side−B −限界7− 豪 高校3年5月〜


 昨夜は豪のために夕食を諦め、羽交い締めに近い状態で満足な睡眠も取られなかったにも関わらず、予想通り今朝も豪の叫び声で目覚めさせられた和紀は少々機嫌が悪かった。
 豪の意識が無かった入院中は恵と2人掛かりで着替えはおろか、身体を拭いたり、それこそ下の世話までしてきたのだ。
 それくらいちょっと考えれば気が付いても良いだろうに、意識が戻ればこの態度である。
 感謝をして欲しいとは思っていないが、もう少し素直になって大人しく世話をされて欲しいと和紀は思った。
 日頃は素直で可愛いのに、意識を取り戻してからの豪は無意識に遠慮や照れ隠しでもしているのか、正直言ってあまりどころかかなり可愛くない。
 少しくらいいじめてやろうかと思っても罪は無い。
 昨日より少しだけましな朝食を食べさせると、「これから身体を動かす朝に入った方が良いから」と言って、豪が抗議する隙も与えず、素早く風呂に入れた。
 下着とパジャマを着せて、濡れた髪と肌を傷めないよう丁寧に拭いていく。
 豪は和紀の態度に昨日までとは違うものを感じていたが、それが何かとは思い付けなかった。
 食事の内容はリハビリメニュー通りの柔らかくスプーンとフォークだけで食べられる物だったし、入浴時の運動も指示通り行った。
 頭や身体を洗う時も丁寧に扱われたし、まだ思うように動かない指先にもどかしさを感じていると、着替えも全部和紀がやってくれた。
 風呂への移動は行きは自力で歩いて、帰りはベッドへ和紀に運ばれた。
 皮膚に刺激を与えない低温でのブローが終わると、和紀はスポーツドリンクを豪に差し出す。
 これも昨日と同じだ。
 困惑を顔に出し、しきりに首を傾げる豪を和紀は背後から微笑して視ていた。

 豪がソファーに座って正規から渡されたファイルのページをめくるのに苦労していた頃、和紀は本邸の地下から豪の学生鞄を持って上がってくる智の姿を視た。
 昨日、不本意だがこれも豪の為と思い、かなりきつい事を言ってしまったので智の表情は暗い。
 顔を会わせ辛いだろうに、律儀に約束を守って豪の勉強を見ようというのだから、和紀にしてみればここはお人好しで大事な幼なじみの為にも一肌脱ごうという気持ちになる。
 どうせ遊ぶのなら大勢で(を)やった(巻き込んだ)方が面白いというのが本音であるが、頃合いを見て豪に声を掛ける。
「ねえ、豪の服の趣味って凄く悪いと思うんだけど」
「あ?」
 豪はいきなり何を言い出すのかと、隣でノートパソコンを操作していた和紀を見返す。
「ここに置いて有る豪の服は全部千寿子さんが手配した一流ブランド物ばかりだよね。下着は趣味の良い男性に頼んで選んで貰ったと思うんだ」
 できればあまり触れて欲しくない話なんだがと思いつつ豪も相づちを打つ。
「こっちに有る服を見ていたら、豪が普段天野家で身に付けている物って酷いなぁと思ったんだよ」
「酷いってどこがだ?」
「まずパンツ。豪っていつも青のストライプとかチェックとか、オヤジ柄のトランクスだよね」
「普通だろう」
「今時そんなの流行らないよ。もっと下着からお洒落しようとか思わない?」
 服は丈夫で清潔で安く機能的なら何でも良いという考えの豪には、和紀の言う事が全く理解できない。
「じゃあ、お前が今履いているダークグレーのニットトランクスやボクサーブリーフがお洒落だって言うのか? あれは風通しが悪いと思うぞ」
「そうでも無いよ。豪って体育のある日は白ブリーフを履いてるよね。これもオヤジ趣味だよ」
「短パンの下にトランクスは履けないだろう」
 何を当たり前の事を言い出すのかと豪は呆れる。
「絶対趣味悪過ぎ。うちの体操着で白なんて凄く目立つんだよ。もう少し気を使ったら」
「普通にしていれば見えないだろう」
「走ったり、飛んだり、体操座りしたら見ちゃうんだよ。知らなかったの?」
「授業中は周囲は男しか居ないんだから構わないだろう」
「その調子で体育祭の時もスポーツ大会の時も女子の前で平気で座ってたよね。周りが迷惑するんだよ」
「お前が履いてるやつだってモロに線や形が判るじゃないか」
「外から見えにくいし、ビキニを履かない分まだましだよ」
「そんな物まで履くのか。お前は」
「だからそれは履かないって言ってるってば」

 智がノックをして扉を開けた時、和紀と豪が真剣に口論しているのでうっかり声を掛けそびれたのだが、聞こえてくる内容のあまりの低レベルに額を押さえた。
 どんな顔をして豪と顔を会わせれば良いのか、昨夜からずっと悩み続けていた自分が馬鹿らしくなってくる。
 和紀が(本当は始めから解っていたのだが)智に気付いて声を掛ける。
「智、体育の時に白ブリーフって最低だよね」
「それは普通だよな。智は普段どんなパンツを履いているんだ?」
「はぁ?」
 突然、自分に話を振られて智が困惑する。どうしてこんな話になったのか経緯が全く判らない。
 自分が部屋に入った時にはすでに「白ブリーフは周囲の迷惑」という話になっていたのだ。
「俺は普段は普通の綿トランクスで体育の有る日だけブリーフ派なんだ」
「僕は身体にフィットしたニット系。皺や線が外に出ないからこっちの方が良いんだよ」
「智は?」
 2人から同時に聞かれ、うっかりつられて答えそうになって智は口をつぐむ。
「俺がどんな下着を着ていようが構わないだろう。なぜそんな話になったんだ?」
 狙い通りと和紀が智をソファーに腰掛けさせると一気にまくし立てた。
「豪が普段着ている服の趣味が悪いって話だったんだよ。特に下着。豪って数は有るくせにいつもブルーとかグリーンのチェックやストライプのトランクスしか履かないんだよ。たまに違うのを履くと思えば白ブリーフ。はっきり言って若さが無いと思わない?」
 事と次第は解ったが、智はその手の話に加わりたくないと力無く笑う。
「趣味は人それぞれだし、人に迷惑が掛からなければ良いんじゃないか?」
「だから短パン下の白ブリーフは世間の迷惑だって言ってるの」
「超ビキニを履く方が周囲の迷惑だ」
 どうやら和紀は体育時に白ブリーフでは女子にも下着が丸見えになると言いたいらしく、豪は着替え中に見たくもないものを見せられるのが嫌だと言いたいらしい。
 どちらの言い分にも一理有るような気もするが、智はこのままずるずると馬鹿な会話に巻き込まれたくはないというのが本音だった。

「だいたい豪って手抜きし過ぎ。ついこの前も近くのスーパーで2枚480円の特売パンツを買ってたよね。あれじゃ趣味が悪くなるのも当然だよ」
「安かったんだから良いだろう。……って、今気付いたが、何で和紀は俺が家で履いていたり買ったパンツを知っているんだ?」
 智も豪と同じ疑問を持ったので和紀の顔を見る。
 全員の洗濯物はよほど汚れが酷い物以外は、全部纏めて2階の洗濯機に直接放り込んでいる。恵が洗って干して仕分けした後、各個人の部屋に返される。
 豪と生はともかくサイズの似ている和紀と智と愛の服を間違えずに仕分けできるのは、ひとえに恵の観察力と洞察力の賜物だった。
「豪の行動は大体チェックしてるから」
 にっこり笑って答える和紀に豪も智も目を丸くする。
「大体?」
「豪をチェックしている?」
 2人の疑問に当然の事だと和紀が答える。
「だって、豪って色々な意味で凄く危なっかしいよね。どこで何をやるか判らないから、暇を持て余した時はよく視ているよ」
 と言って、和紀は透視、遠視能力を持つ自分の瞳を指差す。
 俺のプライバシーは? と豪は聞きたくなったが、自分の周囲はランダム予知能力者だの最強テレパシストだのと特殊能力者が集まっているので、どう言って良いのか判らない。
 智もこれはすでに○○○○○じゃ無いのか? と思ったが口にするのも嫌なので黙り込んだ。
 そんな2人の気持ちが判っているのかいないのか、和紀がポンと手を打って豪を見た。
「そうそう。ついでだからこの際全部まとめて言っちゃおうか。豪って髪を洗う時に爪を立てるよね。あれって、地肌も髪も傷めるから止めた方が良いよ。僕が今やってるのを覚えて自分で洗えるようになったら気を付けてね」
「ちょっと待て」
 慌てて和紀の口を塞ごうとしたが、今の豪の力や遅い動きでは到底歯が立たない。
「Hビデオを観て気絶した事を智に散々馬鹿にされた後、本屋でそれ系の雑誌コーナーを1時間もうろうろしたあげく、結局買えなくて店を出て、店員さんに万引きに間違えられそうになったのもかなり恥ずかしいと思うよ。それからパジャマに着替える時、よく釦を掛け違えいるのに気付いても面倒くさいからとそのまま寝るのはどうかと思う。時々2つもずれているからね。寝相が良いから寝冷えはしないみたいだけど、君の部屋は時々合宿所になるんだから、あれを他の皆に見られたら絶対笑われるよ」
「一体お前は俺のどこまでを視ているんだ!?」
 真っ赤になって問い質す豪を見て和紀は「他にも色々有るけど」とのんびりした口調になる。
「豪の左内股の付け根近くに2つほくろが並んでるよね。皮膚が再生された時に無くなっちゃったかなって残念に思っていたんだけど、ちゃんと残ってたから安心したよ。あれって結構色っぽいよね」

 これにはさすがに我関知せずを決め込んでいた智も、飲んでいた紅茶を思いっきり噴き出した。
 豪はあまりの事にショックで口が利け無くなったが、にこにこ笑っている和紀の顔を見ていたら怒りがこみ上げてくる。
 どう反撃しようかと思って顔を見渡すと、動揺してハンカチで顔とテーブルを拭いていた智と目が合った。
「智、頼む。和紀を思いっきり殴ってくれ」
「えっ?」
「俺は身体が思うように動かせないから、代わりにこの馬鹿を殴ってくれと頼んでいるんだ。プライバシーの侵害もここまできたら洒落にならん!
 真っ赤な顔で真剣に訴える豪に気持ちは同じだと智は思い、深呼吸をして和紀に向き直る。
「和紀、お前がやっている事はすでにストーカーだ。普通、そんなところまで視るか」
 智の指摘に和紀は心外だという顔をしてみせる。
「えーっ。僕はただ豪は今何をしているのかなって思って視たら、たまたま買い物中だったり、着替え中だったり、お風呂に入ってたりしていただけだよ。1度トイレで……」
 そこまで言い掛けてさすがに和紀も手で覆う。
 豪は絶対に誰にも知られたくなかった姿を視られたと半泣き状態になり、智も我慢の限界だと立ち上がった。
「追加でセクハラだ。同性にセクハラと言う表現を使うのが適切かどうかは知らないが、あきらかにお前はやり過ぎだ!」
 そう言って持ってきた豪の鞄を思いっきり和紀の頭にめがけて振り下ろした。

バゴッ!
 という鈍い音がしたと同時に恵が部屋に入ってきた。
「和紀君。今朝、頼まれていた物を持ってきたわ。……どうかしたの?」
 恵は珍しい光景を見たと扉の側でしばし足を止めた。
 あの智が感情を丸出しにして、顔を真っ赤に染めて怒って暴力をふるっており、その相手がいつもバラバラになりがちな皆を上手くまとめる和紀で、豪はと言うとソファーの角にしがみついて泣いている。
 何が有ったのか細かい所までは判らないが、昨夜はとても落ち込んでいた智が元気になっていて、おそらくそれは豪の為で、ほとんど自力で動けなかった豪は、自分で姿勢を変えられるくらいに回復が進んでいる。
 よほど知られたく内容らしく誰も何も言わないが、和紀が何かをやったのに違いない。
 恵は扉を閉めると智の隣に座って微笑んだ。
「豪、1日来なかっただけでずいぶん動けるようになったわね。智君も元気になって良かったわ」
 その言葉で豪は智が自分と喧嘩をした為に落ち込んでいたと知り、智に向かって手を伸ばした。
 また仲直りしようという合図である。智もそれを察して豪の手を握り返した。
 鈍い豪はまだ解っていないようだが、自分が豪と素直に仲直りできるように、和紀がわざとあんなとんでもない事を言いだしたのだと智は気付いた。
 もっとも豪の反応を見れば、和紀の言っている事は全部真実だという事はたしかだ。
 豪のプライバシーをほぼ全て把握している和紀には業腹だが、豪が和紀のターゲットでいる限り世間様には迷惑を掛けていない訳で、能力上、和紀が自分でばらさなければ誰にも判らないのが唯一の救いだ。
 一族から犯罪者を出す訳にはいかないし、和紀の超能力が自分に向けられるのだけは絶対に御免なので、この際、当分は豪に犠牲になってもらおうと智は思った。
 テレポーターでもある和紀がその気になれば、いくらでもタチの悪い犯罪が起こせるのだと智は再認識した。

 恵が雰囲気を和らげようと、全員にお茶と持ってきた手作りの菓子をふるまい、バッグから通販カタログやファッション雑誌を取り出した。
「母さん?」
 先程の事が有ったので、豪が警戒して上目使いで恵の顔を見る。
「和紀君がね「豪のファッションセンスは最悪だから、これを機会にお洒落にしてあげたい」ってメールを送ってきてくれたの。わたしは今時の男の子の事はよく判らないけどたしかに豪のセンスは悪いわ。和紀君が見立ててくれるなら安心だって思ったの」
 さっそく和紀は通販カタログを手に取り、特に下着コーナーを念入りにチェックし、メモを取っていく。
「今までは何も言わなかったじゃないか」
 豪が不満顔で言うと恵はにこにこと笑って答えた。
「だって今まではあなた達2人だけだったでしょ。でも1年以上も智君達と暮らしてみて、皆が自分に似合う服を選んでいるのを見たら、寂しくなっちゃったのよ。娘が居たら一緒にショッピングに行く楽しみが有ったでしょうけど、あなた達任せにし過ぎて、生はともかく豪をセンスゼロにしちゃったのは失敗だったわ」
 豪が何も言い返せずにいると、和紀がファッション雑誌のページを智と恵に見せる。
「ほら、こういうカジュアルですっきりしたデザイン。豪は体格が良いから絶対似合うよ」
 智も「ああ」と声を上げて頷いた。
「たしかに豪は上背と肩幅はあるが、腰が細いからこういう肩で着る服が似合うかもしれないな」
「豪はTシャツとスウェットばかり着ているものね。たまにはこういう服も着て欲しいわ」
 と恵も頷く。
「下着はこのブランドが似合うと思うんだけど、豪はどう思う? 下着メーカーブランドだから高く無いよ」
 カタログを見せられた豪は和紀を睨み付けた。
「俺はお前の着せ替え人形じゃ無いぞ。自分が着る物くらい自分で決める」
 ずっと覗き行為をされていた事を怒っている豪は、カタログを突っぱねて和紀に返す。
「あ、そういう事を言うの。今、誰が君の着替え全般を受け持っているのかな?」
 細かい事や力が要る動作のほとんどを和紀にやって貰っているのは事実なので、豪はむっと頬を膨らませた。
 反論したいができない現状に憤り、テーブルに置かれたカロリーの高そうな菓子に目を落とす。
「早く体力を付けて和紀の世話にはならないようにする。病人食ばかりで力が付くか!」
 豪が恵が作ってきた自分向けのプリンには目もくれず、和紀のケーキや堅焼きクッキーに手を伸ばして一気に頬張るので和紀が思わず声を上げる。
「豪、まだ無理だよ!」
「お粥や栄養ゼリーやスポーツドリンクばかりじゃいつまで経っても治らないだろう」
 まだ手付かずの智の皿にも手を伸ばし全部を食べきった。
 普段は甘い物をあまり口にしない豪がケーキを一気食いしていると、恵と智が滅多に見られない光景に目を丸くする。

 5分も経たない内に豪の顔色が真っ青に変わり、口を押さえてトイレに駆け込んだ。何度も聞こえる激しい水音からして先程食べた物を全て吐いているのだ。
「今、たしかに全力疾走して行ったわよね」
 恵は冷静に豪の動きを観察していた。
「ドアノブを回してドアを開けるのも一瞬だった」
 智が驚いて小さく呟いた。
 恵と智がまさかと思い振り返ると、和紀はにっこり微笑んでいた。
 和紀は立ち上がると洗面台に行って、1枚は濡らしたものと乾いたタオル2枚、コップ、バケツ、水入りのピッチャーと洗面器を取ってきた。
 ふらふらになってトイレから出てきた豪を支えると、濡れタオルで顔を拭ってやり、冷たい水の入ったコップを差し出す。
 豪が何度もうがいをしてバケツに吐き出すと、乾いたタオルで顔を丁寧に拭いてやる。
 そのまま和紀は豪をベッドにテレポートさせて寝かせると、洗面器に水を入れ、タオルを絞って豪の頭に乗せた。
 豪が吐いたバケツの水はトイレに流し、洗面台で綺麗に洗った。コップとピッチャーは簡易キッチンの流しに入れ、汚れたタオルは軽く洗ってバスケットに放り込む。
 恵と智が和紀の手際の良い動作を見て感歎の声を上げると、片付けを終えた和紀はソファーに腰掛けた。
「朝風呂に入れて筋肉をかなりほぐしておいたから早く動けたね。痛みで動くのを無意識にセーブしている時も有ったけど、本気になれば本当はあのくらいは動けるんだよ。もちろん、1日中動き回るなんてまだ無理だし、胃は……ちょっと無理し過ぎたから、今日は休ませた方が良さそうだね」
 全部計画的だったと暗に告げられ恵と智は苦笑する。
 和紀は恵にカタログから抜粋したメモを渡して下着を注文してくれるように頼み、服は豪が動けるようになったら買い物に連れて行くと約束した。
 智にはせっかく時間を割いて来てくれたのに、勉強が全くできなかった事を素直に詫びた。
 恵は笑って豪が2日前からは考えられないほど元気になっているから安心したと言い、智も今日見た事は正規に報告をいれておくと言って、2人共安心した顔で帰って行った。
 豪は気分は最悪だが、和紀達の会話の一部始終を聞いて、とんでも無く行きすぎた発言だらけだったが、全て自分の為を思っての事だったと知り、和紀には借りを作りっぱなしだなと反省した。
 豪が苦しそうに息を吐くと、和紀がベッドの端に腰を掛けて、再びタオルを冷たい水で絞り、豪の額に乗せると優しく髪を撫でた。
「ごめんね、豪。吐くのは凄く体力が要るから辛かったよね。くどくて重いボリュームの有るケーキだったから沢山食べれば今の君の胃に負担が掛かるのは判っていたんだ。途中で強引にでも止めれば良かったよ」
「和紀が止めたのに俺が意地を張って食べたのが悪かったんだ。和紀は悪くない」
 それだけ言うと豪は「たしかに疲れたな」と目を閉じた。
 豪の夕食は恵手作りのプリンとスポーツドリンクだけに留め、豪は汗をかいたパジャマを着替えさせて貰ってベッドに横になった。
 和紀は昨日の分も纏めてカルテを書き込むと、自分は簡易キッチンで夕食を摂って風呂に入り、豪が眠っているのを確認してベッドに入った。

 その夜、和紀は背中に当たるものを感じて目を覚ました。
 豪が背中にしがみついているのだと判り、振り返って腕を広げると豪は和紀の胸に顔を埋める。
 朝、あの状態になっている過程をリアルタイムで見て和紀は切ない笑みを浮かべた。
 豪の頬が涙で濡れている事に気付いたからだ。
 意識が有る間は意地を張り、ハードなリハビリにも文句や泣き言1つ言わず、痛みを堪えて頑張っている。
 豪は一切何も言わないが、身体は治ったとは言え、生き埋めになって重傷を負った精神的なショックから完全に立ち直っているとは限らない。
 皆に心配と世話を掛け続け、何より千寿子が未だに意識を取り戻さずにいる事で、自分をずっと責め続けている。
 原因の全てが自分1人に有ると豪は今でも思っているからだ。
 豪は眠る事によって漸く不安や辛い気持ちを素直に表に出せている。
 和紀は千寿子が目覚めるまでは、今度こそ絶対に自分が豪を守ろうと決めている。
 豪が自分からは素直になれないというのなら、自分が豪が素直になれるような環境を作れば良い。
 その為には絶対の信用と信頼を豪から得なければならないと思った。
 和紀は豪を優しく抱きしめると眠りに付いた。

(千寿子さん、豪が君を想って毎晩泣いているよ。早く起きてあげてね)

 和紀の願いは豪の涙と共に、森と生と愛に切なさを残して千寿子に届けられた。



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