が一気に2人に集中した。
『生、声が大きい! まだこれは内緒なんだから、僕が真衣に怒られちゃうだろ』
 愛が慌ててテレパシーに切り替える。
『由衣ちゃんと和紀がずっと付き合ってるのは知ってるけど、まだ和紀は大学院に入ったばかりだろ。そりゃ由衣ちゃんは社会人だから、さっさとキープしときたい和紀の気持ちも解るけど』
『けど、何?』
 生が視線を外して苦笑しながらポリポリと頭を掻く。
『今、つくづく兄貴が男で良かったって思った』
 生の爆弾発言に愛が飲みかけたコーヒーを噴き出した。
『ちょと生。飛躍し過ぎ』
『愛だって本音じゃ思ってるだろ?』
 焦る愛に生が鋭い視線を向けと、愛も認めたくないけどという顔で頷いた。
『由衣ちゃんって、見た目は可愛いけど中身は天然兄貴(豪)の女版!』

 豪は正式に千寿子と婚約をしたのは良いが、それを公表するのは高校を卒業するまで待ってくれと千寿子に土下座して懇願した。
「クラスメイト達から、からかわれるのが恥ずかしい」という理由に皆も呆れたが、結局は豪らしいと笑って公表は3月まで延期された。
 天ノ宮家の別邸で婚約発表パーティーは行われた。
 親族は元より、天野一族全員に豪が正式に紹介される。
 天野学園への転入以来、豪と千寿子には噂が有ったので全く抵抗無く受け入れられた。
 招待客には当然、豪側の親戚も入っている。
 豪達同様に本家を敬遠していたので、目立たないように会場の隅に集まっていた。

 愛はひたすら焦っていた。
 生まれて初めての感覚、「生の音」しか聞こえ無い世界に戸惑いを隠せない。
 愛のテレパシー能力は完全に何者かにブロックされていた。
 一族最強の超能力を持つ愛を相手に、誰がこれだけの超能力を発揮しているのか。
 愛は封じられた超能力をぎりぎりまで駆使してその相手を必死で捜した。
 愛の戸惑いは千寿子や可奈女達、テレパシー能力を持つ一族全員が思っていた事だった。
 この会場に居る全員がテレパシーを使えない!
 長い歴史の中で初めての事態に会場全体が騒然となった。

 その頃、豪と生は幼い頃から仲の良い従姉妹達に捕まっていた。
「あれだけ嫌っていた本家に婿入りするとはね。豪はとろいからぼんやりしている間に決められちゃったんじゃないの」
 綺麗なショートボブの黒髪と、意志の強そうな瞳を輝かせて1つ年上の従姉妹は豪の額を突つく。
「相変わらずきついな。真衣、さすがに俺でも一生の問題をそんな事じゃ決められない」
 恵そっくりの気の強さに圧されながらぶんぶんと豪が頭を振る。
「初めはそのとおりだったけどな」
「生!」
 ぼそりと豪の後ろからツッコミを入れた生を、豪が顔を真っ赤にして怒る。
「ほら、やっぱりね」
 思っていたとおりだと笑う真衣を相手に、豪が頭をかきながら苦笑する。
「真衣ちゃん。それくらいにしてあげたら。豪君困ってるよ」
 栗色の柔らかい髪をツインテールに纏めた少女が真衣の服の端を引く。
「由衣。豪は力仕事とからかう以外に使い道が無いから良いの」
 そこに突然、愛が走って飛び込んできて、真衣の両手を握りしめるとにっこり微笑んで大声で言った。
「僕と結婚してください!」
 会場が一気に静まりかえった。
 突然の事に誰もが口を利けずに固まっていた。
 始めに動いたのは生だった。
「8年前から全然進歩無し! 愛兄ちゃん、初対面の相手にいきなりプロポーズする癖だけは直しなよ」
 愛が「あっ」と声をあげて握りしめていた手を緩めると、素早く手を引いた真衣が愛の横っ面を思いきり張り飛ばした。
「何なのよ。このセクハラ男は! 豪、生、こいつ誰?」
 怒りで頬を染めた真衣が呆然と立ち尽くす愛を無視して両手を腰に当てて2人に向き直った。
 側に居た由衣はどうして良いのか判らず、両手を口元に当てておろおろと皆の様子を見ていた。
 豪と生は諦めたように苦笑して愛を紹介した。
「千寿子の双子の弟で、今は俺達の兄弟になった愛だ。ほら、2年前に養子を貰う事を電話で話しただろう」
「あの噂の『変態』? 百聞は一見に如かずとは良く言ったものね。本当に『変態』じゃない」
 真衣のあまりの言いように、愛が豪を恨みがましい目で見上げた。
 解ってると頷くと豪は真衣に説明した。
「真衣、あれは誤解だったんだ。完全な間違いだった。たしかに愛は時々こういうとんでも無い事をしでかすが気の優しくて良い奴だ。愛、こっちは佐藤真衣と由衣。俺より1歳年上の従姉妹だ」
 豪からフォローされて漸く愛も落ち着きを取り戻す。
「初めまして。天野愛です。真衣さんですね。良かったら僕と結婚を前提にお付き合いしてください」
 頭を下げた愛の後頭部を真っ赤になった真衣が叩く。
「だ・か・ら、何でいきなりそういう事を言うのよ? あんたは!」

 可奈女が急いで恵を見つけると、小声で問い詰める。
「恵、あの子は何者なの? 強いパワーを感じるけど何も読めないわ。あんな子が居るなんて全然知らなかったわ」
 恵はにっこり笑って可奈女の耳元で囁いた。
「兄の娘で双子の片割れよ。超能力はそうね、言うなれば『テレパスキラー』。周囲に居るテレパスの能力を完全に遮断するわ」
 あっさり答える恵に可奈女が食って掛かる。
「そんな凄い超能力の持ち主をどうして教えないのよ!」
「だって本人は全く自覚無しで超能力を使っているのだもの。テレパス以外は全く被害は無いし、本人も自分が能力者だと知らないから制御は一切不能。それに、可奈女に教えたらわたしが兄さんに実家を出入り禁止にされるわよ。あなたはわたしの友達だから別格扱いされていたけど、佐藤家が天ノ宮家にできるだけ関わらないようにしているのは知っているでしょ」
「だからって……。もう、薄情者なんだから」
「可奈女と友達を止めたくなかったから今までずっと言わなかったの。それくらい解りなさいよ。馬鹿ね」
 力が抜けた可奈女の額を笑顔の恵が指で軽く突いた。

 愛は完全に動揺していた。
 たしかに初対面でいきなりプロポーズは不味かったと冷静になった今なら解るのだが、自分に奇蹟を起こしてくれた目の前の少女を絶対に手放したくないと心底から思った。
 しかし、テレパシーが使えなくても目の前に居る少女が怒りまくっている事は明白でどうしたら良いのか判らない。

「また、俺の予知範囲外の出現か。一体お母さんの家系はどうなっているんだ?」
 テラスで智が溜息を吐くと、和紀は面白そうに下の様子を眺めていた。
「お母さん自身がびっくり箱みたいなものだからね。豪も生もそしてあの真衣って子も凄いパワーだよ。必死で隠してるみたいだけど、もう1人の子がどういう子なのか、僕としては凄く気になるところだね」
「たしかに見た目はビンゴで和紀のタイプだな。何を考えている?」
「んー。それはこれからの展開次第かな」
「このむっつりスケベが」
「僕のはるか上を行く智に言われたくないよ」
 怒って振り上げた智の手を、余裕で和紀はかわして視線を戻した。

「天野一族ってこういう変な奴ばかりなの? お父さんが近付きたがらない理由が解ってきたわ」
「真衣ちゃん、言い過ぎ。頭を冷やして!」
 由衣が叫んだ瞬間、真衣とその周囲にどこからか大量の水が降ってきた。
 バシャリという音と共に、豪や生もびしょ濡れになる。
 真衣と愛の間には大きな錦鯉が飛び跳ねていた。
「由衣!」
 真衣が慌てて由衣を振り返えり、豪と生が遂にやってしまったと頭を抱えた。

 それでなくとも愛が起こした騒ぎで視線を集めていた上に、更なるとんでも無い状況に周囲から驚きの声が上がった。
「引き寄せ?」
 呟く和紀の肩に智が手を掛ける。
「お前と同じ超能力じゃないか。あんな事がピンポイントでできるとは……」
「あ、あ、あ、どうしよう……」
 緊張のあまり大勢の人前で超能力を使ってしまった由衣は完全にパニックを起こした。
「由衣、ちょっと待って!」
「落ち着け。由衣!」
「たんまー!」
 真衣と豪と生の制止の声も空しく、空中から今度は金ダライが十数個落ちてきた。
 1番多く当たったのは由衣自身だが、当然近くに居た真衣や豪、生と愛も金ダライの洗礼を受けた。
 智は呆気に取られ、和紀は大爆笑した。
「すっごいよ。あの子。この場面でお約束の金ダライを降らせるなんて豪並の天然だよ」
「笑って言う事か?」
 智が睨み付けると、和紀は我慢できないとテラスの手すりをどんどんと叩いた。

「兄ちゃん、このままじゃ鯉が死んじゃうよ」
 生が暴れる錦鯉を何とか金ダライの中に入れて豪を見上げた。
「とは言っても、由衣は引き寄せしかできないから……。あっ、和紀! 居るならここに来てくれ!」

「呼ばれた。行こう! 智」
 待ってましたと笑顔を浮かべて、和紀は強引に智の手を引いて階段を駆け下りた。
「豪!」
 駈け寄って来る和紀と智の姿を見て豪がほっと息を吐く。
「和紀。悪いがこの鯉をどこか1番近い池に戻してくれないか? 由衣はいつも近い所から物を引き寄せる癖が有るんだ」
「うん、良いよ。錦鯉って事は南公園の池だね。すぐに戻すよ」
 和紀の瞳がかすかに色を変えて床に溜まった水ごと鯉を転送させた。
「鯉は良いがこのタライはどうする気だ? こんな物をどこから転送させたんだ?」
 智が呆れ顔でタライを1つ拾い上げた。
「由衣自身は知らないからな。智は思い付かないか?」
 豪に問われ、智が顎に手を当てて記憶を辿る。
「これだけの数で近場だと……たしか天野学園の備品で購入していると思ったが、詳しい事まではさすがに思い出せない」
 愛が跪いてタライに手を当てる。
「超能力がほとんど使えないから自信無いけど、小さな子供達の気配が残ってる。幼等部の備品じゃない? たしか水遊びに使わせたていたんじゃなかった?」
 愛に言われて和紀が瞳を綺麗なスカイブルーに変える。
「うん。幼等部の遊具倉庫に同じタライが有るよ。個数が少ないから多分これだね」
 豪達が集めたタライを全部受け取ると和紀が瞬時に転送させる。
「おしまい」
 そう言ってにっこり笑う和紀に、由衣が頬を染めて感歎の溜息を吐く。
「魔法使いみたい」
 騒ぎを広げてるだけ広げておいてのんびりした事を言う由衣の頭を真衣が叩いた。
「あんたって子はもう。この人達は皆能力者なの! それくらい豪を見てれば判るでしょ」
「でも、真衣ちゃん。あの人達凄いって思わない?」
「ああもう良いから。ちゃんと礼を言うの」
 口元に手を当てて首を傾げる由衣の手を引いて、真衣は和紀達に向き直った。
「助けてくれてありがとうございました。由衣は超能力の制御方法を知らないので、感情が爆発するとたまにこういう事を起こすの。迷惑を掛けてごめんなさい」
 慌てて由衣も頭を下げる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして。ああ、挨拶がまだだったね。初めまして。僕は天野和紀。豪達と一緒に住んで仕事をしているんだ。えっと、由衣ちゃん? 超能力の制御方法を知らないなら僕が教えようか? どうやら君の超能力は僕と同種類のものみたいだから」
 和紀に言われて豪が笑ってぽんと手を叩く。
「そうか、和紀なら教えられるんだ。由衣、和紀は第1級のテレポーターだ。能力はさっき見てとおりだ。何かと教えるのは上手いから絶対損は無いぞ」
「たしかに由衣の超能力は傍迷惑だもんね」
 同感と真衣も頷く。
「豪君と真衣ちゃんがそう言うなら……。宜しくお願いします!」
 由衣がかしこまって頭を下げると、今度はピンク色のバラの花びらが会場中に降ってきた。
「あ、またやっちゃた」
 真っ赤になって俯く由衣の頭を真衣がよしよしと優しく撫で、会場に舞う美しい花びらと優しい香りに周囲からも笑いが漏れる。
 じっと自分を見つめる愛の視線に気付いて真衣が顔を向ける。
「あなたにも助けて貰ったわ。さっきは酷い事を言ってごめんなさい」
「僕の方こそ突然とんでも無い事を言って悪かったよ。会うのは初めてだけどすでに親戚同士な訳だし、先ずはお友達からという事でどう?」
「妥当な線ね。由衣や豪の事も有るし、あなた達が本当は何者でどんな人達なのか、懐に飛び込んでこの目で確かめるのも悪くは無いわ」
 そう言って差し出された真衣の手を愛は握り返した。
「こいつも紹介しておく。天野智。やっぱり俺達の同居人で同僚だ」
 豪が早々に逃げ出そうとした智の襟首を掴まえて2人に紹介すると、智は気まずそうに笑って「宜しく」とだけ言った。

「盛り上がっているところを誠に申し訳無いのだけど」
 今までテラスの陰で一部始終を見ていた千寿子が、いつの間にか豪達の背後に居て咳払いをした。
「初めまして、千寿子です。遠くから来て頂いたお客様をずぶ濡れで帰す訳にもいきません。シャワーと着替えと部屋を用意させました。濡れた服はすぐに洗って乾かしてからお返ししますのでお2階へどうぞ」
 と言って真衣と由衣に頭を下げる。
「あなたが天ノ宮千寿子さんね。初めまして、佐藤真衣よ。話はいつも豪達から聞いていたわ」
「……初めまして、由衣です。本当にごめんなさい」
 堂々と挨拶を交わす真衣に自分がやってしまった失敗に赤面する由衣。
 元々の性格の差も有るのだろうが、この対照的な双子の姉妹に自分と愛を重ね合わせて千寿子は笑みを浮かべた。

 係が真衣と由衣を別室に案内すると、千寿子の態度は豹変していきなり愛の頭を叩く。
「少しは学習しなさい! あれから何年経ったと思っているの。恥ずかしくてとても出て来れなかったわ」
 それはそうだと頷く豪と生の頭も叩く。
「ああいう子達だって知ってたのならどうして先に言わないのよ! おかげで大騒ぎよ!」
「由衣の事か? たしかに騒ぎを起こして悪かったが、伯父さんと母さんからきつく口止めされていたんだ」
 豪が何とか宥めようとしたが千寿子は引き下がらない。
「由衣さんもだけど真衣さんの方よ。『テレパスキラー』なんて今まで一族からも出た事が無いのよ! あれほど凄い超能力を持った子が居るって知っていたらもっと状況は変わっていたわ」
「テレパスキラー? 何だそれは?」
「真衣さんが居る間、私も愛も、母様も、ここに居るテレパス全員が超能力を使えなかったの」
「はぁ!? あ、それでか」
 豪が漸く気付いたと見つめると愛は黙って頷いた。
『あれほど静かな世界は生まれて初めてだった。いつもざわついた雑音に悩まされていたのに真衣さんがここに来た瞬間から僕の世界が変わった。夢のような世界だった。あの静寂と真っ直ぐな性格に一目惚れしたって言ったら信じてくれる?』
 愛から満面の笑顔を向けられて豪と生も頷いて笑みを返した。
「ノロケはいいからあなた達もさっさとシャワーを浴びて着替えなさい! 特に豪、主役が馬鹿騒ぎを起こしたんだからこの責任は重いわよ!」
 千寿子に怒鳴られて豪が困惑する。
「俺なのか!?」
「当たり前でしょ。元はと言えばあなたがわたしに隠し事をしていたからいけないのよ」
 婚約者に裏切られたという顔をする千寿子に、豪は素直に「悪かった」と言って頭を下げた。

 5年経った今も語り草になっている豪と千寿子の婚約発表パーティーを思い出して生と愛は笑う。
「あれは本当に強烈だったからな」
「でも僕はあの2人に会えて嬉しいよ」
「ノロケをこれ以上聞かせる気なら奢らせるぞ」
「良いよ」
 にっこり笑う愛の頭を遠慮無く生が叩く。
 相変わらずの童顔だがあれから生もかなり身長が伸びて、今では愛達とあまり変わらない。
 叩かれても愛の笑顔は消えず、要は幸せになった者勝ちという事らしい。
「あ、忘れてた。「生おじさん」、未だに出産祝いを贈って無いんだってね。豪が「生が口もきいれくれない」と泣いてたって和紀が言ってたよ」
「思い出させるな。生まれた時にはちゃんと言ったし、名前だけで充分だろ」
 むっと頬を膨らませる生に愛が思わず吹き出す。
「生実(いくみ)って良い名前だと思うけど。男でも女でも初めに生まれた子供の名前はこれにするって豪がずっと前から決めていたんだろ」
「だからって本当に付けるとは思わなかったんだ。何で女の子に俺の名前を付けるんだ」
「端から見たらお互いの超ブラコンっぷりを見せられたって感じだけど。……ああ、静寂がやって来た。真衣ちゃんが近くに居る。そろそろ行くよ。豪をこれ以上泣かしたく無かったらちゃんとお祝いしてあげなよ」
 割り勘にしたはずの生の分のコーヒー代をテーブルに置いて愛は立ち上がった。

 手を振って去っていく愛の後ろ姿を眺めながら生も小銭をポケットに押し込んで席を立つ。

(俺の名前を受け継ぐ事がどんな意味を持つのか、兄貴には判ってないから仕方ないか)
(兄貴をこれ以上泣かすのは嫌だし、できるだけ可愛い服でも贈るかな)

 立ち上がった生は図書館に行くのは止めて、大勢居る女友達の中から服の趣味が1番良い子を選んで携帯に電話を掛けた。

つづく



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