side−B −そしてまたはじまり−2 豪 大学卒業後〜


 智が諦めて立ち上がると続き部屋の簡易キッチンで作った紅茶を生実に差し出す。
「お嬢が居る事にすぐに気付けなかったのは俺のミスだし、豪に頼まれたから今日は匿うが、そろそろちゃんと千寿子さんと話し合う時期に来ていると思うぞ」
 生実は智に礼を言って紅茶を一口飲むとほっと息をついた。
「母様がいずれ親族達から酷く責められるだろうわたしの事をとても心配してくれているのは解っているの。その為に智君との結婚を反対しているって事もね。でも、自分の気持ちに嘘はつけないもん。誰が何て言ったってわたしは負けないわ」
「それ以前に俺の気持ちはどうなるんだ?」
 眉間に縦皺を作る智に、生実は子供らしくない顔で悲しげに笑う。
「父様を忘れれないまま一生独りで暮らすの?」
「だから、誤解を招く言い方は止めろといつも言っているだろう」
 理性ぎりぎりという引きつった笑顔で智は生実に言い返した。

「邪魔してごめんね」
 生実の背後に和紀がテレポートして現れた。
 一部とは言え、自分の超能力と唯一拮抗するほどの超能力を持つ和紀の出現に、生実が小さく舌打ちをする。
「出たわね。母様の永遠のライバル」
 和紀はくすりと笑って生実の頭を撫でる。
「嫌だなぁ。みーちゃんまで僕の事をそういう目で見ているの? 僕は豪の親友だって何度言ったら解ってくれるのかな? 僕にも奥さんと子供が居るんだからできれば止めて欲しいな」
「和紀おじさんが生兄とは違う意味で父様の「1番で特別」だって知ってるもん。母様がずっとやきもちを焼き続けるくらい父様と仲が良過ぎるんだもん」
 頬を膨らませる生実に、和紀は笑顔のままどう説明しようかと素早く思考を巡らせる。
「豪が1番愛しているのは、千寿子さんや生実ちゃん達家族だよ」
「でも父様に1番信頼されているのは和紀おじさんだわ」
 強い超能力ゆえに幼少の頃から周囲の人間関係を完全に把握している生実の言葉に容赦は無い。
 一族中でただ1人持つ超能力が、まだ幼い生実の洞察力を更に高めている。
 なるほどそうきたかと思った和紀は余裕の笑みを浮かべる。
「たしかに僕と豪はとても仲が良い友人だよ。千寿子さんが入り込みたくても入れないくらいにね。でも、豪と千寿子さんの間に僕は入れない。なぜか解る?」
「……なんとなく」
 上手い言葉が見つからないと、生実が子供らしく口元に手を当てて首を傾げる。
「みーちゃんが豪や千寿子さんを好きな気持ちと、友達を好きな気持ち、智を好きだって思う気持ちは同じ「好き」でも全然意味が違うよね。それと同じだよ。僕が家族を想う気持ちと豪を好きなのは全然別なんだよ。これは豪も同じだよ」
 生実はちらりと智を見て頷くと、和紀の方に笑顔で向き直った。
「解った」
「そこで納得するな!」
 黙って2人のやりとりを聞いていた智がいきなり自分に話を振られて慌てて抗議する。
「嬉しいくせに素直じゃない」
 日頃はあまり仲が良くないくせに同時に言い切る生実と和紀に智の肩が震える。
「お前達はそれほど俺の血管か理性の糸を切らせたいのか!?」
 和紀は額に血管を浮かせて渋面になっている智を見て、軽く溜息を吐く。
「智、余裕無いね。もっと肩の力を抜けば良いのに。少し見方を変えるだけでかなり楽になるよ」
「それとこれとは話が別だ。俺も和紀に言いたい事は山ほど有るぞ。お前は豪を甘やかし過ぎる上に、自分の欲求にまで正直過ぎるんだ。この大馬鹿者! 少しは自分の立場をわきまえろ。部長自ら仕事をさぼるな。部下に示しがつかないだろうが」
 豪以外の相手にも感情を顕わにして怒りで顔を真っ赤に染める智に、生実の影響でここ数年の間にずいぶん変わったと思いつつ和紀は笑う。
「僕が実動以外でプロジェクト・side−Bに時間を割くのは結果的に会社全体としての利益が上がるからだよ。豪が欲しがる物は少々手を加えて機能をわざと落としているけど数年以内に商品化されて成功してるよね。豪だって考え無しでアイディアを出してる訳じゃ無いよ。もう少し僕達を信用してよ」
 実績を盾に堂々とさぼりを認める和紀に、智は引き出しからプリントアウトされた書類の束を出して突きつけた。
「足元をちゃんと固めてからやるのなら俺も文句は言わない。豪の暴走はもとより、お前への苦情は全部俺のところに来るんだぞ」
 千寿子からのクレームと部下達からの嘆願書の山を見て、和紀は微笑する。
「はいはい。自分の事は顧みず、周囲の事ばかり考え過ぎて暴走しがちな豪を上手く僕が抑えろって事と、部下に僕がやっている事をちゃんと納得させろって事だね。部内にはもちろん、近いうちに豪とゆっくり時間を取って話し合うよ」
 生実の視線に気付いた和紀が「解らない話をしてごめんね」と謝った。

「あ、ごめん。うっかり忘れてた。その豪から伝言を預かったからここへ来たんだったよ。よく聞いてね」
 2人の顔を見て一呼吸すると和紀は微笑んだ。
「今、生と愛に協力して貰って生実の気配を別邸と本邸全体に散らばらせてある。あの2人が組めば一族の誰も生実を見つけられないだろう。鬼門の真衣は由衣に頼んで夕方まで外出して貰ってる。母さんも協力してくれるそうだから安心して欲しい。智も今日はパーティーに出なくて良いぞ。たまにはゆっくり休めよ」
 にこにこと笑って豪の口調をそっくりに真似る和紀に、智が怒鳴り返す。
「これと一緒に居てどこがゆっくりできるんだ!? 神経がすり減るだけなんだぞ」
「これって何よ?」
 智は生実の抗議を無視して、豪と直接話さないとらちが明かないと、立ち上がって扉に向かう。
 和紀が通り過ぎようとする智の肩を軽く掴んだ。
「この部屋はさっき生が強い結界を張ったから、誰も入れないし僕以外は出られないよ。みーちゃんなら生の結界を突破できるだろうけど、出て行く気は無いよね。智も諦めてここに居なよ」
 あっさりと笑顔でとんでも無い事を言われて、智は一瞬だけ固まった。
「そういう事を本人に無断で勝手にやるな!」
 詰め寄る智に和紀が久しぶりに笑顔の仮面を捨てて真顔になる。
「豪が正しい。智はずっと逃げてばかりで1度もみーちゃんの話を真剣に聞いた事が無いよね。時間はたっぷり有るんだから、じっくり話し合った方が良いよ。みーちゃんはもう5つの子供じゃないんだからね。智が本当に嫌なら、ちゃんとみーちゃんが理解できるように話すべきだし、みーちゃんの話も智は聞くべきだよ」
 肩を押されて智が後ずさると、和紀は笑って手を振ってテレポートした。
 どう言って良いのか判らないという顔で、生実は和紀の消えた場所を見つめていた。
「さすがは一族の中でも1番食えない相手と、このわたしが認めただけの事は有るわ」
 諦めた智も「それは俺も認める」と言って席に戻った。
 智は12年前の会話を思い出していた。

「由衣にプロポーズしたって噂は本当なのか?」
 大学院で噂を聞きつけた智は、慌てて和紀の部屋に乗り込んだ。
 和紀が超能力の制御を教えながら由衣と付き合っていた事は知っていたが、まさか結婚まで話が進むとは思わなかったのだ。
 「うん」とあっさり認めた和紀に智は額を押さえた。
 たしかに由衣の外見は和紀の好みのタイプである。
 しかし、それ以上にあの素直過ぎる天然な性格は豪にそっくりで、智には和紀が豪の代わりに由衣を選んだようにしか見えない。
 この頃には智も和紀が自分同様に、豪に強く魅了されている事を知っていた。
「いくら何でも代わりにするのは酷いだろう」
「誰が誰の代わりだって? 由衣ちゃんに失礼だよ」
 真顔で答えた和紀に、智が白々しい嘘を言うなと肩を竦める。
「佐藤姉妹は一族に保護されるべきだと俺も思う。どちらも一般に埋没できるような存在じゃ無いからな。ただし、真衣に一目惚れした愛はともかく、和紀が由衣を選んだ理由が納得いかない」
「そうかな」
 と、和紀は微笑を返す。
「由衣ちゃんはとても可愛いよ。男として守ってあげたいと思う事がそれほど不思議?」
「ああ。日頃から豪が1番大事と公言してはばからないお前が、他に目を向けるとは思えない」
 両手を上げてふざけるのもいい加減にしろと悪態を吐く智に、和紀が少しだけ声音を強める。
「愛情をごちゃ混ぜにしている智と一緒にしないでよね。豪が1番可愛くて好きなのは今でも同じだよ。でも別の意味で由衣ちゃんの事も1番好きだよ。じっくり付き合うと判るけど、2人は表面上はとても似ているけど根本的な部分で全然違うんだよ」
「本音で言ってるのか?」
 尚も疑いの目を向ける智に和紀は軽く肩を竦める。
「僕が言っている意味が解らないんじゃ智は前途多難だね。君が結婚できるのか本気で心配になってきたよ」
「余計なお世話だ。俺は独身主義だから困らない」
「本当にそうなの?」
 意味有り気な笑顔を見せる和紀に、腹を立てた智は踵を返して足早に和紀の部屋を後にした。

 嫌な事まで思い出したと智が急に表情を硬くする。
 その様子を生実は黙ってじっと見つめていた。
 超能力は自分を守る必要が有る時と、誰にも気付かれずに人の為に使うという天野一族の方針を今では生実も熟知している。
 どれほど好きな相手でも、必要も無く人の心の中まで覗くのはタブーだとずっと愛から聞かされて育った為、テレパシーは非常時で無ければ使わない。
 父である豪以外の前ではポーカーフェイスだった智が、これほど感情を表に出すのは自分のせいだと生実は理解している。
 それでもどれほど否定されても、智を想う気持ちは変えられないからと生実は小さく笑う。
 母が鈍感な父にずいぶん苦労させられ続けたが、どうやら自分もそういう運命に有るらしい。
 これ以上、智を悩ませたり苦しめるのは不本意なので、そろそろ種明かしをするべきだろうと生実は気持ちを切り替えた。
 生実は立ち上がって簡易キッチンで2人分の紅茶を入れ直すと、智にカップを差し出した。
 智も元々律儀な性格なので素直に礼を言って紅茶を口に含む。
 普段は飲まない少しだけ甘い紅茶に、疲れがとれると智の目に優しい笑みが浮かぶ。
 生実はたまにしか見られない智のこの笑顔が大好きなのでしばらくの間見とれていた。
「あのね、智君。本当の事を正直に言うね」
 突然、真面目な顔をして真っ直ぐに自分を見つめる生実に智が目を丸くする。
 こういう顔をした時の生実は、本当に豪の子供の頃にそっくりで智は目を離せない。
「わたしね。早く智君に会いたくて母様をせかしたの」
「は?」
 生実の言う意味が理解できず、智が間抜けな声を上げる。
「わたしが生まれるずっと前から、わたしは智君を知っていたの。生まれる前から智君が大好きなの」
「おい……」
 抗議をしかけた智に生実は唇に人差し指を当てて、黙って聞いてねと意思表示をする。
「わたしは『大地の巫女』よ。智君が子供の頃から智君を知っていたの。そしてずっと智君を見つめてきたの。だから母様に早くわたしを産んでって頼んだの。母様はとても忙しかったのに無意識下のわたしの願いを聞いてくれたわ」
 智はそれで千寿子がまだ学生の身である事を圧して、妊娠したのだと納得した。
 生実ほどの超能力ならば、森の意志を通して過去へと遡り、同じ巫女の千寿子への干渉は可能だろう。

 生実だけが持つ特殊な超能力、『時間遡行』と『過去見』は智の能力の逆方向を向いている。
 智の予知がなぜ当たるのか説明できないように、生実の過去見も誰にも明確に説明ができないものだった。
 『大地の御子』である生が、おそらく生実は森の意志の記憶ともリンクしているのだろうと言っていた。
 自分が生まれるよりずっと以前の記憶も持つ生実なら、智の子供時代を知っていてもおかしくない。
「智君に会いたくてわたしは生まれてきたの。たしかにわたしはまだ子供よ。でも智君を好きだって気持ちは誰にも負けない」
 強い意志を瞳に込めて生実は智を見上げた。
 生実の豪譲りの正直で真っ直ぐな気性は、智に懐かしさとかすかに嬉しさを感じさせる。
 智も本音では年齢差を考えなければ生実の気持ちを全面的に否定している訳ではない。
 しかし、家族というものに疑問を感じ続けている智にとって、結婚は実感を伴わない言葉だった。
 何度か恋愛らしきものはした事が有る。
 全て相手から言われるままに付き合って、やはり相手の方から離れていった。
 智の気持ちが決して自分には向いていない事を察して、皆が諦めて別れを告げるのだった。
 初めから拒否し続けているにも関わらず、自分を好きだと言い続けているのは生実くらいのものである。

「智君が子供の頃辛い思いをした為に独身主義になったって知ってるの。だからこそわたしが智君を幸せにしたいの」
「普通は台詞が逆だぞ」
 智はいつの間にか生実のペースに乗せられて言葉を返す。
「それにわたしは智君が愛してる父様の娘よ。絶対お得だと思うの」
「そういう言い方をするな!」
 どこまで解っていて言っているのか、とんでも無い事を度々きっぱりと言い切る生実に智もむきになって言い返す。
「だってわたしは智君が5つの頃から父様の事を愛してるって知ってるもん。だから余計に独身主義に発車が掛かっちゃったのよね」
「その言い方は止めろと何度も言っているぞ」
 絶対嫌がるから言いたくなかったのにと前置きして、生実は大声を上げた。
「じゃあもっと解りやすく言うわ。智君はずっと父様の事を自分の本当の父様の代わりに愛してきたのよね。父様に触れると安心するから、父様が本当の父様だったら良いのにって未だに思っているわ。わたしと結婚したら智君は本当に父様と親子になれるのよ。だからいつもそう言ってるのにどうして意地を張るの?」
 本心をずばりと言い当てられてかっと頬を染めた智が怒鳴り返す。
「超能力が有るからといい気になるな! 小娘に俺の何が解る!」
「解るわ。生まれる前からずっと智君を見てきたと言ったでしょ? 解ってないのは智君の方。どれだけご両親が心を痛めてきたか全然知ろうともしなかったわ!」
「あんな奴らを親だと認めたくない! 血の繋がりだけで親子と言うのか? 俺の過去を知っているなら判るだろう。精神的なものなら豪や天野家のメンバーの方がよほど俺の家族らしかったぞ!」
「それが解ってない証拠だって言ってるの!」
 生実は涙をポロポロと流しながら智に訴えた。

 両親から愛されている事に気付かないまま傷付いていく智をずっと見続けた生実にとって、智の心は身を切られるように痛かった。
 それでも誰かを愛したいと、誰かに愛されたいと思う気持ちを捨てきれずに、優しく素直な豪を求め続ける智の想いをどうして責められようか。
 だから、自分が智を救うのだと生実はずっと心に誓っていた。
 言葉で愛を伝えても、言葉で傷付き過ぎた智は真実を告げる言葉すら信じない。
 豪が時折黙って智を抱きしめるのは、それが1番智に伝わりやすい愛情表現だと無意識で解っていたからだった。
「智君のわからずや!」
 生実は机を飛び越えて智の頬を両手包み、額に自分のそれを当てた。
 愛が情報を正確に伝えるのに用いる方法を生実も選んだ。
 そうで無ければこの頑固者は自分の言葉を信じてくれないだろうと思ったからだ。
 智は生実から伝わる気配に懐かしさと戸惑いを感じて固まった。

 幼い智が涙を流しながらベッドで眠っている。
 その側で母親の朋子が智の涙を優しく拭い髪をなで続ける。
 朋子もまた目を真っ赤に染めて泣いていた。
 大切な息子がまだ幼い身で苦しみ眠っていても尚、涙を流し続けているのに何の超能力も持たない自分はこうして見守る事しかできない。
 朋子が天野の名を重く感じるようになったのは、智に物心が付いてからだった。
 智が突然泣き出し「どうしたの?」と聞くと「いっぱい人が死ぬの」と訴える。
 初めの頃は感受性の強い智が、テレビか何かに影響を受けて泣くのだと朋子は勘違いをした。
 智が多くの言葉を覚えると具体的に何が起こるのかを告げ、それが怖いと朋子に泣きついた。
 数日後のニュースや新聞に智が言ったとおりの事故を見つけて朋子は困惑した。
 夫の弟の譲は強い能力者で、本家の天ノ宮家に婿養子に入っている。
 だが、夫の穫(みのる)は会社員として優秀では有ったが能力者としては大した力を持たない。
 それなのに自分達の息子は強過ぎる超能力に翻弄されて幼い身体で苦しんでいる。
 どこまでも無力な自分を朋子は責め続けた。

 それは穫も同様で、自分に譲ほどの超能力があれば大事な息子を護れるのにと憤っていた。
 苦しみ涙を流し続ける愛する息子を見つめながら、このままでは智の心が壊れてしまうと夫婦は必死で息子を助ける方法を探した。
 そして唯一息子を護る方法が本家に預ける事だという結論に達した。
 無力な自分達では護りきれない智を、護人様方なら護って導いてくれると夫婦は望みを託した。
 いきなり両親から引き離される事で、どれほど智に恨まれる事になっても、無事に育ってくれさえすれば良いと、幼い智の手を引いて夫婦は本家の門を叩いた。
 「嘘つき!」と泣き叫ぶ智に身を裂かれるような思いを味わいながら、夫婦は足早に本家を後にした。
 泣き続ける妻を穫は強く抱きしめて言った。
「智の幸せだけを祈り続けよう。私達にできるのは祈る事だけだから」
「はい」と頷きながら朋子は夫に身を預けた。

 数ヶ月後に会った息子は予想していたとおりに両親を完全に無視した。
 それでも、遠目に家では見られなかった千寿子達と一緒に笑う智を見て、両親は自分達の選択が間違いでは無かったと安堵した。
 そっと遠くから見守り続けるだけの愛。
 何十年もの間息子に誤解され続けても、元気に育ってくれた事を感謝して年老いた今も夫婦は静かに暮らしている。
 決して息子には真実を告げる事は無いままに。

 智は知らず涙を流していた。
 こんな形の愛情も有ったのだと初めて知った。
 まだ自分が幼い頃の両親の優しく抱きしめる手を忘れてしまっていたのでは無い。
 強い超能力ゆえに利用されて捨てられたと思った時に、忘れようと決めたのだ。
 温かく優しい心に触れて一目で豪に魅了され、自分が求めるものを全て持つ豪に惹かれ続けた。
 豪の関心を少しでも引きたくて、わざときつい事を言った事も有った。
 その豪が自分にも愛情を注いでくれていると知ってからは、正直に豪に甘えられるようになった。
 親代わりにしていたのだと気付いたのはいつの事だったか。
 ああ、と智は小さく頷いた。
 自分と同様に豪に魅了されている和紀が由衣にプロポーズをしたと聞いた時だ。
「本当に求めている相手は違うくせに」と和紀を強く責めたのは、自分自身が豪に引け目を感じていたからだった。
 豪は智にとってかけがいの無い存在で、それが自分を捨てた親の代わりなどと絶対に認めたく無かった。
 気付いてしまった今でも豪を愛する気持ちに変わりはない。
 あの事故以来、守ってもらいたいという気持ちから、自分が豪を守ると決めてからはあの危なっかしい存在を包めるようになりたいと自分を高める努力を続けている。
 千寿子の秘書になったのも、千寿子を助ける事がひいては豪を守る事に繋がる事を知っていたからだった。

 気が付けば生実の額は離され、自分の膝の上にちょこんと座っている。
 幼い身で全てを知り、それでもずっとこんなに荒んだ自分を見守り続けていてくれる。
 智は生実の存在がどれほど自分の気持ちを今まで楽にしてきてくれたのかを漸く知った。
 生実を愛しいと心から思う。
 しかし、それを口に出すにはまだ智は素直になりきれなかった。
 生実は智の瞳に浮かんだ希望の光りに気付いて智の涙を拭うと、笑って智の首にしがみついた。
 智はいつもはふりほどく生実の手をそのまま受け入れた。
 それが何十年も意地を張り続けた智の精一杯の愛情表現だった。

 和紀の協力で千寿子を見つけて掴まえた豪は、生実の探索は親族に任せてパーティーの始まる時間まで中庭の散歩をしようと千寿子を誘った。
 木漏れ日の中を何気ない会話を続けながらゆっくりと並んで歩く。
 日頃はお互いに忙しくて夫婦らしい時間があまり取れない為か2人の会話は弾む。
「じゃあ、豪は智の気持ちをとっくに知っていたの?」
 驚いて声を上げる千寿子に何を今更と豪が笑う。
「一緒に暮らしだした当時から、智が俺を見る目は生そっくりだったぞ。初めは一人っ子で寂しがり屋な智が俺を兄代わりだと思っているのかと勘違いしたが、1年も経てば親父代わりなんだといくら俺だって気付く」
「……そうだったの」
 千寿子は智が必死で隠していた事を激ニブの上に天然の豪がとっくに気付いていたと知り、思わず笑みを浮かべる。
「だから智から「親父」と呼ばれるのも良いかと俺は思っているんだが、千寿子はどうしても嫌か?」
 豪に問われて千寿子は逆に問い返した。
「豪が「親父」ならわたしは智から「お義母さん」と呼ばれるって事よね?」
 少しだけ考えて千寿子が渋面を作る。
「嫌よ。生実と結婚したって絶対に智に「お義母さん」なんて呼ばせないわ。呼んだらその場で超能力を込めて鉄拳を喰らわせてやるんだから」
 同い年に母親扱いされるのが嫌なだけで、生実との結婚に反対している訳では無いと告げられ豪が破顔する。
 親族達からどんなに抗議が来ても自分達2人が盾になって生実達を守れば良い。
 千寿子が可奈女達の保護を受けて自分の意志をとおし続けたように、今度は自分達の番だと2人は笑う。
 天ノ宮家に縁の深い母の恵の血筋が有っても、生実の父である豪自身は天野家では端流で有り、年齢の差さえ無ければ智は能力でも業務実績でも、天ノ宮家を継ぐのにこれ以上は無いというほど優秀な人材という事も上手く使えばプラスに働くだろうと千寿子は告げた。
 生実があれほど真剣に智だけを想い続けており、遠からず頑固者の智も自分の気持ちに正直になるだろうと豪も確信している。
「じゃあ、もう良いだろう」
「そうね」
 豪に言われて千寿子は親族全員に出していた生実捕獲命令を解く。
 それと同時に豪の耳には生達の『やっと終わりだ。マジで疲れた』という声が聞こえる。
 千寿子も屋敷中に拡散されていた生実の気配が消えた事に気付いて、完全に豪達にしてやられたと気付き、少しだけ頬をふくらませて豪の頬を軽くつねった。
 相変わらず意地っ張りの妻に豪は「騙して悪かった」と謝って優しくキスをする。
「皆が首を長くして待っているぞ。俺達も行こう」
 と満面の笑顔で千寿子の手を握った。
 千寿子も微笑んで豪の手を握り返す。

 2人は力を合わせて本気で挑めば何とでもなると声を上げて笑いながら、皆が待つパーティー会場に走って行った。

おわり



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