side−B −限界9− 豪 高校3年5月〜


 翌朝、2人はほぼ同時に目を覚ますと、複数の刺す様な視線を感じて飛び起きた。
「わっ!」
 ベッドサイドの窓際には鉄壁の笑顔の恵と、額を押さえた正規と、これ以上はないというくらい怒っている智が立っていた。
 3人は昨日の顛末を可奈女から聞き、全てを見届けようと朝から本邸に来ていたのだった。
 もうとっくに起きているだろうと思って部屋に入り、幸せそうに穏やかな顔で寄り添って眠っている2人を見た瞬間、1人は見ている方が恥ずかしい2人をどうしてやろうかと思い、1人は呆れ果てて物が言えず、1人は立場を利用してちゃっかり抜け駆けした奴を絶対殴ると心に誓っていた。
 豪はこれが昨日、和紀が言っていた「変な誤解」なのだと気付いた。
 自分にとってはざこ寝の延長でしか無いのだが、端から見たらそうは見えないのだと3人の顔色を見て漸く理解した。
 和紀は智の怒りのオーラを感じてマジで殺されると心臓が凍る思いをした。
 何せ自分は春休みに智が豪の部屋に泊まった翌日に、豪を避難させた張本人なのである。
 その自分が豪と抱き合って寝ていたと知れば、智が怒り狂うのは当たり前だった。
 2人は全くの誤解だと言いたかったが、とても聞いて貰えそうもない雰囲気に縮み上がった。
 豪と和紀がいつまでも固まっているので、恵が布団を強引に剥ぐ。
「いつまで寝ぼけているの? 今日は忙しいのよ。今すぐ2人共洗面所に直行!」
 恵が続き部屋を指差すと、豪と和紀はベッドから飛び出してスリッパを履くと洗面所に走って行った。
「おお、本当に走っているぞ」
「一昨日よりずいぶん動きが滑らかになってる」
 正規と智が感心していると、恵は笑って2人を振り返った。
「表情もずいぶん明るくなっているわ。これも全部和紀君のおかげなのよね。さっき見た事は他言無用よ。生が聞いたら切れるでしょうし、千寿子ちゃんが聞いたら絶対泣くわよ」
 鉄壁の笑顔の恵に見据えられて正規と智は「はい」としか答えられなかった。
 正規は生が生まれてからは本当に十数年ぶり、智にとっては初めて、あの豪の完全に安心して甘えきった寝顔を見たのである。
 誰でも心底から安心していられる場所は必要だから、それ自体には不満が有るはずもない。
 問題は、その場所と条件があまりにも悪過ぎるという事だった。

 2人が洗面台から戻って来ると、隣の部屋からモーター音が聞こえてきた。
 飛島が「お騒がせして申し訳ございません」と言いながら2人の遅めの朝食を運んでくる。
 豪と和紀が礼を言って何が有ったのかと聞くと、飛島は静かに笑った。
「これまでも何時お嬢様が戻られても良いように、毎日掃除や花を生けたりしていたのです。大きな音を立てて豪様のお身体に障ってはと思い、昨日までは全て手作業で行っていました。ですが、可奈女様から今日は埃1つ残さないくらい綺麗に磨き込めと言い渡されておりまして。申し訳ないと思ったのですが機械を動かさせて頂きました」
 豪の様態を気にしながら、毎日この部屋を静かに掃除をしていってくれた人達が、千寿子の部屋も掃除をし続けてくれたと知り、豪が微笑する。
 皆が千寿子の帰宅を信じて待っている。その気持ちが嬉しくて、豪は胸が温かくなるのを感じていた。

 朝食を終えるとすぐに豪と和紀は風呂に入らされ、恵が用意した豪の着替えは以前千寿子から貰った服だった。
 1度袖を通して以来あまりに上等なので気が引けて、洗濯してそのまましまっておいた物だった。
 扉の向こうから恵の声が聞こえてくる。
「1年前の物だから多少小さいかもしれないけど、今日は我慢して着なさい。上着は脱いでも良いから」
 恵がこれを選んだ理由はいくら鈍い豪にも理解できた。
 自分が贈った髪飾りを千寿子が持ち、千寿子に贈られたというか、着替えさせられた服を自分が着る。
 それだけでも繋がりが強くなる。
 豪の嬉しそうな顔を見て、和紀も微笑んで自然に手を伸ばした。
「へらへら笑いながら人の頭を撫でるな」
 渋面になった豪に和紀はぺろりと舌を出す。
「ごめんね。まるで子供が大好きなオモチャを貰った様な顔をしてたから」
「誰がそんな顔をしていたんだ?」
「きっぱり、豪」
「お前な!」
 豪の怒鳴り声と和紀の笑い声がバスルームから聞こえてきて、これは無用の心配だったかと正規と智は苦笑した。
 2人が脱衣所から出てくると部屋が綺麗に掃除され片付けられていた。
 待機していた使用人達がすぐに風呂に入って掃除を始める。
 豪が首を傾げると和紀が笑って肩を叩いた。
「どうやらここへ千寿子さんを連れてくるみたいだね。清めを行っているんだよ」
 そう言って部屋を指差していく。
 水が入れられたコップが窓辺に置かれ、塩盛りもされていた。
 榊の枝が天蓋の柱4本に付けられ、ベッドに結界を張る意味で置かれたのだと説明された。

 5人はソファーと椅子に腰掛け、無言でその時を待っていた。
 鈴の音がかすかに聞こえ、時間だと全員が立ち上がる。
 程なく扉が開かれ、可奈女と譲、護人達が白袴姿で現れた。
 4人は入り口付近で一列に並び、正座をして頭を垂れる。
 白袴に身を包んだ愛が平服姿の千寿子を抱きかかえて入ってくる。
 身を清められた千寿子は、一見安らかに眠っている様にしか見えない。
 可奈女の言ったとおり千寿子はその両手に豪から贈られた髪飾りを握りしめていた。
 最後にラフな綿シャツにジーンズ姿の生が榊を右手に持って、足音も立てずに部屋に入ってきた。

 豪は生の姿を見て声を上げそうになった。
 愛よりも長く艶やかな黒髪、膝まで伸びるそれを無造作に流し、微笑を浮かべて生は豪の正面に立った。
『榊を受け取りし若者よ、結界の中に入れ』
 生の動作をつぶさに見ていた豪が怒りの声を上げた。
「お前は一体誰だ? 生の身体を返せ!」
 その場に居た全員が想像もしない展開に固まった。
 今この状態、展開で豪の口から出た場違いな言葉に息を飲む。
 しかし、生は身体はくの字に曲がり、震え、遂には腹を抱えて大爆笑をした。
『面白い。どこまでも面白いぞ。お前達兄弟は』
「何だと!?」
 豪が声を荒げると、森の意志は笑いながら落ち着けと手を振った。
『鈍いお前に解り易く言うと、我らはこの森の主だ。御子が我らをそう呼ぶから、兄のお前もそう呼ぶが良かろう』
「何のつもりか知らないが、俺は生の身体を返せと言っているんだ!」
 怒って豪が怒鳴りつけると周囲に居た全員が震え上がる。
 超能力を与えてくれている森の意志を相手に、礼をつくすどころかこの暴言の数々。
 どんな事が起こるのかと誰もが不安になった。
 森の意識は生の身を心配して真剣に怒っている豪を、興味深い物を見るような目で見ると微笑んだ。
『そう言うのではないかと御子があまりに心配するので、本人に一筆書かせた。これを読め』
 森の意志は生の胸ポケットから1枚の紙を出して豪に手渡した。

 やっほー、兄ちゃん。
 大分元気になったって聞いてちょっと安心してる。
 兄ちゃんを治した後、主に呼ばれてすぐに出掛けなきゃいけなかったから心配だったんだ。
 手紙だと面倒だから詳しい話は省くけど、千寿姉ちゃんを起こすのにどうしても必要だって主がうるさいから、ちょっとだけ身体を貸す事になった。
 兄ちゃんとは直接話せないから俺の身体を使うんだってさ。
 威張ってるし、サボリ魔だけど力だけは有るから今だけ我慢する事にした。
 さっさと俺も身体の主導権を取り返したいから、兄ちゃんは早く千寿姉ちゃんを起こしてあげて。
 でないとコイツは俺の身体から出て行かないから、くれぐれも宜しく頼むな。
 生
 追伸、腹減ってるから早く家に帰って母ちゃんの作ったご飯が食べたいぞ。

 豪は明らかに生のものと知れる字を見て、これが事実だと納得した。
 視線を動かして背後で平伏している恵の前に手紙を置いた。
 恵は手元に置かれた手紙を読んで、思わず噴き出す。平伏したままだが、全身が震えているので本気で笑っているのだと一目で判る。
 森の意志は苦笑する豪と笑い続ける恵を交互に見比べて笑みを浮かべた。
『なるほど。蛙の子は蛙とは良く言ったものだな。納得がいったら結界の中に入って貰えぬか? お前達の言動があまりに常識から外れておるので皆が固まってしまったではないか』
「分かった。でも、生の身体を兄の俺に何の断りも無く使ったお前も充分非常識だと俺は思うぞ」
 豪が踵を返して靴を脱いでベッドに上がる。
 森の意志は耐えきれないと再び大声で笑った。
『本当に面白い兄弟だ。若者よ、中央に座れ。巫女の弟よ、巫女を若者に預けろ』
 愛は一体どうなる事かと心配していたがほっとして、ベッドの上であぐらを組む豪に千寿子の身体を預けた。
 聞いていたよりずっと元気な豪の様子を見て、愛は笑みを浮かべる。
 周囲からも漸くかと安堵の溜息が漏れた。
 豪は自分の膝の上に千寿子を乗せて抱きかかえた。
 抱き上げた千寿子が別れた時と何も変わっていない事に心底から安堵する。
 ずっと意識が無かったにも拘わらず、薄いバラ色の頬をした千寿子の顔は、呼びかければすぐに目を覚ますのでは無いかと思うほど安からだった。

『結界を張る』
 森の意志が榊の枝を振った瞬間、ベッドの周囲に結界が張られた事が全員に解った。
「どうすれば良いんだ?」
 どうすれば千寿子を目覚めさせられるのか。
 森の主と名乗るモノがここに直接現れたという事は、当然その方法を自分に伝える為に来たのだろうと豪は思った。
『そんな事は自分で考えろ』
 あっさり言われて豪が思わず大声を上げた。
「なんだって!? だったらどうしてわざわざここまで来たんだ? 生の言うとおり、本当にサボリ魔なのか」
『御子もたいがい失礼な奴だな。我らはお前達に力を貸しているだけに過ぎぬ。人の心は脆くはかない。我らが直接巫女に干渉する訳にはいかぬのだ。巫女の心が逆に壊れてしまうのだから』
 むっとして豪が森の意志を睨み付ける。
『先に言っておくぞ。若者よ、機会は1度だけだ。その1度の機会を逃せば巫女は2度と目覚めぬ。心して言葉を選べ。扉を開く鍵はお前の発する言葉1つだけなのだから。間違った鍵を強引に差し込めば巫女の心は壊れるぞ』
 これには豪を除くその場に居た全員が驚愕した。
 たしかに生が豪の声が千寿子を目覚めさせる鍵となると言い、これまでいくら皆が呼びかけても千寿子が目覚める事が無かった。
 しかし、その機会がたった1度だけとはあまりにも厳し過ぎる。
 豪が言葉を誤れば千寿子は一生目覚めないという事なのだ。
 本当に大丈夫なのだろうかと皆は一様に不安を隠せなかった。
 しかし、このただ1度のチャンスに掛けるしか無いだ。
 皆は森の意志からこれほど厳しい条件を出されても、笑みを浮かべている豪を信じてひたすら成功を祈った。

『若者よ、鍵を』
 森の意志に促され、豪はゆっくり千寿子を抱き直し、耳元に唇を寄せた。
 髪飾りを握りしめている両手をもう一方の手で優しく包み込む。
 ファイルには全て目を通した。
 千寿子がファイルに残さなかった事は、意識を取り戻した時に和紀から聞いている。
 あれが全てだとしたら自分が千寿子に言うべき言葉は1つだけだ。
 豪の心に迷いは全く無かった。
 どんどん高まる意識と自信に自然と笑みが浮かぶ。
 皆が固唾を呑んで見守る中、豪は微笑んで囁いた。

「『ただいま』千寿子」

 豪の言葉と共に千寿子の全身が小さく震え、ずっと閉じられたままだった目が開かれる。
 目に映る元気な豪の笑顔を見て、ああ、と安堵の息を漏らす。
 瞳にかすかに涙と笑みを浮かべて、その唇が呟く様に言葉を紡ぎ出す。
「おかえりなさい。豪」
 そう言って豪の首に両手を回し、豪も笑顔で千寿子を抱き返した。
 その場に居た全員が一斉に歓声を上げて、千寿子の帰還と豪の成功を祝う。
「やったーい。兄ちゃん! 俺、兄ちゃんなら絶対やれるって信じてた」
 森の意志から身体の主導権を取り返した生が、豪と千寿子に飛び付いた。
「お、おい。生」
 千寿子と生の2人分の体重と勢いに圧され、まだ体力が戻りきっていない豪はバランスを崩してベッドに倒れ込んだ。
 和紀が便乗してベッドに駈け寄って登ると「豪、良くやったよ」と言いながら枕を思いっきり豪にぶつけた。
「うわっ。和紀、お前まで」
 昨日のお返しだといわんばかりに和紀は舌を出す。
「じゃあ僕も今まで心配させられた分」
 そう言って愛も走り込んでベッドに上がり、枕を豪の顔に投げつけた。
「ちょと待て!」
「俺も散々苦労させられたんだからやるぞ!」
 落ちた枕を拾った智がベッドに飛び上がり、勢い良く枕を2つ共豪の顔面に押し込んだ。
「皆、いい加減にしろ。俺はともかく千寿子にぶつかるだろう!」
 豪が大声を上げた瞬間、それは起こった。
 メキリッと嫌な音を立ててベッドの上に居た全員の姿が、風圧でめくり上がった天蓋のカーテンの中に消えた。
 6人もの人間が上がって飛び回った事と、怒った豪がうっかり超能力を使ってしまった為、頑丈なはずのベッドの真ん中が見事に抜け落ちてしまったのだ。
 しばらくの間6人は呆然としていたが、千寿子が声を上げて笑い出すと全員がつられて笑いだした。

『面白いものを見させて貰った。また会おう。御子よ』
 大地の意志が生に告げると、生が怒鳴り声を上げた。
「2度と来るな! この疫病神」
 生の台詞を聞いて、千寿子と愛が同時に「世話になった相手に言う言葉!?」と、生の頭を叩いた。
「んな事言ったって俺はあいつに貸しは有っても借りなんか無いって」
 まだ言うかと千寿子が枕を生の顔をめがけて投げつけた。
 生がそれを避けてカーテンの外に逃げ出して行く。
 愛が枕を持って生を追い掛けると、全員がベッドの底から飛び出した。
 枕が2つしかないのでソファーに置かれていたクッションも加えて全員が枕投げを再開した。
 笑顔で走り回る6人を見て、護人達はこれまでの緊張の糸が一瞬で切れたのだから仕方がないと笑い、可奈女と譲は初めて見る娘と息子の本当に子供らしい姿を見て唖然とする。
 正規はこのベッドはやはりうちが弁償するのだろうかと苦笑し、これは一体どういう事と言いたげな視線を可奈女から向けられた恵は、「これがうちの教育方針」といわんばかりににっこりと微笑んだ。
 6人は生が「腹減った!」と叫ぶまで枕投げを続けた。

 目覚めた千寿子はよほど森の意志が大切に守り続けてきたのか、ずっと眠っていたにも拘わらず、豪よりもはるかに元気で飛島達に笑顔と拍手で迎えられた。
 護人達は豪に一言礼を言うとその場から消え、可奈女と譲は千寿子を目覚めさせた豪に、感謝の言葉を何度も言った。
 天野家の一団はそのまま家に帰ってご飯を食べようとしたが、豪が「忘れ物」と言って踵を返し、千寿子に駈け寄った。
 豪が名前を呼びながら追い掛けて来るので、千寿子が何事かと立ち止まって豪を見上げ、皆も豪が千寿子に何をするのかと期待も込めて見守った。
「千寿子、言い忘れた事が有る」
「な、何?」
 息をきらす豪の真剣な目に、千寿子は赤面して口ごもる。
「辛い思いをさせて本当にすまなかった!」
 そう言って頭を深く下げた豪の手に、千寿子が微笑んでそっと手を伸ばす。
「わたしも……」と言いかけた千寿子の肩を掴んで、豪は一気にまくし立てた。
「だがな。俺は馬鹿だし、無鉄砲だし、本当にどうしようもないくらい無知なんだぞ。上司の千寿子が止めてくれなければ暴走するに決まってるだろう。今度、俺が馬鹿な事を言ったら、遠慮せずにその場で殴れ!」

 一瞬の沈黙の後。
 その言葉どおり、千寿子はその場で豪に見事な平手打ちを往復でお見舞いした。
 少しでも期待した自分が馬鹿なのだろうが、こればかりは我慢ができないと思ったのだ。
 それを見ていた全員が「駄目だ。あれ(豪)は」と腹を抱えて一斉に笑い出した。
 豪はやはりよほど千寿子を怒らせていたのだと思い何度も謝り、千寿子は顔を真っ赤にして肩で息をしながらひたすら無言でとおした。
 口を開けば何を言い出すか判らないというのが、千寿子の理性の最後の一線だった。
 このままではらちが明かないと思った恵が愛達に命じ、頭を下げ続ける豪を強引に引っ張って全員で帰宅した。
 残された千寿子は両親の何と言って良いのか判らないという視線を受けてばつが悪くなり、赤面しながら顔を背けると「心配を掛けて本当にごめんなさい」とだけ言った。
 ボケるところもツッコミを入れる場所もそこでは無いだろうと両親は思ったが、恋愛に関してはどこまでも不器用な娘を笑って交互に抱きしめた。

 和紀のリハビリ指導を受けながら智の丁寧な補習を受け、心身共にほぼ全快した豪と、髪をバッサリ元のスタイルに切った生達は、元気に学校へ復学した。
 初めて2週間も学校を休んだ事でクラスメイト達から盛大な歓迎と質問攻めを受け、教師連からも補習と大量の宿題の歓迎を受けたが、笑って皆でそれをやり過ごした。

 宿題と補習を無事に終えた日曜日。
 皆がのんびりリビングでくつろいでいると千寿子が遊びにやって来た。
 恵の手作りの菓子を頬張り皆で談笑していると、和紀がポケットに入れていた小さく畳まれた手紙を千寿子にこっそり手渡した。
『もう必要無いよね』
『そうね。ごめんなさい。そして、ありがとう』
 2人がテレパシーで会話し、意味深な笑みを浮かべると、智が「そう言えば」と思い出したように言った。
「パターンXXには記載され無かった和紀への指示はあの手紙だったんだろう。あれには何が書いてあったんだ?」
 1度は忘れる事にしたとは言え、和紀の腕の中で安心しきって眠っている豪の姿は智にとってかなりショックだった。
 恵に口止めされているので皆には黙っているが、やはり気になって仕方が無い。
 赤面した千寿子は「豪をお願いって書いたのよ」と口早に言って紅茶を口に含んだ。
 自分だけ逃げる気だなと思った和紀は、ここはやはり本人に恨み返しどころだと思って正直に話した。
「あの状況で「豪から絶対離れないで」だったんだよ」
 千寿子がそこまで自分の事を心配してくれたのだと知り、豪は一生懸命世話をしてくれた和紀と、それを指示に残してくれた千寿子にも感謝した。
「今だから言えるけど、最悪あれが千寿子さんの最後の言葉になったら僕が一生、豪の面倒を見るのかなって真剣に悩んだんだよ」
 和紀の爆弾宣言を聞いて豪以外の全員が固まる。
「一生面倒?」と生。
「思いだした。豪の困った癖って何?」と愛。
「それであれなのか?」と智。
「何が有ったの?」
 千寿子は皆から怒りの思念を感じて、自分が意識が無い間に豪と和紀の間に何が有ったのか心配になってきた。
「だから、あのまま豪とずっと……」
 そこまで言い掛けて和紀は珍しく渋面を作り、目を閉じて何かを考え込みだす。

(何でそこで黙っちゃうんだよ?)
(なぜ思考をブロックガードする?)
(まさかあれ以上の事が?)
(この沈黙は何なの?)

 皆の視線を受けながら和紀が頭を振って立ち上がった。
「やっぱり無理。限界。想像できない。本当に千寿子さんが目覚めてくれて良かったよ。豪にも皆にも本気で感謝しているよ」
 それだけ言うと和紀は早々に2階に逃げ出した。
 一体、お前は何を想像しようとしていたのか?
 と4人は同時にツッコミを入れたくなったが、何も解っていない豪が「口調は軽いけど、和紀は真面目だからな」と笑って言うので、誰も和紀を問い詰める事はもちろん、天然の豪に聞く事など怖くて到底できなかった。

つづく



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