side−B −限界6− 豪 高校3年5月〜


   ことわり
=地の理=

『御子よ、どうした?』
かすかだけど兄ちゃんの泣き声が聞こえる。
俺、兄ちゃんが声を出して泣く姿なんて、今まで1度も見た事無かったんだ。
『御子の口から出るのは、兄の事ばかりだな』
 苦笑する気配に生はむっとして顔をしかめる。
お前ってそーとー鈍い奴だな。
兄ちゃんが意識を取り戻した。
それが千寿姉ちゃんが目覚める鍵になる。
今はまだ千寿姉ちゃんの心は傷だらけで何も感じないし聞こえない。
けど、兄ちゃんの声が千寿姉ちゃんの心に届きさえすれば、千寿姉ちゃんは絶対目を覚ます。
『ならば待とう』
待つーぅ? てめーもサボらずにもっと働いて力貸せ。
『長い年月を人と共に歩んで来たが、我らにそのような口を叩くのは御子ぐらいのものだ』
当然だろ。俺、すっげー怒ってるんだからな。
兄ちゃんの事も、千寿姉ちゃんの事も、皆の事も。
『仕方無かろう。我らとて理の中で生きるモノなのだ』
んな事は解ってる。
大地と人を繋ぐ次世代を産む巫女を失いたくないなら本気だせよな。
こっちはメシも食わずに不眠不休で働いてんだぞ。
腹は滅茶苦茶減ってるし、弁当代と残業手当と深夜超過勤務手当分くらいは出せって言ってんだ。
 こらえきれなくなって森の意志は笑う。
『できる限りの事はしよう。御子よ』

 和紀は心地良い感触と温もり、それと腕のしびれと痛みを覚えて目を覚ました。
 3日間の徹夜と心労は、自分が思っていたよりもかなりの負担を掛けていたらしく、和紀は自分がどうやって寝たのか全く覚えていなかった。
 ゆっくりと目を開け、視線を動かしてあるものを見つけた時、和紀は完全に覚醒した。
 豪が和紀の腕を枕にして眠っていて、その両手は和紀の服を掴んでいた。
 どうやらあのまま泣き疲れた豪を抱えて眠ってしまったらしい。靴をスリッパに履き替えていたのは幸いした。
 こういう時はどうしたら良いんだろう。というのが、和紀の正直な気持ちだった。
 和紀は物心がついてから学校行事別として、誰かと一緒に寝た経験が無い。
 腕を少しでも動かそうものなら豪を起こしてしまいそうで、それは今の豪にはあまりにも可哀想で、とてもできそうにない。
 しかし、こんなところを誰かに見られて皆に知られたら、半殺しの目に遭わされかねないと和紀は視線を遠くに投げた。
 つくづく和紀は(天然)豪の(有る意味)偉大さを知った。
 たやすく人を屈服させる強い魅了の力を持ちながら全く自覚が無い。自分の事には鈍感なくせに優しい豪は、甘えっ子の弟の生が居る為か、誰かが辛くなったり寂さで一緒に寝て欲しいと頼むと簡単に「良い」と言う。
 さすがに女の子相手にはそこまでの博愛精神は発動されないのだが、要するに、豪にとって親しい相手と寄り添って一緒に寝る事は何でも無い事らしい。
 和紀は慣れない状況に困惑して、取り合えず豪が目を覚ますまでこうしていようと思った。
 腕の痛みはともかく、人の体温を感じながら横になっているとだんだん気持ちが落ち着いて来る。
 抱き枕を連想した和紀はこういう事かと納得して、自由な方の腕を豪の身体に回すと、再び眠りに落ちた。

「うわっ!?」
 耳元で大声を上げられて、和紀が驚いて目を覚ますと、耳まで真っ赤になっている豪と目が合った。
 和紀が何事かと豪の顔を覗き込むと、豪は慌てて視線を落とし、自分が和紀の服を握りしめている事に気付いてすぐに手を離す。わずかに和紀に背を向けると、痛む身体を庇いながらのろのろとベッドの隅に這いずって逃げ出そうとする。
「……」
 この豹変ぶりに和紀は目を丸くしたが、どうやら豪は昨日の自分の行動を思い出して恥ずかしくなったのと、腕枕をする立場には慣れていても、される側には免疫が無いのだと気付いた。
 ぶっと吹き出して、和紀はベッドから起き上がると豪に声を掛けた。
「おはよう。僕は腹ぺこなんだけど、君はお腹空いてない? 食欲が有るなら胃に優しい物を頼んで作って貰うけど」
 豪は拗ねた顔で振り返ると「おはよう。腹は減ってる」とだけ答えて再び和紀に背を向けた。
 何を今更と恥ずかしがっているのかと思ったが、和紀はベッドサイドの電話で飛島に軽食の用意を頼んだ。
 時計を見るとすでに昼過ぎで、2人共丸1日以上眠っていたらしい。
 和紀は思い出したと、天野家に連絡を入れた。
「あ、お母さん? 豪が目を覚ましたよ。動いて無いから身体の方はどうか判らないけど結構元気みたい。そっちはどう? ああ、あれは上手くいったんだね。えっ? あー、やっぱり。智とお父さんじゃ、そんな事じゃないかと思ってたんだよ。時間掛かりそう? 持ってきて欲しい物が有るんだけど。そうだよ。さすがお母さんだね。え、一緒に? うん、それも必要だね。分かった。じゃあ、また後でね」
 通話を終えると豪が横になったまま声を掛けてきた。
「母さん、どうしたんだ?」
「昨夜はゆっくり眠れたみたいだよ。お母さんもずっと徹夜して君に付き添っていたからね。3日、家を空けてたら悲惨な状況になってて大変だって」
 力の入らない身体を和紀に支えて貰いながら、豪が天蓋の柱と枕を背もたれにしてベッドの端に何とか座る。
 軽く首を回していると扉がノックされ、飛島が食事をワゴンに乗せて現れた。
 豪と和紀が礼を言うと、飛島は頭を振り、「無事で何よりでした」とだけ言って退室した。

 和紀はワゴンに目を向けて、「初めにスープから試してみよう」と言った。
 豪は首を傾げたが、和紀の顔を見ると逆らいがたいものを感じて、たどたどしい手つきでスプーンを取る。
 具の無い温めのコンソメスープは、久しぶりに食べ物を胃に入れた豪にも安心して飲める物で、豪は嬉しそうに1皿を平らげた。
 それをじっと見ていた和紀は「次はリゾット」と言って、小皿に少しだけ取り分けて豪に渡した。
 空腹の豪は少ない量に不満だったが、小皿に乗せられた分を食べると、本当に胃が一杯になってしまい、それ以上食べるのは諦めた。
 最後にオレンジジュースで水分を補給する。
 豪が満腹を抱えて浅く息を吐いている間に、和紀は自分の分と豪が残した食事をあっと言う間に胃に収めた。
 おかず争奪戦の時は自分が食べる分を確保するのに必死で気付かなかったが、ケーキバイキングや昼の弁当を食べる時に、和紀が結構な早食いの上にかなりの大食いである事を豪は知っていた。すでに暴飲暴食の領域だろうと思い、「胃を壊すぞ」と釘を刺した。

 和紀がベッドサイドにタオル、コップ、洗面器とバケツを豪の手元に持ってきた。
 豪は和紀に支えられながらベッドの上で顔を洗い、うがいもすると再び横になって休んだ。
 しばらくして、大きなバッグを持った恵と中年の男が一緒に入ってきた。
 男は豪の手術の執刀医師だと名乗り、かなり大きな鞄から様々な器機を出して豪の身体を丹念に調べていく。
 豪が意識を取り戻さないとできない検査がかなり残っていたのだと説明し、恵の顔をちらりと横目で見て苦笑する。
 恵がどんな手段を使って豪の退院を医師達を納得させたのか、想像するのも怖いので豪も苦笑を返す。
「お手数をお掛けします」
 恵の視線が険しくなるのを感じた豪は、すぐに頭を下げて誤魔化した。
 検査を全て終えると、医師は和紀と細かい打ち合わせをして豪に向き直った。
「手術に立ち会った私達も全員一族の一端に名を連ねる者だが、君の身体の回復ほど顕著な奇蹟を見たのは初めてだった。せっかく助かった命なのだから大切にしなさい」
 医師は豪の肩を労るように撫でると帰って行った。
 豪が何を言われたのか把握できずにいると、恵が呆れ顔で先程医師から受け取ったカルテのコピーとレントゲン写真を豪に見せた。
「自分が死にかけた自覚が全く無いのだから仕方無いわね」
 治療前の写真とカルテを一通り読んだ豪は、重体とだけ聞いていた自分がどんな状態だったのかを知って、真っ青になり絶句した。
 昨日から今日に掛けて、どうして和紀があれほど自分の身体を気遣ったのか漸く理解したのだ。
 恵はベッドから動けない豪に視線を落とす。
「2度とこんな思いはさせないでね。親不孝者になるのは許さないわよ」
 微笑を浮かべながら恵は優しく豪を抱きしめる。
「片付けが残っているから明日また顔を出すわ」
 持ってきた着替え入りのバッグを和紀に渡すと、恵も天野家に帰って行った。
 豪が「何が有ったんだ?」と聞くと、和紀は肩を竦めながら答えた。
「お父さんも智もかなり混乱してたらしくてね。割れたお皿が何枚も床に散乱していて、使った食器や総菜と弁当のパックが水にも漬けられずに流しに放置。洗濯物は洗濯機に放り込んだまま、病院に僕達の着替えを持って来たのは良いけど、部屋中に服をまき散らかしたままだったんだって。本当に家じゃ無くてこっちに避難したのは正解だったみたい」
 それを聞いた豪は思わず「げっ」と声を上げた。

「これくらい1人でできる。タオルを返せ!」
「まだ再生されたばかりの身体だって何回言わせるの。本当にカルテをちゃんと読んだの? いくらガーゼタオルでもこすったら皮膚が傷だらけになるじゃない」
「だからこれからは気を付けるって言ってるだろう。自分で動かないとリハビリにならないじゃないか」
「そういう台詞はせめて自力でお風呂まで歩けて、自分1人で服が脱げるようになってから言ってよ。僕だって可愛い女の子ならともかく、何が悲しくてごつい男の身体を洗わなきゃいけないんだろうって思ってるんだから。それとも君は本当は女の人に洗って欲しいとかHな事を考えての?」
「お前じゃあるまいし俺が思うか。自分でやるって言ってるだろう」
「うるさい口にはタオル突っ込んじゃおうかな。これ以上文句を言ったら裸で外に放り出すよ。本当にやるからね」
 瞳の色が変わった和紀に睨まれて、豪はぐっと押し黙った。
 生の超能力で再生されたばかりの豪の身体は、普通に歩く事も自由に手を動かす事もままならなかった。
 風呂まで和紀にテレポートして貰った上に、指先も震えて細かい動きができずにシルクのパジャマの釦が自分では外せない。仕方なく、和紀が全部脱がした。
 椅子に座らせて貰い、思うように動かない指で何とかタオルを握り、苦労して身体を洗っていたら、見るに見かねた和紀も服を脱いで入ってきてこの騒ぎである。
「医師から入浴の際の細かい注意事項やリハビリの仕方も聞いてあるから。お願いだからじっとしててくれる?」
 肩を落とした和紀にそう言われると、豪も意地を張るのも大人気ないと思い、大人しく和紀に委せた。
 温めの風呂にテレポートで入れられて、(重くてとても1人じゃ運べないと和紀談)ちゃっかり浴槽の隣で自分の身体を洗っている和紀の指示通りに少しずつ手足を動かしていく。
 湯に入った事で筋肉への負荷は上がるが浮力で体重が軽くなった分、身体を支えるのは楽にできる。
 小型プールのような風呂で良かったと、この時ばかりは豪は豪華過ぎる部屋に感謝した。
 少し疲れたという顔をすると、和紀はすぐに豪を風呂から上げてバスタオルでくるんだ。素早くパジャマを着せるとベッドに寝かせる。
 一応手も使っているが、和紀の超能力は上手く使いこなせば、応用範囲がとても広いのだと知って、豪は素直に感心した。

 ウトウトと寝ぼけていると、和紀も風呂が終わったのかパジャマに着替えていてスポーツドリンクを豪に差し出した。
「食べれない分の栄養と水分補給。少しずつでも胃や腸も使わないと、すぐに点滴生活に戻るからね」
「ありがとう」
 豪がゆっくり上体を起こし、コップを受け取って飲んでいると、和紀も水を飲みながら、医師から渡されたカルテに今日の豪の様態を細かく書き込んでいく。
「やけに詳しいみたいだが、和紀は外科の医療知識まで持っているのか?」
「ロボット研究と医療技術の進歩は表裏一体だよ。より人に近いロボットの研究を進めようとすると、どうしても人体の研究をしなくちゃいけないし、介護や手術、人工臓器の技術が進むと自然にロボットの研究にも繋がるんだよ」
 和紀は手を動かしながら、何でもない事のように答える。
 豪はこの若さでこれだけの知識と技術を持つ和紀が、今自分の側に居てくれて良かったと心から思った。
 昨日の自分の醜態に一切触れようとしない和紀の気配りにも、恥ずかしくて到底口には出せないが感謝していた。
 ふと、思い付いたように豪は和紀に問い掛けた。
「その技術で千寿子の意識は戻せないんだろうか?」
 ピタリと手を止めて、和紀は顔を上げると寂しげに微笑む。
「今の技術では怪我の治療はある程度できても、到底人の心までは治せないんだよ。スペシャリスト達が頑張ってくれているから、僕達は千寿子さんができるだけ早く回復してくれる事を祈るしかできないね」
 豪は悪い事を言ってしまったと反省したが、和紀が気にしていないという顔をするので何も言えなくなった。
「それで、豪の身体だけどね。今日の様子を見て、食事から運動までリハビリメニューを組んだから。千寿子さんが戻ってくる前に完治させようね。千寿子さんを想うのなら君がまず元気にならなきゃね」
 和紀から渡されたスパルタメニュー表を読んだ豪は、一瞬頬を引きつらせたが、千寿子より早く回復して皆を早く安心させたいという気持ちは本物で、明日から頑張ろうと心に誓った。
 和紀はカルテを引き出しにしまうと部屋のライトを切り、豪が寝ているベッドの反対側に横になって「おやすみ」と言った。
 豪は和紀の素早い切り替えに苦笑したが「おやすみ」と返事をして、自分も目を閉じた。
(千寿子、俺も頑張るからお前も早くここへ帰ってこい)
 豪の願いは森を通して生にそして愛に届き、まだ目覚める事の無い千寿子の元へ届けられた。

 翌朝、3人は余裕で眠れる広さのベッドの真ん中で、なぜか和紀の腕の中で目覚めて大声を上げた豪と、重さで悪夢にうなされ続けた和紀が、散々お互いの寝相の悪さを罵り合った後、今朝の事は2人だけの秘密にすると約束して収めた。
 以前から豪は自分の寝相の良さには自信が有ったので皆に豪語していたし、和紀に至っては絶対に皆に殺されると本気で思ったからだ。

 和紀が豪に始めに課したのは、トイレまで自力で行って帰ってくるというものだった。
 豪もこれだけは絶対に譲りたくない一線だったので、3、4歩進んでは休みをくり返し、何とかトイレを1人で済ませると汗だくでベッドに転がり込んだ。
 胃に負担が掛からない、特別に調理された昼食を食べ、ベッドの上で軽いストレッチをしていると正規と智が現れた。
 2人共疲れた顔をしていたが、豪の顔を見ると顔を緩め、かわるがわる豪を優しく抱きしめて「良かった」と言った。
 豪は2人の顔を見て、和紀や恵と同様に、自分がいかに皆に心配を掛けていたのかを三度、思い知らされた。
 和紀が豪をテレポートでソファーに移動させて、2人にも正面のソファーに腰掛るよう勧める。
 眉をひそめる2人に簡単に和紀が豪の体調を説明しながらリハビリメニューを見せると、正規と智も納得して頷いた。
「ともかく豪だけでも意識を取り戻してくれて良かった」
 正規の言葉に千寿子の様態に変化が無いのだと知って、豪の表情が沈む。
「そういう顔をしないの」
 和紀が強引に豪の口の端を吊り上げて笑顔を作らせる。
 半泣きになりながら「痛い」と言う豪の表情や顔色、反射、動きを見て、智は和紀の説明が正確なものだと判り安心した。
 和紀もこっそり智にウインクして頷く。
 何も言わなくても知りたい事を察して、それとなく教えてくれる幼なじみに、智は感謝しつつ強引さには苦笑した。

「これを見れば豪がまた難しい顔をするのは判っているが、今まで調査して判った事を説明に来た」
 正規は鞄から分厚いファイルとCD−Rを取り出した。
「今回の仕事で私達が事前に調べた情報、予想データ、計画の全てと、実際に起こった災害の規模の実態と、なぜ予想を上回る規模の災害が起こったのかを新たに検証した調査結果だ」
 和紀が正規からCD−Rを受け取り、ノートパソコンを起動させる。
「その前に一言言っておく。学校へはお前達全員は緊急の業務で長期出張に出ている事になっている。間違っても友人に連絡を取らないように。復学したら補習が待っているから覚悟しておけ」
「うげっ」
 それで無くてもレベルの高い授業で、天野の名にプレッシャーを感じながら、好成績を修めるのに四苦八苦している豪は露骨に嫌な顔をした。
「俺がリハビリの合間をぬって家庭教師をしても良い。授業内容は聞いてあるから、1学年上程度の内容なら俺でも教えられる。補習が楽になるだろう」
 智の提案に和紀の表情が変わる。
「という事は、調査は終了したんだね」
「ああ、表向きはな。臨時スタッフも今日で解散だ。これからは秘匿性が高くなるから俺と室長だけでやる。こういう裏調査や編集が得意な愛が居ないのは痛いが何とかする」
 説明しながら智はノートパソコンを操作する。
「裏口を開けるのなら僕がやっても良いけど」
「和紀君は自分が決めたとおりに行動して欲しい。パターンXXは未だに有効だ」
「パターンXX?」
 自分には理解できない言葉が飛び交う中、豪が問い掛ける。
「ファイルに赤色のインデックスが貼ってあるから後で目を通しておけ。今は事故原因の話をする。これは豪が知らなかった『地の理』に当たる部分だから、しっかり頭に入れるように」
 正規にきつく言われ、豪は黙って頷いた。

 現場は智が予知した土砂災害が起こる場所から、特に選定された場所だった。
 天気予報から大量の長雨が続く地域を選定。
 救助を目的としている為、住宅地を選定。
 更に選定条件に千寿子が人為性を求めた為、ここ数年間に大規模工事が行われた場所を選んで漸く1ヶ所が該当した。
 愛がテレパシーを駆使して、古くからの住人が雨天時に近付きたがらない場所を見つけ、更に細かい調査を行った。
 現場は、昔から長雨が続くと地盤が緩くなり地滑りを起こしやすい為、古くからの住人は決して住宅を建てない。
 それを5年前にある業者が山を買い取って、砂防ダムの建設、斜面の補強工事、排水溝工事と地固めを確実に行うという条件付きで市に許可を取り、分譲住宅地にした。
 高台で見晴らしや日当たりも良く、価格も安いと有ってかなりの人気物件となった。
 しかし、業者は役所に提出していた内容とは違う工法で手抜き造成し、その上に住宅を建てた。
 それが予想値よりも酷い災害になった最大の原因だった。
 2軒の半壊予想が全壊、更に5軒が一部土砂に埋まった。
 死者が智の予知に近い8名で収まったのは幸運だったとも言える。
 正規達のプロジェクトは事故後調査を秘密裏にかつ、念入りに行い、業者の不正を見つけてすでに匿名で警察と役所に届け出をしてある。
 マスコミも動いているので、遠からず業者は訴えられ、住人は補強工事が完全に行われるまでの間、避難を勧められるだろう。

「あれだけの災害を目の前にして、自分達だけは大丈夫だと勘違いせずに、自主的に安全な場所に避難してくれる事を私達は願うだけだ。分譲だから強制退去は難しい」
 正規が溜息を吐くと、智が豪の顔を正面から見据えた。
「大地は人が敬い、礼を尽くせば多くの実りをもたらしてくれる。逆に、人が大地をいたずらに傷付ければ、大地もそれまで治めていた理を失い、それ相応の報いを受ける。これが『地の理』だ。解るか?」
 豪はそれまで黙って話を聞いていたが、「納得がいかない」と首を傾げた。
「理は解ったが、それほど昔から危ないと知られてる土地なら、どうして業者は住宅を建てたんだ? 役所もなぜ許可を出した? 古くからの住人はどうして警告をしなかったんだ? 自分達が一生住む場所くらい事前に調査をしないのか?」
 予想どおり過ぎる疑問に智が渋面を作る。
「人は何事も楽な方を選ぶものなんだ。安いから。自分には関係無いから。書類が整っているから。不正をしてでも多く儲けたいとか、挙げていけばキリが無い。綺麗事で世の中が回るなら犯罪も戦争も起きないだろうが」
「だが、智。人の命が掛かってるんだぞ」
「だからお前は甘ちゃんだって言うんだ。明かな人為事故だろうが、一見自然災害に見える事故だろうが起こるべくして起こるんだ」
 智が正しいと解っていても豪は黙っていられない。
「だからと言って放置するのはおかしいだろう」
 これほど皆に心配を掛け、自分自身も死ぬような目に遭ったのに、まだそんな甘い事を言うのかと智も怒鳴りつける。
「お前は何様のつもりだ! 放置も何も実際に事故が起こらなければ俺達は何もできないんだぞ。俺達ができるのはせいぜい事故が起こらないように祈る事だけなんだ。だからこそ何百年も巫女舞いが毎年行われ続けているんだ。それも解らないほどお前は馬鹿か!?」
「俺は無力だ。そんな事はガキの頃から解ってる。解ってるからこそ、尚更悔しいんだ!」
 憤って立ち上がろうとした豪の身体を、その前に和紀がテレポートさせた布団ごと押さえつける。

 正規は和紀の素早い機転にほっとした。
 豪の身体がまだ俊敏な動きに耐えられるほど回復していないと知っていただけに、こういう話になると感情の起伏が激しくなる豪に話をするのはかなりの勇気が必要だった。
 予め智が予知していたとおりに反応した豪の頬を軽く叩く。
「頭を冷やせ。悔しいと思うならお前が社会に出た時に、できるだけこんな悲しい事故が起こらないように努力しろ。すでにAMANOは会長判断で安全調査室に新しい部署を作る方向に動いている。臨時スタッフ達は本人が希望すれば、遠からず新しい部署に転属になるだろう。たとえ超能力を持っていても、自分が只の1人の人間に過ぎない事を決して忘れるな。そして2度と人の命まで巻き込んだ馬鹿な真似はするんじゃないぞ」
 暗に千寿子の事を言われて豪は顔を強張らせた。
「分かった」
 それだけ言って豪は布団の中に頭を埋めた。
 布団の中で声を殺して泣いているのだろうと思った正紀は、豪よりも辛そうな顔をしている智の頭を撫でた。
 和紀も豪を抱えたまま声には出さず、唇だけで「ありがとう。いつも嫌な役をやらせてごめんね」と告げた。
 正規は智の肩を叩いて退室を促した。豪も冷静になれば、智が今までどれほど自分の身を案じて心を痛めてきたか理解できるだろう。
 後は和紀1人に任せた方が良い。千寿子が和紀に託した手紙の内容は知らないが、和紀の行動を見ていればおのずとそれが知れる。

『生の悩みと苦しみの中で理を学ぶべし。我、これをもってこの者の罪を問わん』

 豪の命を救った時の生の言葉がふいに正規の頭を過ぎった。
 これが豪の受けた罰。豪は自分がいかに無力かは知っている。
 今まで目を閉ざしていた自分の無知を知り、悩み、苦しみながら豪は真の命の理を学び、人の『限界』を知るだろう。
 これまでは素直で優しい性質を伸ばす事で豪の超能力が誤った道に行かない様にしてきたが、これからは『天と地の理』が豪を正しい方向へ導くだろう。
 正規は遅きに過ぎたかもしれないと思っていたが、これも『天と地の理』の1つなのかもしれないと思えた瞬間笑みが浮かんだ。
 そうならば遠からず千寿子は戻ってくるだろう。
 そうして豪に平手打ちの1つも食らわせてくれれば良いと正規は思った。

 正規と智が帰ると、和紀は布団の中で自分の胸にしがみついて震えている豪を自分ごとベッドにテレポートして寝かせた。
 千寿子の事を思うと自責の気持ちを抑えきれなくなったのに違いない。
 自分の服を涙で濡らす豪の背中を和紀は優しく撫続ける。
 恵の携帯にメールで「今日は来なくて良い」と告げると、「忙しいから助かるわ」と返事が返ってきた。
 全てお見通しという事らしい。
 和紀は正規が以前話してくれた恵の作った伝説を思い出して微笑した。
 過去に例を見ないほど強いパワーの超能力を持った豪と『大地の御子』の称号を持つ生の母である恵の正体は、想像するだけに留めておいた方が身の安全と思ったからだ。
 気が付くと豪はまた泣き疲れて眠っていて、今夜も普通に寝させて貰えそうにもないと諦めた。

(ちーちゃん。早く起きないと豪に困った癖が付いちゃうよ)

 和紀の声は森の意志の爆笑と、生の狼狽と、愛に大きな疑問を残して、千寿子へ届けられた。



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