side−B −約束2− 豪 高校3年7月後半〜


 千寿子は両親に付き添われて、表面上は笑顔でパーティーに来ている人々と挨拶を交わしていた。

(大人も子供も嘘つきばかり。わたしが母様の娘だから良いことばかり言うのね)
(本気で思ってもいないくせに。会えて嬉しいのは「わたし」じゃなくて「次の会長」でしょ)
(それくらい解るんだから子供だと思って馬鹿にしないでよ)

『あー、かったるい。さっさと帰りたい』
(……?)

『面倒臭い。いつもならアニメ観て生と遊んでるんだぞ。父ちゃん、恨むからな』
(はい?)

『お偉いさんに挨拶って何だ? 父ちゃんはともかく俺は関係無いだろ』
(そうね、たしかにそうだわ)

『晩飯は早過ぎてもう腹が減ってきた。目に前に有るのは見たこと無いから食う気にならない』
(テーブルの上に有るのは美味しい物ばかりよ)

『父ちゃんがもう帰ろうって言ってくれないかな』
(待って、あなたは誰なの?)

 千寿子は急いで視線を巡らせて、突然飛び込んできたちょっと変わった正直な思考の持ち主を捜した。
 離れていた愛も千寿子の強い意識を感じて視線を巡らせる。
 両親に付き添われている和紀と智も、愛からのテレパシーを受けて周囲を見渡した。
 智が「あっ」と小さく声を上げて窓際の柱の側に居る少年に目を向けた。
 千寿子がその声に気付き、少年に視線を向けた。

『俺と同じくらいの歳の子も居るんだ。皆が挨拶してるから、あれがもしかしてお偉いさん?』
(あの子だわ!)

 階段を下りながら千寿子は初めて会う少年に視線が釘付けになる。
 真っ黒で艶やかな、でも触ると柔らかそうな少し癖の有る髪。
 その下には意志の強うそうな丸くて大きな瞳が輝いている。
 半ズボンからはこの年頃の少年にしては珍しく、傷跡1つ無い綺麗な足が覗いていた。
 少年もじっと自分の顔を見上げていた。
 高鳴る胸を押さえながら早く、早くして欲しいと談笑にふける両親に苛立ちを覚えた。
 可奈女が少年の父親に気付いて笑顔を向ける。
「お久しぶりね。ずっと会っていないけれど奥様はお元気?」
「ありがとうございます。とても元気ですよ。まだ二男が幼いのでこちらにご挨拶に伺う事ができませんでした」
「では、その子が?」
 可奈女の問い掛けに父親が少年の肩を軽くつつく。
 千寿子が手を差し出すと少年が慌ててその手を握り返す。
「初めまして。天野豪です」

『やった! これで帰れる。早く家に帰って母ちゃんにメシ作って貰って生と遊ぶぞ!』

 これには少なからず千寿子はショックを受けた。
 目の前に居る自分には全く興味を示さず、豪と名乗った少年は家で待つ弟と母の事だけを考えている。
「……初めまして。千寿子です」
 返す言葉が見つからず、千寿子は完全に固まった。
 手が離され、豪は正規に付き添われて列を離れた。
 玄関に向かいながら同じ年頃の智や和紀に挨拶をしている。

(もう帰っちゃう気なの? 初めてここへ来て、まだたった一言しか話していないのに?)
(豪君、あなたは他の子達とは全然違うの。もっとあなたの声を聞かせて。あなたの事を知りたいの)
 千寿子の願いも空しく、豪は喜々として正規の手を引っ張って玄関から出て行った。

(本当に帰っちゃったわ)
(嘘でしょ? こんな事って有りなの?)
 呆然と佇む千寿子の様子を可奈女は見逃さなかった。

 パーティーが終わり、ソファーに腰掛けて疲れた足を投げ出す千寿子の肩に可奈女が手を置いた。
「見つけたのでしょう?」
 嘘がつけない様にテレパシーで探られている事を感じた千寿子は焦って声を上げた。
「あの子は駄目!」
「そう。あの天野正規の……恵の息子なの。素質は充分。千寿子も目が高いじゃないの」
 意味深に笑う可奈女に千寿子は必死で頭を振る。
「母様、違うの!」
「恵がどう育てるのか見てみたい気もするけど、こちらの都合も有るわ。早速親族会議に掛けて豪君にふさわしい教育を与えたいわね」
 暗に豪を家族から引き離すと言われて智の顔色が変わる。
 自分と同じ状況に追い込まれる子をまた増やすつもりなのかと怒りで憤った。
 千寿子はショックの大きさに泣き出した。
「母様、お願いよ。豪君をお家から引き離さないで。豪君はとてもとてもお父さんやお母さんと生君が好きなの」
「生? まだ2歳の弟ね。まだその歳ならお兄さんと離しても覚えていないわ。恵にはわたしが話を付けるから」
「嫌! 絶対駄目! そんな事をしたら一生母様を恨むわ。許さないんだから」
 泣き崩れる千寿子を愛も泣きながら力一杯抱きしめた。
 3人の子供達全員から強い非難の意志を受け取った可奈女は、ふっと溜息を吐き夫の譲を見た。
「たった1度で決めるにはまだ千寿子も彼も幼すぎるよ。もうしばらく様子を見た方が良いと思うね。可奈女も恵ちゃんに嫌われたくは無いだろう」
「分かったわ」
 譲にも駄目出しされて可奈女は大人しく引き下がった。

「いつ君、どうしてすぐに僕に言わなかったの? あの中の誰だか忘れちゃったよ」
 幼等部の教室の隅で和紀が愛に向かって頬をふくらませる。
「ごめん。とにかく凄い子でうっかりかず君に言うのを忘れちゃったんだ」
「さと君も判ったんだよね。僕もちゃんと見たかったな。あのちーちゃんを一発で黙らせれる子」
「黙らせたって言うより……」
 愛が悩みながら言葉を選ぶ。
「一目惚れって言うんだっけ? 姉様が好きになるのがああいう子だって知って僕も驚いた」
「よけいに見たいよ。また1年待つんだよね?」
「うん。うちの学園には居ないんだって。会ったらかず君も驚くと思うよ。だって「凄くズレてる子」なんだ」
「それってどんな子なんだよー!?」
 思いもしない愛の発言に和紀は思わず大声を上げた。

 翌年もその翌年も豪は正規に付き添われてパーティーに現れて『面倒くさい。腹減った。早く家に帰って生と遊びたい』という意識だけを残して早々に帰って行った。
 和紀はあまりの正直さに毎回爆笑していたが、ひたすら再び豪に声を掛けて貰えるのを期待して待っている千寿子にしてみれば全く笑えない状態だった。

 5年目にして、千寿子は初めて豪の意識の大半を占める弟の生に会った。
 初めて会った時の豪にそっくりの容姿をした生に思わず笑みがこぼれる。
 握手を交わしてやはり『腹減った。早く帰りたい』という意志を生からも感じて、この兄弟はと苦笑する。
 豪とは違う不思議な雰囲気を生から感じて、千寿子は何かしらと首を傾げる。
 しばらくして愛が『見つけた! 僕、行っても良い?』と強いテレパシーを送ってきた。
 愛にまで自分と同じ思いはさせたくないと思った千寿子もすぐに愛にテレパシーを送る。
『さあ行って。あなたの思うままに』
 その声に押されて愛は玄関から飛び出して行った。

『どこまで行ったんだ? まさかこんな広い所で迷子になったんじゃないだろうな』
 突然飛び込んできた豪の強い意志に千寿子は首を傾げる。

(豪君が凄く焦ってる。あ、生君が居なくなっちゃったのね)
(全くどうしてこんなタイミングで愛まで居ないの? 愛が居ればすぐに捜してあげられるのに)

『生、まさか外か?』
(……えっ? 今、外って言わなかった?)

 豪はたまたま玄関の側に居た和紀に声を掛けた。
「邪魔して悪い。弟を捜しているんだ。まだ6つだ。顔は俺によく似てる。見なかったか?」
 和紀は毎年遠目で視ていた豪がいきなり目の前に現れて息を飲んだ。
 歳の割に背が高く、顔も大人びて見える豪の瞳は、外見を全て裏切って驚くほど素直で真っ直ぐだった。
 豪の真剣な顔を見て、和紀は頷いて豪から視線を外す。
 豪には見えない様に瞳をスカイブルーに変えて素早く生の姿を捜した。
 木に登っている生の姿を見つけてその方角を指差す。
「少し前にあっちの森に小さな男の子が走って行くのを見たよ。もしかしてその子かな?」
「ありがとう。助かった」
 豪は1度、和紀の肩に手を置いて笑顔で礼を言うと走って外に出て行った。
 和紀の言葉を一切疑わずに真っ直ぐに豪は走って行く。
「……あれが天野豪」
 和紀は豪が手を置いた肩にそっと自分の手を乗せる。
(何て温かくて優しくて素直な強い心なんだ。たしかにどこかズレてるけど、ちーちゃんが一目で惹かれたのが解るよ)

『和紀、ずるいわ。わたしなんて5年も待って、まだ2言しか話していないのに!』
 精神攻撃に近い強い千寿子からのテレパシーに和紀は顔をしかめる。
『偶然だよ。弟君が居なくなったから知らないかって聞かれただけ』
『それで、生君は見つかったの?』
『うん。東の森で木に登ってたよ。でも……』
『でも?』
『何で一緒に愛まで居たのかな?』
『何ですってーっ!!』
 千寿子の絶叫に和紀と智が顔をしかめた。
『悪い。予知でかすかだが判ってはいたんだ。できれば間違いだと思いたかったから実際に見るまで言う気にならなかった。愛が見つけたのって生君の事だ』
『智! そういう事はもっと早く言ってよ!』
 千寿子と和紀からのダブル攻撃に智が頭を抱える。
『自分が視た予知が信じられなかったんだ。まさか愛が男を選ぶなんて思わないだろ?』

(何て事なの。絶対に豪君、怒ってるわ。愛のドジ! 間抜け! 信じられない!)
(男の子と女の子を間違えるなんて、よほど混乱していたのかしら)

 予想どおり、豪は顔を怒りで真っ赤に染めて生の肩を抱いて戻ってきた。
 正規と恵に声を掛けて早々に帰宅する。
 愛はと言うとかなりショックを受けた顔をして、捻挫して痛む足を引きずりながらこっそりと控え室に戻って行った。
 千寿子達も一斉にパーティーを放り出して控え室に飛び込んで行く。
「愛! あなたが選んだのって男の子だったんでしょ。しかもその相手が生君なんて、わたしに何か恨みでも有るの? それで無くても豪君は本家を嫌っているのに、これでまた豪君に嫌われる理由ができちゃったじゃないの」
 足首に湿布を貼りながら愛も言い返す。
「だって女の子だとばかり思ってたんだよ。プロポーズしてから男の子だって解ったんだ」
「プロポーズって初対面でいきなりやったの?」
 和紀が勘弁してと肩を竦め、智が呆れて額を押さえた。
「だってあの子の気配、姉さんや母様、護人様と凄く似ていたんだよ。宮司の巫女と同じ超能力を持つ子が男の子だなんて思う訳無いよ」
「えっ!?」
 愛の言葉に3人は同時に声を上げた。

「それは本当なの?」
 背後から掛けられた言葉に4人が同時に振り返る。
 可奈女がパーティーを抜け出した子供達を迎えに来ていたのだった。
 いつもより険しい可奈女の視線に全員が硬く口を閉ざす。
「わたしがそれに気付かないなんて、一緒に来ていた恵にしてやられたのかしら。恵の隠す超能力だけはわたしより上なのよね」
 可奈女の言う意味が解らず、子供達は不安げに身を寄せ合う。
「千寿子。豪君の時は引いたけどこればかりは引けないわ」
「母様!?」
 千寿子と愛が可奈女の意図が読みとれずに同時に声を上げる。
「すぐに手配をするわ」
「母様、待って!」
 千寿子と愛の目の前で扉が固く閉ざされた。子供達が逃げ出さないように外から鍵を掛けたのだ。
「閉じ籠め? そこまでするの。母様!」
 怒りに燃えた千寿子が超能力を込めてドアを殴り付ける。

バキッ! と、大きな音を立ててドアが綺麗に粉砕される。
「うわーっ。ひさしぶりに見たよ。千寿子さんの力技」
「和紀、茶化してる場合じゃ無いわよ。母様が生君に何をする気かどうしても聞き出さなきゃ」
 走りだそうとした千寿子達に背後から智が「待った!」と声を掛ける。
「詳しい内容までは判らないけど叔母様の計画は失敗する。今それが視えた」
 額を押さえながら視た予知を正確に告げる智に千寿子達の足が止まる。
「……そうなの」
 力が一気に抜けて千寿子と愛がその場にしゃがみ込んだ。

 小等部高学年になると千寿子は少しずつだが仕事を任される様になった。専任スタッフに愛はもちろん智と和紀も加わった。
 中等部に入り、両親や親族達にも内緒で千寿子が独自に進めているプロジェクト案を見て和紀が唸る。
「千寿子さんの気持ちには賛同するけど、これって例の天野兄弟を巻き込まないと絶対できないんじゃない?」
「その点については俺が予知済みだ。遠からずあの兄弟は俺達の元に来る事になる」
 智の断言に愛が少しだけ顔をしかめた。
「あまりやりたくない方法だけど、天野兄弟の今後の成長を考えたら一般人の中に埋もれていたらいずれ破綻するから仕方無いよ。誰かが陰からちゃんとフォローしないと彼ら自身の身が危ないんだ」
「最低でも一石三鳥くらいを狙ってやるのだから、今から準備したって遅いくらいよ」
 きっぱり言い切る千寿子に和紀が素朴な疑問を投げ掛ける。
「皆がそう言うなら僕は良いけど、1番の難関をどうやって突破する気?」
「一芝居打つわ」
「えっ?」
 首を傾げた和紀に千寿子が分厚いファイルを渡す。
「豪君の誠実さに賭けるわ。これが脚本。一言一句でも間違えたら後が怖いわよ」
 和紀が手渡された綿密な計画書と脚本をパラパラとめくって絶句する。
 ちらりと愛と智の顔を見つめる。

『ちーちゃん、本気だね』
『7年も片思いしてたら強くなるよ。姉さんはずっと豪君の事だけを見てきたからね』
『計画には無謀な点も有るが、こういう未来はいくらでも変わる。俺達ができる限りの事はやるしかない』
『分かった。僕もできるだけ協力するよ』
 和紀は過去に自分が豪に魅了された事は極力隠し通してきたし、智が千寿子より先に豪に魅了された事も知っていた。
(全員同居ねぇ。ちーちゃん、大きな落とし穴が待ってる事に気付いてるのかな?)
『そういう事を考えている時はしっかりテレパシーブロックをする! 姉さんに知られたくないんだろ』
 愛から厳しい視線を受けて、和紀は慌ててファイルに視線を戻した。

「ほーーーーほほほ。豪君残念でした。さっきのは精巧なコピー、こちらが本物よ」
『姉さん、それ本当に演技? 凄く嬉しそうに見えるんだけど』
 こっそり溜息を吐いた愛が千寿子の顔を上目使いで見る。
『大事なところなんだから邪魔しないの!』

「わたしは時間が欲しいの。お願いよ。ふりで良いからわたしの婚約者になってくれない?」
「印鑑は持ってきていないからサインだけで良いか? ペンも貸してくれ」

『姉さんが遂にやったよ。天野兄弟保護計画完了。智、和紀、出てきて』

「あー、長かった。待ちくたびれちゃったよ」
『ここまで来るのに10年だよ』
「まぁそう言うな。豪がしつこくごねる事は俺が予知済みだったろう」
『お疲れ。千寿子さん』
『いいえ、大変なのはこれからよ。わたしは絶対に彼を守りたいの!』

 愛の額が離され、豪は長い白昼夢を見ていた様な気分になった。
 かすかに瞳に涙を浮かべる愛の目を正面から見る事ができずに豪は視線を落とす。
「あ……」
 全てが真実だった。
 演技のふりをして本気で千寿子にプロポーズされていた。
 10年間も年に1度しか会わない相手を想い続けた千寿子の強い想いに豪は翻弄される。
 ずっと守られていた。
 千寿子をよく知らない間も、そして一緒に仕事をする様になってからも、たしかに自分は千寿子に守られ続けていた。
 一気に頭に血が上る様な気分になって豪は赤面する。
 知らなかったとは言え、今までどれほど無神経な言葉で千寿子を傷付けてきただろうか。
 泣きそうな顔で姿を消した千寿子の顔が頭から離れない。
 どうしたら良いのか途方に暮れて豪は視線を彷徨わせた。
 そして、正面から微笑して自分を見つめる和紀と目が合った。
 和紀が声に出さず唇だけで告げる。

昨夜、君が眠る前に僕が言った事を覚えてる?

 豪は1度まばたきをして頷くと、一気に駆け出した。

「兄ちゃんが行った!?」
「姉さんのところだ!」
「和紀。お前は一体どんな魔法を使ったんだ?」
 豪の行動に驚いた皆からの視線を一斉に浴びて、和紀はにっこり微笑んだ。
「ひ・み・つ」
「一発、殴らせろ!」
 怒った生達に追われて、和紀が全速力で逃げる。
「これくらいの役得が無くっちゃ苦労した甲斐が無いんだよ」
 ミーティングルームで追いかけっこを始めた少年達を見て、正規は笑ってこっそり恵にメールを送る。
『私の負けだ。君が正しかったよ』

 豪はエレベーターを待ちきれず階段を駆け上がる。
 千寿子に本当の事を告げる為に。

 昨夜、悩み疲れて眠りかけた自分の耳元で囁かれた和紀の言葉。

(君は考え過ぎなんだよ。考え過ぎるから答えが見つからないんだよ)
(感じるままに、自分の心に正直になってよ。そうすれば誰もが君を信じるよ)
(君の本当の気持ちは誰にだって通じるんだよ)
(もっと自分を信じて。豪)

 千寿子の事を想うとじっとしてられなくなって走り出したのは自分。
 たった一言、どうしても伝えたい言葉が有る。
(嘘を言った俺を怒った智、生、愛、本当にすまない)
(黙って全てを見ていてくれた親父は、多分全て解っていたんだろう)
(迷っていた俺の背中を押してくれた和紀、心から感謝する)

 千寿子の部屋の前に立ち、息を整えて扉を開ける。
 千寿子はベッドにうつ伏せて震えていた。
「入らないで。愛! わたしが馬鹿だって自分が1番解ってるの。慰めの言葉なんか要らないわ!」
 泣き声と共にどこから飛んできたのか、数個のクッションが豪の顔面を直撃する。
 自分だと解っていたら椅子やテーブルが飛んできたかもしれないと豪は思わず笑ってしまった。
「すまない。愛じゃないんだ。ノックくらいすれば良かったんだが、うっかり忘れていた」
「……!」
 豪の声を聞いて千寿子がベッドにうつ伏せたまま固まった。
 豪は投げられたクッションをソファーに置いて千寿子の側に立った。
「少しだけ話して良いか?」
 返事が無いのは了解と捉えて豪が千寿子のベッドの端に腰掛ける。
「さっきは悪かった。その……愛から全てを視せて貰った」
 その言葉を聞いて、なぜ自分が愛と豪の気配を読み違えたのか千寿子は知った。
 愛が超能力の限りを尽くして、今まで自分達が豪に隠していた事を豪に知らせたのだ。
 その超能力の余韻を千寿子は勘違いした。 恥ずかしさで千寿子の顔が一気に赤面する。
「さっき言った話なんだが、正直言って俺は天ノ宮家を継ぐ自信が無い」
 だから婚約破棄をしたいと言い出したの? と、思わず叫びたい気持ちを千寿子はぐっと堪えた。
「だから、後4年待ってくれないか?」
「?」
 豪が何を言おうとしているのか、千寿子には思いつけずに少しだけ顔を上げる。
 頬を染めて真っ直ぐに自分を見つめている豪と目が合ってすぐに枕に顔を埋める。
「大学に行ってもっと勉強する。会社経営の事や法律やAMANOの事も、俺がこれから学ばなければならない事は山ほど有る。俺が大学を卒業するまで待っていて欲しい。11年も待たせたあげくに更に4年も追加して悪いとは思う。だけど今の俺じゃ到底千寿子にはふさわしくないと思う。だから……」
 そこまで言ったところで千寿子が飛び起きた。
「本気なの?」
「嘘でこんな事が言えるほど俺は器用じゃ無い」
 少しだけ困った様な照れくさそうな顔で豪は笑う。
 不器用な豪がこんな嘘がつけるはずは無いと千寿子が1番知っている。
 それでもずっと不安に思い続けて、豪の気持ちが見えなっかった年月が長すぎて千寿子も素直になれない。
 挑むような目で豪の顔の前に小指を突きつけた。
「約束して。4年経ったら今の言葉を絶対に守るって」
 笑って豪も千寿子に小指を差し出して握り返す。
「約束だ」
 どこまでも恋愛に不器用な2人の心が漸く繋がった瞬間だった。

「卒業生全員起立。これで君達は社会人だ。まだまだ学問を続ける者、社会に出て働く者も皆元気で頑張って欲しい。これで式を終える」
 学長の言葉を合図に一斉に歓声が上がる。
 学友達と肩を叩き合い、スーツ姿の豪が大学の講堂を出る。
 講堂前の広場には千寿子と和紀が待っていて手を振っていた。
「豪!」
 千寿子の指には婚約指輪が日光を反射して鮮やかに光っていた。
 豪も2人に気付いて友人達に挨拶をして駈け寄った。
「お前達だけか? 母さんや生の姿も見なかったし、結構皆も薄情だな」
「何を言ってるの。皆、準備で忙しいのよ」
「準備って何のだ?」
「わたし達の結婚式に決まってるでしょう。約束したじゃないの」
「えっ! まさか今からなのか!?」
 焦る豪に千寿子が頬を膨らませて詰め寄る。
「わたしは約束どおりあなたが卒業するまで待ったわよ。今度は豪が約束を守る番。和紀、お願い」
「はいはい。まずは役所まで瞬時にご案内。その後、大岩前で式と別邸の披露宴が有るからさくさく行くよ。今日は一族中のテレポーターが全員フル稼働だよ」
「ちょっと待てーっ!」
「絶対、待てない!」
 慌てて後ずさる豪の首根っこを2人掛かりで押さえ込み、和紀が超能力を奮った。



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